2024 News ダイジェスト①銀座/箱根山/水戸
銀座 行 2024.1.30.
2024 News ダイジェスト①銀座/箱根山/水戸
銀座 行 2024.1.30.
今回は「銀座」の街歩き。まず「二宮駅」から東海道線で「新橋駅」。ここからスタートし、「銀座八丁目」に入り、七丁目-六丁目-五丁目-四丁目と進み、そこから東銀座の方へ(歌舞伎座)出向き、戻る。そして銀座三丁目-二丁目-一丁目、さらに「京橋-二丁目」-「日本橋三丁目-二丁目-日本橋」、その後「日本橋」を渡って戻り、「東京駅」へ。距離は5kmくらいであるが、のぞく店が沢山なので時間は不明である。どうなることやら。
まず覗いたのが「銀座七丁目」手前の右手「カフェーパウリスタ」(左写真)。これは1911年(明治44年)開業の喫茶店。その先の交差点「銀座七丁目」から銀座が続いている.「ソニービル」、昔はこんな感じではなかった。その奥にあるのが「銀座三越」(右写真)。ここは「銀座四丁目」である。時間が早くて開いていない店があったので(10時ちょっと過ぎ)、ここの交差点を右折して「歌舞伎座」へと向かう。
10分ほど歩いて「歌舞伎座」へ到着(左写真)。この1Fには「木挽(こびき)町広場があり、お土産やお菓子などを販売している。 「歌舞伎座」の横の細い道に「松崎煎餅本店」がある。ここは1804年(文化4年)のせんべい屋である。
「銀座四丁目」へと戻り、(右上写真)、
この左手が、時計台で有名な「和光」、右手が「三越」。
「三越」の玄関の脇には「ライオン像」がある。
三越の9F、屋上には「銀座出世地蔵尊」が安置して
あるというので行ってみると面白い「お地蔵さん」
があった(右下写真)。左の「お地蔵さん」ではなく、
中央の祠(ほこら)に安置されているのが「出世地蔵さん」
なのである。そして屋上の広場からお隣の「和光」の時計台
を眺めることができる。。
「銀座三丁目」を左折して裏の道にある
「煉瓦亭(れんがてい)」(左写真)、
ここは「明治誕生オムライス」が有名な洋食
屋さん、明治28年(1895年)。開店前のよう
、外には待っているお客さんがいたので違う
場所で昼食(オムライスが2400円、ちょっと高いなあ〜)。
表通りに戻り、次の交差点「銀座二丁目」(右上写真)、そしてこの石碑の前にあるのが「伊東屋」、明治37年(1904年)の文房具屋。このお店は地下1階〜12階、エスカレーターで登りながら各階の文房具見学。外へ出ると先の「銀座発祥の地」の石碑。ここが銀座役所の跡らしい(銀座とは江戸時代に銀貨幣を鋳造していたことから呼ばれた)。そして「銀座一丁目」をすぎて「京橋」の「煉瓦銀座の碑」「ガス灯」「京橋の親柱」へ(右下写真)。
「京橋」は「日本橋」と同じ頃に架けられた古い橋、慶長8年(1603年)でこの石像親橋(左写真)は明治8年(1875年)のもの。先の「ガス灯」の手前にある「親柱」は大正11年(1922年)に拡張したアール・デコ風の橋のもの。そして「京橋」には1月であるのにピンク色の花が咲いている。なんとこの花、「桜」である。説明板があり「十月桜:秋と春に咲くが、冬期も小さい花が断続的に咲く」右写真)。
箱根山 行 2024.2.20. そして今回の最後のお店「榛原(製品がいっぱい。
今回は「箱根山」歩き。まず前回(新宿/原宿行)と同じバス乗り継ぎ「秦野駅」。ロマンス号「ふじさん2号」で新宿へ。山の手線で「新大久保」。ここからスタート、「箱根山」へ。こんな「新宿区」に山なんかあるのか? そこには「箱根山」があるのです。
その交差点の先に「パブリックアートキリン」(左写真)。この二つとも比較的新しいもの。「ここを左折すれば正面に「八重洲口中央口前」。そしてとても古い和菓子屋さん「長門」享保年間から(1716年〜)に行くつもりで・・・迷った。細い道を入ったり、出たり、何処を歩いたか不明。諦めたとき、その店の正面にいた。300年以上前からのお店、出会うことができて良かった。
