2022 News ダイジェスト④

高山・白川行 / 小網代の森ウオーキング

 

◎高山・白川行 10/18〜20 ----------------------------------------------

 

 今回報告の「高山/白川郷行」はちょっと遠出の旅、前回は2022年春の「吉野山行」。今回は「二宮駅」から東海道線で「小田原駅」、「東海道新幹線」で「名古屋駅」、そして「高山本線」に乗り替えて「高山駅」へ。朝早くから昼過ぎ、4時間40分の長い旅。面白かったのが「高山本線」、「名古屋駅」から「岐阜駅」まで20分、座った座席とは逆の後ろ向き(座席変更無し)で走るのである。「岐阜駅」からは普通の方向に走り、右手に「木曽川」、途中から「飛騨川」が右手、左手、なかなか良い景色であった。初日は「高山」の市内ウオーキング、2日目午前中に「白川郷」、午後はまた「高山」市内。3日目は「高山駅」から「岐阜駅」へもどり「岐阜城」を見学して帰路につく予定。

 「飛騨国分寺」見学のあと、その裏手にある「麺屋とと」で昼食。とても美味しい「中華そば」であった。その後、「古い町並」を求めて「宮川」に架かる「鍛治橋」を渡ると面白いモノがあった。まず橋の中程に「足長像」(上左写真)。その対面には「手長像」(上中写真)。これは嘉永元年(1848年)に名工(谷口予鹿)が出雲神話にある父母を具象化彫刻して「高山祭屋台」に取り付けた像、それを模したもの言われている。橋を渡るとその左手に「大黒天」がある(上右写真)。この横には「一位一刀彫り 憩い〜大黒天〜」という表題の解説版があり、「飛騨の象徴である一位材を用いて木目の美しさを生かし、彩色をほどこさない独自の根付彫刻を作り上げた」と記されていた。

 「高山駅」に昼に到着、ホテルに荷物

を置いて、ウオーキング開始。まずは

「飛騨国分寺」。このお寺、聖武天皇に

よる国分寺建立の詔(741年)によって、

757年頃、「行基」によって建立されたと

いう。本堂の横には大きな銀杏があり、

「乳イチョウ」と呼ばれていたらしい。

推定樹齢1250年、幹周10メートル、高さ

37メートルである。この対面にはきれい

な「三重塔」がある。室町時代は七重塔

だったらしいが、1615年には三重塔、そして現在の塔は1820年に再建されたものらしい。

 その先の細い道へと左折し、高山らしい古い町並みを進んでゆく。ある家にはスズメバチの巣のような大きな球体が飾られていた(上左写真)。これは、調べると「杉玉(すぎだま)」あるいは「酒林(さかばやし)」といわれるらしい。酒蔵や酒屋の軒先に吊されることが多いが、ここ「吉島家住宅」も明治40年(1907年)に建てられた造り酒屋だったらしい。


 ホテルから2kmほど歩いて「櫻山八幡宮」に到着(上右写真)。この神社は、仁徳天皇の時代(377年頃)に天皇に背いた「両面宿儺(りょうめんすくな)」という飛騨山中にいた凶族、それをやっつける征討将軍が戦勝祈願を行ったのが始まりらしい。その八幡宮の左手に「高山祭屋台会館」がある。「高山祭」は「春の山王祭」(明日訪れる日枝神社の例祭)と、この八幡宮の例祭である「秋の八幡祭」があり、そのとき街を巡幸する「屋台(山車)」がこの会館に展示されている。時間がなかったので、会館の前に展示されていた写真を観て、中には入らず。


 八幡宮から150mほど進むと「東山遊歩道」に出る(上左写真)。この川沿いに進んでゆくと小さな「秋葉神社」が出てくる(上右写真)。「秋葉神社」とは、東海随一の霊山である「秋葉山」を神体山と仰ぐ神社で、静岡の浜松に総本社がある。この神社は「火防(ひよけ)」の神様として信仰され、全国にたくさんあるらしい。旧東海道ウオーキングでは「秋葉山」と書かれた多くの「常夜灯」と出会って報告をした。この高山の街にも数多くあったが、石の上に小さな祠(ほこら)を乗せたという形のものであった。

 「東山遊歩道」を進み、「東山寺町」へと入ってゆく。10くらいの寺があったが、その中から4つを紹介。まずは「雲龍寺」、この門の上に鐘が乗っている「鐘楼門」が有名である(上左写真)。次はその横にある「大雄寺」、左右に仁王さんが居る「山門」が有名である(上右写真)。三番目は「素玄寺」、高山市街が見渡せる「鐘楼」が良い感じ(下左写真)。そして「法華寺」、この本堂は1634年(寛永11年)に「高山城」の建物を移したという(下右写真)。

