Memories
尾崎を感じることができる思い出の場所…
尾崎のゆかりの場所…
そんな場所を紹介したいと思います。

護国寺
東京都文京区にあるお寺で、尾崎の葬儀が行われた場所。当時雨が降っていたにも関わらず、ファンの長い行列がとても印象的でした。僕はその行列の中で絶え間なく聞こえる尾崎の詩に、心から哀しみというものを味わいました。とてもその場所にいることができなくなり、行列から外れ、傘を差すこともできず、ただその場所に立ち尽くすことしかできなかったのを憶えています。ファンの数は4千人とも5千人とも報道され、後で知ったことですが隣の駅まで行列が続いていたそうです。
 
狭山湖畔霊園
埼玉県にある狭山湖畔霊園に彼は眠っています。
西武ドームのとなりにあるこの墓地には毎年彼の命日である4月25日になるとたくさんのファンたちが集い、ギターで彼の曲を弾きながら、歌ったり、話をしたり、または哀しみに浸っている姿を見かけます。僕自身もそこに行くと言葉を失ってしまいます。でも尾崎はきっと今もなお走りつづけているのかなって…そう心にしまって帰ってきます。
最寄の駅は「西武狭山線の<西武球場前>です。そこから徒歩でだいたい15分くらいかな。
 
 
尾崎ハウス
東京都足立区にある一般の民家です。
1992年4月25日…尾崎が亡くなる直前に泥酔状態で倒れ、発見された場所です。この民家の住人は当時としても年配の方で尾崎豊を知る世代ではありませんでした。しかし、とても心が広く優しい方で、毎日のように尾崎を慕うファンや知人たちを見て、尾崎豊とはどういう人間なのか…またどんな歌手だったのか…と思ったそうです。尾崎豊について調べ、また詩を聞き、そして訪問されるファンたちを見ていて、尾崎に共感を持ちその後、ご自宅であるにもかかわらずその部屋の一部をファンの為に開放していただいたという素晴らしい方です。やがてその場所は、尾崎ファンにとってなくてはならない大切な場所となり、「尾崎ハウス」と呼ばれるようになりました。

 
東邦生命ビル
東京都渋谷区にあるビルの名前ですが、この名前は旧称です。今の名前は渋谷クロスタワーです。なぜココが彼を思い出す場所になっているかというと、“Seventeen's map”の歌詞にも出てくる♪歩道橋の上振り返り 焼け付くような夕日が…♪の場所がこの東邦生命ビル前にある歩道橋のことだそうです。彼の高校時代通学路だった、このビルから見る夕日がとても好きだったそうです。1995年4月25日。東邦生命ビルの3Fに尾崎の歌碑が設けられました。
 
新宿ルィード
尾崎のデビューライブとなった新宿のライブハウスです。彼は高校の卒業を待たずして退学し自分の力がどこまで通用するのか、そのために彼は辞めたその日にこのライブを決行。何人が集まるのか彼自身の賭けでもあったこのライブは後に伝説のデビューライブと呼ばれています。「OZAKI18」というタイトルでVIDEOも販売されています。とても若い尾崎が全身に力をみなぎらせながら、感情的に…そして、やったぞ!と言わんばかりの満足げな尾崎の顔が僕にはとても印象的です。
 
日比谷野外音楽堂
1984年8月4日に行われた「アトミック カフェ ライブ」で尾崎は興奮のあまり、照明用のやぐらに登りそこから飛び降りてしまった。足の激痛をこらえながら何とか歌いきった彼は病院に搬送され、左足を骨折していました。その照明用のやぐらの高さは7メートルもあったそうです…。ビルの3階に相当する高さから飛び降りるほどに熱唱してしまった、彼は当時その後のインタビューで笑いながら、あの時はあまりの興奮でつい…と言っていたのがとても印象的でした。