そしてちょっと歩いて「日本橋」(右写真)。ここが今回のウオーキング終点地。そして東京駅へと向かう途中の、事前に探しておいた「伊勢角屋麦酒八重洲店」にて面白い麦酒を頂く。歩いた距離はそんなに無かったが、店の中を色々歩いたからか、かなり疲れた「銀座行」であった。
まず「新宿」から2分で「新大久保」駅に到着。「新大久保」と言えば「コリアンタウン」。そんなお店が並ぶ「大久保通り」を15分、850mほど進むと、山の入口に到着する。石碑に「都立戸山公園 箱根山地区」と書かれている。大きなマンションが建ち並ぶ間の小道を進んでゆく。10分ほど進むと「箱根山 登山口」「ようこそ箱根山へ」と書かれた案内版が出てくる(左写真)。山の手前には古びた教会があり、何か歌声らしきモノが聞こえてくる。そして階段が現れ、それを登ってゆく(左写真)。
そして「箱根山」の頂上、先ほどの古い教会が下の方に見える(左上写真)。頂上にある案内版には、標高44.6m、登頂した記念に「戸山公園サービスセンター」に行けば「登山証明書」を発行しますと書かれていた。元々ここは尾張藩徳川家の下屋敷で、回遊式庭園「戸山荘」として整備され、箱根山に見立てた築山の「玉円峰」,小田原宿を模した二十五景がしつらえたという。その築山が今、「箱根山」と呼ばれている。新宿区で一番高い山という。
別の登山階段で「箱根山」山頂から下山(右写真)。その下の処に石碑があり「箱根山 陸軍戸山学校址」と書かれている。調べて見ると、1873年(明治6年)、ここに「陸軍兵学寮戸山出張所」が設置され、上下士官の訓練事務を始めたらしい。翌年、「陸軍戸山学校」と改称し「射撃・銃剣術・体操・攻守戦法・操練・諸勤務・喇叭」を教授したという。そこから下の方を眺めると、丸い変なものが見えている(左下写真)。何だろう? それは「旧陸軍戸山学校 野外演奏場跡」。陸軍の軍楽隊が使用、しかしどのように使ったかは、調べたけど不明。
「箱根山」の北の方へと降り、その先の「戸山公園はなの広場」(左真)を通って公園内を進み、その先の「戸山公園 早稲田口」から一旦、外へ出て「諏訪通り」を下る。3分ほど下ると「馬場下町」の交差点、その左手に大きな鳥居と階段。階段を登ってゆくと立派な「隋神門」。その先に「拝殿」(右写真)。ここは1062年創建の「穴八幡宮」、創建したのは「源義家(八幡太郎)」、最初は小さな祠のみ、1641年に横穴から金色のご神像が見つかったことで「穴八幡宮」という名になったという。
「戸山公園 早稲田口」へと戻り、再度公園の中へ。今度は公園の北の端の道を西へと進む。左手に池が見えたり(左写真)、小さな河の流れもあり、そして滝(右写真)。これらは当然、人工水路であるが、昔は「神田川」の支流「蟹川」が「歌舞伎町」付近から「戸山公園」-「早稲田」と流れていたらしいので、それを利用しているのかも・・・。
公園の北の端の道を最後まで進み、下の住宅地へと下る出口の階段があるのでそれを降り、右折、5分ほど進むと広い道(305号線)、そこを右折、3分で左手に「戸山公園 大久保地区」の入口がある。そこから木立の中、ビルを見ながら進んでゆく(右上写真)。
写真の左の建物は「新宿スポーツセンタ−」、その先を左折し南へ。一番奥にあるのが「いこいの広場」(左下写真)。そこから北へと戻り「こどもの広場」の横など通って「戸山公園 高田馬場口」から出て、昼食のラーメン。そして10分ほど歩いて「高田馬場駅」。そして懐かしの「BIG BOX」。竣工1974年、私の若かりし頃のビル・・・。今回のウオーキングは5.7km、けっこう疲れました。
水戸 行 2024.3.5-6.
