湯島天神-上野ウオ—キング 2026.2.7

学問の道

湯島天満宮

旧岩﨑邸庭園

 洋館 撞球室 和館

不忍池 弁天堂

したまちミュージアム

上野恩賜公園

上野の森美術館


 

 今回(2.17)のウオーキングはJR「二宮駅」から「東京駅」へ、そこで乗り替え山の手線で「御徒町駅」。「学問の道」を通って「湯島天満宮」へ。そして東京都立文化財9庭園のひとつ「旧岩崎邸庭園」、そして上野の「不忍池」を通ってアメ横近くで昼食.その後「したまちミュージアム」、「西郷隆盛像」、「上野の森美術館」へ。


 「二宮駅」から「東京駅」、山の手線に乗り換えて「御徒町」駅(左上写真)。懐かしい「アメ横」の始まりだった。逆方向へと進み「学問のみち」を北上してゆく(右写真)。650m(10分)くらい進み、細い道へと入って行く(左下写真)。


 細い道の突き当たりにあったのは急な階段、その右には「地蔵尊」、その上には梅が咲いていた(左写真)。急な階段を登るのを止めて右折すると、「女坂」があった(左写真)。この道は事前にGoogleで調べておいた。

 「湯島天満宮」に到着(左上写真)。ちょうど「梅まつり」の最中だった。「社殿」の前の「狛犬」、その後ろの「梅」が綺麗だった(右上写真)。振り返ると後ろに「撫で牛」。頭を撫でると知恵を授かるらしく、その部分は金ぴか(左下写真)。私も老ボケ防止に頭を撫でてきた。天神さま「菅原道真」と「牛」とは深い関係があったらしい。そして出口「唐門」へと進むと、可愛らしい池があった。手前にあるのは「筆塚(泉境花)」(右下写真)。

 旧岩崎邸の前に大きな樹木があった.解説版によると樹齢400年、幹周り7.4mのイチョウであった。江戸時代からこの地にあったのだ(左写真)。その向かいに「旧岩崎邸」の建物がある(右上写真)。ここは1896年(明治29年)に建てられたものだが、最初は20棟の建物が並んでいたが、今はこの「洋館」と「撞球室」「和館大広間」の3棟だけとなったという。「洋館」のテラスから庭園を眺めると「芝庭」が広がっていた(右下写真)。

 「湯島天神」から「春日通り」に出て、「切通坂」を下って左折、10分ほどで「旧岩崎邸庭園」に到着(左写真)。ここは東京都立の9名勝庭園のひとつ。前回の「清澄庭園」もそのひとつ。ここで7庭園を制覇、あと2庭園となった。因みに訪れたのは「浜離宮」「六義園」「芝離宮」「旧古河庭園」「小石川後楽園」、あと2つは「向島百花園」と「殿ヶ谷戸庭園」。入口の先の坂道を登って邸内へと入って行く(右写真)。

 「洋館」の中には珍しい感じのトイレ(左写真)、「洋館」の奥側の「和館大広間」の外の和風の庭(右上写真)、「洋館」と地下道で繋がった「撞球室」(右下写真)などを見ることができる(地下道は立入禁止)。

 「旧岩崎邸庭園」から出て200m、「不忍池」に到着。池の向こうのビルの間に「東京スカイツリー」が見えている(左写真)。池の中の中央にある「不忍池弁天堂」の脇を通り(右上写真)、向こう岸へと進む。途中、「駅伝の碑」があった(右下写真)。そこには「駅伝の歴史ここに始まる」と書かれ、日本最初の駅伝が1917年(大正6年)に行われ、京都の三条大橋をスタートし、ゴールはここ(3日間)であったと解説されている(右下写真)。

 「不忍池」から「アメ横」の方へと進み、ラーメン屋さんで昼食。そして「不忍池」に戻り「したまちミュージアム」へと入る。内部には懐かしいものが色々と展示されている(左写真)。1Fには古い家屋が展示されおり、その台所にあった電気釜が、私の子どもの頃と同じで感激してしまった(右写真)。

 そして「上野恩賜公園」へ。階段を登り右手、西郷隆盛さんにご挨拶(左写真)。その後ろに進むと「彰義隊の墓」がある(右写真)。新政府軍は西郷さんの陣頭指揮で上野の山を総攻撃。そこで破れた「彰義隊」の遺体は円通寺の住職らによって荼毘(だび)に付され、その後ここに墓が作られたという。

 そこからJRの上野駅へ向かうが、途中「上野の森美術館」に寄り、開催中の「アトリエ展2026」を見学、入場無料(左写真)。アートスクールの受講者の作品、色々な絵画が沢山あり、まだ無名の芸術家の作品であるが、ン〜 と唸ってしまうものがあり、十分に楽しむことが出来た(右写真)。


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