小学校の頃、運動場で遊んでいて、ふと北の方を振り向くと、遠くに「富士山」が凜々(りり)しくそびえ立っていた。静岡市内の小学校である。「富士山」は「見る」という感覚で共に過ごし、未だに登山していない。今後もしないだろう、「見るもの」である。


 ここに「富士山」の写真が3枚ある。私が撮影した写真で、撮影場所はそれぞれ異なる。さあ、どこから撮影したものだろうか。


 ①「神奈川県足柄上郡中井町」、 ②「静岡県静岡市清水区由比」、     

 ③「山梨県甲斐市下福沢」

           

 詳しく言えば、撮影地①は「すぽれじゃ研究所」の近く、最近の「すぽれじゃの旅44・古跡③」で紹介した「大山道宇塔坂」の「一本松峠」、

 撮影地②は今年の4月公開の旧東海道26「由比-興津」の景勝地「薩埵(さった)峠」、

 撮影地③は2016年11月8日、「すぽれじゃの旅2」の「昇仙峡」、ロープウェイで登った山頂の「浮富士広場」、からの写真である。


「すぽれじゃ」の旅49 写真を語る① 「富士山」

 正解:左の写真が①の神奈川の「一本松峠」、中央下の写真が②の静岡の「薩埵(さった)峠」、そして右の写真が③の山梨の「浮富士広場」からの写真である。何故、それが分かるのか。これらの「富士山」には違いがある。それは「宝永山(ほうえいざん)」の存在である。宝永山とは、宝永4年(1707年)の噴火で現れた富士山の最大「側火山(そっかざん)」である。標高は2693m、これ以降は富士山の噴火はないので最新の側火山になる。


 中央下の写真、②の静岡からの富士山には、右の尾根の途中にチョコッと「宝永山」が飛び出している。左の写真、①の神奈川からの富士山には左の尾根の手前に「宝永山」の火口の凹みが見えている(ちょっと見づらい)。そして右の写真、③の山梨からの富士山には何も見えていないのである。


 静岡の人が思い浮かべる「富士山」には特徴がある(個人的かも?)。このページの最初に出した絵の写真がそれである。私の小学校の頃の図画工作では、こんな風に描くことを教わり、その後、年賀状にはこんな「富士山」を描いたものだ。つまり富士山の右側に「宝永山」をチョコッと描くのが当然であった。


 ②の静岡の「薩埵(さった)峠」からの「富士山」は、歌川広重の代表作「東海道五十三次」の由比宿の風景で有名である。「薩埵(さった)峠」越しに雪を頂く霊峰富士が描かれており、現在もほぼ同じ眺望を楽しむことができると解説書には書かれている。歌川広重は1797年の生まれだから、その90年も前に「宝永山」は現れている。さあ、広重はどんな風に「富士山」を描いているのだろうか(下の左写真)。


 残念ながら「宝永山」は描かれていない。それは広重が静岡人でないからか、それとも芸術的な美しさの追求からか、不明である。因みに、非常に優れたスケッチ力のある「葛飾北斎」は静岡の富士市辺りから富士山を描いているらしい(下の右写真)。北斎は幾何学的なデッサンにこだわり、「宝永山」を枠外(この絵の右の外)にしたという説もあるようだ。

 「富士山」は見て楽しむ山である。しっかりと見てみよう。


 次回は「猿」の話

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