 これらの寺を後とし10分ぐらい、途中坂道をあがって「城山公園」へ。この銅像は「高山城」の城主である「金森長近」である。公園のベンチで休憩し帰ろうかと思ったとき、本丸への道を発見してしまう。まあ、行ってみるか、と悲劇の始まり。

 かなり急な階段が続き、疲れた状態で道標に出会う。

スタートした坂の下の公園「二之丸」から270m。

「本丸」は坂の上、200m、まだ半分ちょっとしか登って

いない。といってもここから戻るわけにはいかない。

 やっと到着「本丸」のあった処。石垣の横の階段を登って

くと広い空間が広がる。ここに「高山城」の「本丸屋形」

と「天守」があったらしい。現在は樹木がいっぱいで展望

はきかないが、かつては360°の展望が開けていたらしい。


「本丸」から「二之丸」へと戻る。「本丸」への悲劇的な登山往復は30分、大変に疲れてきた。街中へと戻って行き「飛騨高山まちの博物館」(上左写真)を見学する。いろんな展示物が沢山あるが、入場料は無料。疲れて沢山見ることは出来なかったが、「高山城」のレプリカがあった。登って行った「本丸」にはこんな「屋形(やかた)」があったのだ。因みに高山城のように、お城の建物を「屋形」と呼ぶのは珍しいことらしい。

 ホテルへと戻る途中、「恵比須台組町保存区域」の脇道へと入る。そして「三町町筋」という江戸時代の趣を残した町筋(上右写真)を通って、高山まち観光を楽しんだ。

 翌日はバスにて「白川郷」へ。1時間くらいのバス旅、途中、もの凄く長い(10分くらい)トンネルを通った。後から調べると「東海北陸自動車道」の「飛騨トンネル」、全長10,712m、自動車道では日本で3位、世界でも12位という長さ。因みに日本1位は「山手トンネル」、2位は「関越トンネル」、知らなかった。「白川郷、萩町合掌造り集落」へと入り、バスターミナルで下車。そこからちょっと歩いて「展望台行きシャトルバス乗降所」。そこからバス10分くらいで「萩町城跡展望台」、片道200円。そこからの眺め(上左写真)。望遠で撮影すると合掌造りとメイン道路がよく見える(上右写真)。

 展望台からはアスファルトのゆったり下りの道を

降りて行く。山を下り、「和田家」という国指定重要

文化財となっている家に行ったが、修学旅行の生徒

さんがいっぱいで入れず。その家の脇道を通って振り

向いて眺めた和田家。良い感じである。

 様々な合掌造りを眺めながら集落の外れ辺りまで

進み、バス停へと戻る時、左手に「であい橋」という

吊り橋がある。全長107mの橋で「庄川」を渡り、

その先の右手に自家用車用の大きな駐車場がある。

家用者で訪れた人はこの「であい橋」を渡って合掌造り集落へ入ってくるのだ(だから、であい?)。

 橋を渡り左手の方に進むと「白川郷合掌造り民家園」という野外博物館がある。入場料は600円(JAFカードを見せれば500円)、中には岐阜県重要文化財9棟を含む全25棟の建造物がある(上左上写真)。さっきまでいた集落では観光客や修学旅行の生徒さんたちで賑わっていたが、ここはほとんど入場者がおらず、ゆったりと眺めることができた。一番上の階まで上って屋根裏の構造を見学(上左下写真)。その後「であい橋」を渡り、集落へ戻り、バスターミナルへと向かった。山の上の方に小屋が見えているが、あれが最初に行った展望台(上右写真)。


                     白川郷は半日で十分楽しめたので、昼過ぎのバスで高山に

                    戻る。訪れたのは駅から1.5km、20分くらい歩いた「日枝

                    神社」。この神社は1141年(永治元年)と勧請(かんじょ

                    う;祀ること)は古く「飛騨山王宮日枝神社」と言われて

                    いる。また樹齢1000年と言われる高さ39mの天然記念物の「大杉」が凄い(右奥の方)(上左写真)。

 「日枝神社」から1km、10分くらいで古い町へ戻る途中、素晴らしいレトロを発見(上右写真)。なんと懐かしの「ミゼット」と古い看板。後ろの方には「スバル360」もあった。後から調べてみるとここは「飛騨高山レトロミュージアム」、その裏口だったのだ。手前で細い道に入ってしまったので裏口へ。

                    でもその細い裏道を進んだおかげで凄い樹木に出会えた

                   (上左写真)。なんとこれは「しだれ柳」、川沿いにある

                    、高さ20m、幹周6mの樹木。

                    すごい「しだれ柳」のちょっと先に架かる、赤い「中橋」

                    を渡ってすぐ「高山陣屋」(上右写真)。ここは高山城主

金森氏の下屋敷の一つだったが、飛騨が徳川幕府の直轄地となってからは、江戸からの代官の役所となって「陣屋」と呼ばれたという。建物の中には色々な部屋、拷問をした処、木製の男女のトイレなどもある。かなり広く、別棟とつながったり、綺麗な中庭などもあった。