今回は1泊2日の春の旅。まず「二宮」-「品川」、そして「品川」から常磐線特急ひたち7号、1時間20分で「水戸」。初日は「偕楽園」、2日目は「水戸城址」を見て回る予定。ちょっと天気は悪いらしい。
「東照宮」から駅の方へと戻り、ラーメン屋さんで昼食。残念なことに雨が降り出す。昼食後、10分くらい歩いてホテルに到着、重い荷物を預けて、身軽となった状態で雨の中を「偕楽園」へと進んでゆく。ホテルの前の広い道を15分(1㎞)進んで「泉町3丁目西」の交差点を左折する。「金魚坂」(左の崖の下が昔は養殖池だったのでこの名前)を下ってゆくと「好文亭表門通り」の登り坂が現れる。「好文亭」とは「偕楽園」の中にある建物の名前。
「表門通り」を10分くらい進むと「偕楽園」の入口に到着(左写真)。今年は梅の開花が異常に早かったので心配したが、ほぼ満開の状態で迎えてくれた。雨の影響で梅の花の鮮やかさは若干おとなしい。写真ではちょっと淋しい。この「表門」から「偕楽園」への入場である。シルバーは150円、免許証を出して年齢を証明しようとしたら、「生年月日を言ってくれるだけでいいですよ」、これは楽チンでよかった(見てくれで十分シルバーと解ったのかも)。
「表門」からは、梅ではなくて竹林を進んでゆく。そして「好文亭中門」(右写真)。そこから入り右手の入口で「昭和○○年10月6日生まれです」、これでシルバー100円。
まずは水戸駅の直ぐ近くの「東照宮」へ、歩いて5分。広い道を進むと左手に綺麗な装飾の鳥居から入る。ちょと進むと右手に階段があり、それを登るとすぐ「水戸東照宮」(左写真)。建立は17世紀、第二次世界大戦後に再建したという。
そんなに広くない境内には面白いモノがある。まずは「銅造 燈籠」。家康の33回忌の1651年(慶安4年)に奉納されたもの。そして「安神車(あんじんしゃ)」(右写真)。日本最古の鉄製戦車。実戦には使用されたことはなかったらしい。
「好文亭」は由緒ある日本建築。部屋ごとにふすま絵が異なり綺麗(左写真)。ここは「萩の間」。ふすまに描かれているのは「白萩(しらはぎ)」のようである。私のかつての同僚に、この絵のように優しくて綺麗な女性の先生がいた。彼女は定年の前に帰らぬ人となってしまった。「白萩」の花言葉は「想い、思案、内気、あなたを見つめる」らしい。そんな悲しくて、淋しい気分で見つめていた・・・。
外を見ると庭の梅が綺麗である。その先に見える三階建ての建物も「好文亭」の一部である。「太鼓廊下」を通って一階部分へ。そして二階に位置する三畳間の「武者控室」、三階の正室「楽寿楼」へと登る。
「楽寿楼」そこから下の庭と左の「見晴広場」
、右手の「田鶴鳴梅林」、遠くに見えるのは後
から訪れる「千波湖」を眺めることができる
(左写真)。
「見晴広場」の横にある「東門」から「偕楽園」
を出て、坂を降り歩道橋「偕楽橋」を通って
「千波湖」へ出る。その脇にある「千波公園」
(右上写真)。これらを見学するが、雨が強め、
そして寒くなってきたので「千波湖」を眺める喫茶店で休憩(寒いのでビールでなくコーヒー)。そこで見たのが湖から上がってきて道を横断してゆく「白鳥」、そして湖では「白鳥」の近くを泳いでいた「黒鳥」(右下写真)。おもしろいものを見せてもらった。この「黒鳥」は子供で、もっと大きな親鳥がいることを後から知った。
「千波湖」から「偕楽園」へと戻り、
「東西梅林」の奥の方へと進む。そこから
「見晴広場」へと向かう道の左右の梅,綺麗な
もんである(雨がなければもっと・・・)
(左写真)。広場には梅だけでなく、多様な樹木
がある。その中でもこの「松」が素晴らしい
(右上写真)。松の向こう、遠くに見えているのが
「千波湖」。
「偕楽園」から隣の「常磐神社」を参拝する。
この神社、「水戸黄門」を祀っている・・・と後から知った)。本殿の隣にある「常磐稲荷」、その連続した赤い鳥居も凄いが、その前の朽ちかけた「楠」がすごい(右下写真)。樹齢は約150年、幹の空洞化が進み伐採されたが、切り株から「孫(ひこ)ばえ:若芽」が映え、葉っぱが沢山出ている。空洞の中の根のようなモノも力強い。
「常磐神社」の駐車場にバス停があり15分ほど待って(1時間に1-2本の便)、そこから10分ちょっとでホテルの近くの停留所、そこで下車。本日はほぼ最初から雨のウオーキングであった。明日はどうなるか?
