写真を語る7回目、今回から「石仏」。「石仏」とは「石に彫られた仏像」のことであるが、ちょっと広げて、神社や仏閣の「狛犬」、遺跡の「埴輪」なども紹介予定。今回は仏像を中心。
写真を語る7回目、今回から「石仏」。「石仏」とは「石に彫られた仏像」のことであるが、ちょっと広げて、神社や仏閣の「狛犬」、遺跡の「埴輪」なども紹介予定。今回は仏像を中心。
石橋山古戦場にある「文三堂」
「文三堂」は小田原からちょっと先の「石橋山古戦場」にある。この「石橋山古戦場」は「源頼朝」の初戦、それもひどい負けであったという場所(2019年1月のNewsで報告)。1180年8月、敵3000の大軍勢に頼朝は300で挑み、「与一」という若い武将が頑張るが敗戦。「与一」は討ち死にしてしまう。この戦闘は江戸時代になって歌舞伎で演じられるようになり、役者の演じる美男子「与一」は人気者となってゆく。頼朝が平氏を滅ぼした後に訪れ、涙を流したという「与一」の墓、「与一塚」がここ古戦場の跡にはある。「文三堂」はそれからちょっと離れたところ。それは「与一」が小さい頃からの爺やであった年老いた家来「文三」のお堂である。この「文三」もこの石橋山の戦いで無念の死を遂げた人物である。そのお堂に向かう階段の途中にあるのがこれらの石仏なのである。ひとつの石仏には「元治元年」という文字が読み取れる。それは1864年、江戸時代の幕末である。「与一」「文三」には悲惨な戦いであっただろうが、この石仏たちの面影は、何となく可愛いというか、ホッとするものであった。
京都大原三千院の「わらべ地蔵」
京都大原三千院の庭園「有清園」には、苔と一体になった小さな「わらべ地蔵」たちが隠れている。仲良く寄り添ったり、寝そべったり、子どもらしく可愛い苔むした地蔵さんたち。この庭には6体の地蔵さんが隠れているらしい(4体しか確認できなかった:ページ一番最初の写真とこの写真)。
「すぽれじゃ」の旅42〜48 「田舎町の古跡(ふるあと)」で報告した中井町、そこで出会った石仏たち。相当に古そうなものから新しいものまで、いろんな仏さんと出会える田舎町、なかなか良いものである。