 最終日は9時30分頃の電車で「高山駅」を発ち、昼頃「岐阜駅」に到着。中央北口の先には「黄金の信長像」がある(上左写真)。像の高さは台座を含めて11m、信長公自身は3m。マントを羽織り、左手に西洋兜、右手には火縄銃。岐阜市制120年を記念して2009年(平成21年)に設置という。そこからバスで「岐阜公園」へと移動。そこの「ぎふ金華山ロープウェー」で山頂駅へ。


 そこから急な坂道、階段を登って「岐阜城」へ(上右写真)。天守閣からは「長良川」「濃尾平野」「日本アルプス」など、四方が見渡せる。とにかく急な坂の連続で、山そのものが天然の要塞、凄い城である。でも、どうやって城の建築材料を運び上げたのか、不思議であった。


  以上で「高山」「白川郷」そして「岐阜城」の旅、終了。初日7.2km、2日目7.7km、最終日は600mだが急坂、階段。いろんな情景に巡り会えたが、ちょっと疲れた・・・。





◎ 小網代の森ウオーキング 12/6 -----------------------------------------------

 「三崎口」から歩いて20分くらいで森の入口に行けるが,ちょうど良いバス(城ヶ島行)があったので乗車し、3分で「引橋」というバス停で下車。そこから裏道の方に入るとすぐに案内看板。そこから坂道を降り、ちょっと進むと階段が現れる。ここが「小網代の森」のスタート地点である。




 今回は「小網代の森」ウオーキング。前回は10月11日、河村城址ウオーキング(洒水の滝/鉄道公園:工事のため立入禁止)+「さくらの湯」であった。今回は「二宮」から「大船」、JR東海道線から横須賀線に乗り替えて「久里浜」へ。そしてちょっと歩いて「京急久里浜」。そして京急で「三崎口」へ、そしてバス。場所は神奈川県の三浦市である。「小網代の森」を歩いて海へ、その後「油壺温泉」でゆったりと日帰り温泉と喉(のど)の潤(うるお)しの「麦酒」という贅沢なウオーキングである。

 階段を下り、下り、森の中へと入ってゆく。木製の通路の下を小さな川が流れている。そしてその川沿いに進んでゆく。設置された地図看板を見ると、ここは「まんなか湿地」という処。「小網代の森」の真ん中らしい。


 森の中をゆったりと歩き、その後「やなぎテラス」という木製床の場所を過ぎ、「えのきテラス」に到着(上左写真)。「小網代の森」に入ってから1.2km、30分経過。ここにてコンビニで購入しておいたサンドイッチで昼食。

 「えのきテラス」から奥の方へと進むと海岸が見えてくる(上右写真)。河口のように見えるがここは「相模湾」へと続く「小網代湾」である。この湾沿いの道を進むと「北尾根入口」という森の入口に出るが、「えのきテラス」へと戻る。このテラスの後ろにある木が「榎(えのき)」らしい。ここにて記念写真(写真は About Me に掲載)。


 「えのきテラス」からちょっと進むと「展望テラス」があり、そこから「小網代湾」を展望する手前の水上に鳥のようなものが。望遠で撮ってみると「黒鷺(くろさぎ)」(灰色)のようである。なんと魚をくわえている(上右写真)。


 そして階段、坂道を登って「宮前峠入口」へと進む。そしてそこにあった立派な綺麗な建物。一体これは何か。実はこれはトイレ、中もとても立派なものであった。


 そこから200mほど進むと港が見えてきた。その右手にあるのが「白髭神社」。白い髭をのばした仙人風の「長安寿老人」を祀ってあるらしい。 そしてヨットが沢山係留してある湾、左手には石仏群がある


 到着したのが湾に面して立ち並んだリゾートマンション。森の「展望テラス」から見えた異様の建物はこのマンションだったのだ。

 これにて「小網代の森ウオーキング」は終了・・・。最初に予定していた「油壺温泉」、喉(のど)の潤(うるお)しの「麦酒」という贅沢はどうなったのか?


 実は悲惨な結果が待ち構えていた。リゾートマンションから急な坂道を上がり、バス通りへ出て1km、15分ほど歩いて「油壺温泉」に到着(地図の左下「油壺バス停」のもっと先)。なんと温泉のホテル、全館工事中で休業中。前回の「洒水の滝/鉄道公園:工事のため立入禁止」と同じ出来事。前回は「さくらの湯」でなんとかリラックスをしたが、今回は最後の「温泉」がなし。1時間に1〜2本しかないバスを「油壺バス停」で2-30分待って「三崎口」へ。そこで即、列車があったので「久里浜」「逗子」「大船」と乗り継ぎ、「二宮」に戻る。喉(のど)の潤(うるお)しの「麦酒」という贅沢は、家に帰ってからという結末であった。


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