朝はゆっくりし9時過ぎのチェックアウト。水戸芸術館のタワーを目指す(開館が9時30分)。残念ながら今日も小雨。10分ほど歩いて「水戸市民会館」、そこからの「タワー」の姿(左写真)。正式名称は「水戸美術館シンボルタワー」。タワーは一辺9.6㍍の正三角形を57枚組み合わせた三重らせんとなった100㍍の高さ(水戸市制100周年記念)。地上86.4㍍の処に展望室がある。壁には丸い穴のようなモノがあるが、それは窓である(中写真)。エレベーターで展望室へ、そして丸い窓から外の景色(右上写真)。遠くに見える湖は、昨日訪れた「千波湖」。
その神社の周辺には、「弘道館」を建てた
「徳川斉昭公(烈公)」が手植えした神木
「鈴梅」(右写真)、「弘道館記碑」を納めた
八角のお堂「八卦堂」(左写真)がある。
「芸術館通り」を900㍍、15分ほど歩いて「水戸地方裁判所」、その前に広がるのが「水戸城三の丸空堀」である(左写真上)。 空堀の横の道(水戸学の道)を進んでゆくと正面に「水戸東武館」(右上写真)。残念ながら開いていなかったが、「剣道」「なぎなた道」「居合道」の道場である。水戸学の道はここで右折、この道場の隣に変わった建物がある(左下写真)。それが「水戸市水道低区配水塔」、1932年(昭和7年)完成、平成11年まで現役だったらしい。
「配水塔」から200㍍くらい水戸学の道を進んでゆくと、右側に「鹿島神社」の入口が現れる(中写真)。」この鳥居を通り進んでゆくと「弘道館鹿島神社」がある。「鹿島神社」なるものは全国に600社もあり、茨城県鹿嶋市の神宮が総本社である。ここは、後から訪れる「弘道館」が分祀した神社らしい。
「弘道館鹿島神社」から「弘道館」の脇の梅の綺麗な細道を通り(左写真)、そして「弘道館」の入口へ。この水戸藩の藩校は、9代藩主「徳川斉昭」が15年あまりの年月を要して安政4年(1857年)に開館したもの。藩校としては全国一の規模だったらしい。
外には綺麗な梅(右写真)、そして武術の試験などが行われた「対試場」などがある。この「対試場」の後ろにある建物が「正庁(せいちょう)」、藩主が臨席して文武の大試験や諸儀式が行われたところ、国の指定重要文化財となっている。
「弘道館」から出て、その正面にあるのが
「大手門」(左写真)。これは令和2年に復元整備
を完成した新しいもの。Googleストリートビュ
ーでは「大手橋」しか写っていなかった。
「大手門」から入ると「影考館(しょうこうかん)
」の跡地(右上写真)。水戸藩が「大日本史」
編纂のために置いた史局、この門は現在、水戸
市立第二中学校の門となっている。
そのちょっと先、右手に「水戸城二の丸角櫓(すみやぐら)」入口がある。ここは左右を竹のようなフェンスで、学校(小学校と高校)と分離した細い通路(400㍍)を進んで、やっと(5分ぐらい歩いて)「二の丸角櫓」に到着(左下写真)。先ほどの「大手門」の翌年、出来上がったもの。水戸城跡で、お城らしい建物はここのみ。櫓の中をちょっと見学し、雨の中をまた5分ほど歩いて帰る。
水戸学の道に戻り、250㍍ほど歩くと「水戸城本丸跡」に到着。ここにあるのが「薬医門」(左写真)。この門は安土桃山時代末期の建築、本丸と二の丸を通じる「橋詰門(はしづめもん)」と推測されている。後ろにある建物は水戸第一高校、附属中学校である。そこから水戸学の道に戻り坂を下ってゆく。
さらに下って広い道の下を通り、水戸学の道は「柵町城東通り」と合流する。そこを進むと「水戸黄門誕生の地」という石碑オブジェが現れる。その先に見えているのは「水戸駅」であるが、ここを右折するとすぐに「黄門神社」がある(右写真)。この地で黄門は生まれたらしい。「徳川光圀」は、昨日出向いた「常磐神社」の祭神であるが、彼の養育には複雑な事情があり、水戸の象徴である「黄門様」ということで、この小さな神社が祀られているという。
これにて「水戸行」の旅は終了。残念な天気であったが、綺麗な梅、東照宮、好文亭、千波湖、常磐神社、タワー、鹿島神社、弘道館、水戸城址、楽しいウオーキングであった。