旧東海道五十七次 伏見〜淀〜枚方 9/16-17

9/16 伏見

伏見九郷総鎮守 御香宮神社

寺田屋/龍馬とお龍の愛の旅

三十石船乗り場/壕川

三栖閘門/伏見みなと広場

9/17 淀-枚方

淀城/ケーブルカー

石清水八幡宮/淀川資料館

鍵屋資料館/飛行神社

⬆️大阪    京都️⬆️

 

 旧東海道五十三次最終回は5/20〜5/21の「石山-大津-京都」で終了した。 2017年から約8年、68回の「東海道五十三次」であった。その最終回の報告の中で話をした「髭茶屋追分」という分岐点。「京阪京津線」の「追分(滋賀)」駅の直ぐ近くの別れ道、右は京都の三条に向かうが、左は「伏見宿」へと向かい東海道五十七次となるという処。最終回は右へと「京都」に向かったが、今回は左へと向かい「伏見宿」へ。

 しかし今回はこの分岐点からスタートではなく、「伏見宿」からスタート(まだ夏で暑い。当日はなんと最高気温35°、「髭茶屋追分」からスタートしたら多分、熱中症で倒れていたと思われる)。


 新幹線で「京都駅」、そして「近鉄京都線」に乗り替えて10分、「桃山御陵前駅」に到着。「髭茶屋追分」から五十七次のルートでは約10km先の「伏見宿」。ねらいはこの先の「寺田屋」。坂本龍馬が襲われた有名な旅籠である。

 「桃山御陵前駅」で下車し、その駅前の高架下京都ラーメン「大中」にて昼食。そして、ちょっと先の「伏見九郷総鎮守 御香宮神社」へ向かう。とても暑い。「表門」(左上写真)から入り、すぐに「鳥居」(右上写真)。殆ど無い日陰を探しながら前進、暑いでなく熱い。ようやくたどり着いた「拝殿」と奥の「本殿」(左下写真)。「拝殿」の通路にある日陰の下の台に座り休憩。このまま熱中症で倒れ込みそうな状態であるが、時折、涼しい風が通ってゆく。何とか参拝し、無事に進めるように祈願する。そして裏にある小さな「社」や「宮」にご挨拶し(右下写真)、「桃山御陵前駅」へと戻る。

 駅のちょっと先に「大手筋」といいう商店街があり、そこへと入って行く(左上写真)。中には屋根があり、日が当たらず、店の奥から涼しいエアコンの風が通路へと入り込んでくる。300mほど進むと「南部町通り」と交差する(左下写真)。この通りが「伏見区総合庁舎」の横を通り「宇治川」の方へと繋がる「旧東海道五十七次」の街道である。その先にある「寺田屋」へ向かう「竜馬通り」(右写真)を進んでゆく

 「寺田屋」到着(左上写真)。ここでは「寺田屋騒動:文久2年(1862年)」と「寺田屋事件:慶応2年(1866年)」が有名。「騒動」は薩摩藩士の同士討ちの騒動、「事件」は「坂本龍馬」が伏見奉行所の捕史に囲まれた事件。この階段(右写真)を登って行った2階に龍馬が愛用した部屋がある(左下写真)。

 この襲撃事件が始まる頃、後に妻となる「お龍さん」が風呂(左写真)に入っていたとき異変に気がつき、裏側の階段(中写真)を裸のまま駆け上がって龍馬に知らせた。龍馬は負傷しながらも脱出に成功し、薩摩藩に保護されたという。「寺田屋」から出たちょっと先に川が流れ、その川沿いの道に「龍馬とお龍の愛の旅路」像がある(右写真)。

 川沿いの道を歩いて行くと船着き場のようなものがある(左上写真)。後から調べると「三十石船乗り場」、向こう側の橋辺りは「伏見口の戦い激戦地跡」であった。江戸時代の元禄期、「三十石船」の長さは11〜15mだったらしい。「伏見口の戦い」とは幕末の慶応4年(1868年)、「鳥羽伏見の戦い」が始まる前日、会津藩の先鋒隊約200名が大阪から船で来てここに上陸して戦ったらしい。

 川沿いの道には柳の木が植えられ、何とか暑さをしのいで進んでゆく(右写真)。すると後ろの方から変な音が聞こえてくる。何とそれは「三十石船」のようなもの(左下写真)、調べたら伏見の遊覧船「十石舟」であった(「三十石船」の遊覧船もあるらしい)。

 この川は「濠川」と合流し、そこには「伏見であい橋」があり、それを渡って「濠川」の川沿いの道を進んでゆく(左上写真)。目指したのは「三栖閘門(みすのこうもん)」(右上写真)。この門の向こう側に「宇治川」が流れているらしい。そこから舟のようなベンチがある「伏見みなと広場」(左下写真)へと戻り「伏見みなと橋」(右下写真)を渡って京阪本線の「中書島」駅へ。伏見のウオーキングは4km。短い距離であったが暑さでクタクタ。電車5分くらいで「淀」駅。ホテルには3時30分にはチェックイン。もう、休息タイムとした。

 朝、8時にはホテルチェックアウト。昨日、暑さ疲れのためキャンセルした「淀城」の跡(左写真)を見学して「淀」駅へ。そこから京阪本線で1駅、「石清水八幡宮」駅へ。そこですぐ隣にある「ケーブル八幡宮口駅」からケーブルカー(右写真)で山の上へと向かう。

 「ケーブル八幡宮山上駅」で下車、降りてすぐの処に「展望台」への急な階段(左写真)。「危険なので登り降りしないように」と書いてあったが登る。上には「男山展望台」(右上写真)。そしてそこからの展望(右下写真)。右の下の緑の所が「木津川」。左の遠くの緑の所が「宇治川」。その奥が「桂川」。写真に写っていない左の先で、この三つの川は合流し「淀川」となる。

 急な階段を降り、山の参道を400mほど進んで左折し、神社への参道を進むと「石清水八幡宮南総門」が見えてくる(左上写真)。その門の奥が国宝の「御本社」(左下写真)である。その左手には御神木「楠」(右写真)、「楠正成」が建武元年(1334年)に必勝を」祈願し奉納したらしい。樹齢は約700年。そして「楠」の横を通り、「御本社」の周りを一回りして「南総門」へと戻る。

 「南総門」から参道を下って「三ノ鳥居」。鳥居をくぐって振り返ると,遠くに赤い「南総門」が見えている(左上写真)。そして鳥居から左折し、長い下り階段を降りてゆく(右写真)。最後の方には「七曲がり」という急な階段が出てくる(左下写真)。この階段下りが原因で明日、モモの筋肉痛となった。

 ようやく平地のウオーキングとなり、面白い形の「安居橋」を見学(左上写真)。左手にある「頓宮」の先にある「放生池」を眺め(左下写真)、大きな鳥居の近くで休憩。この鳥居は「一ノ鳥居」(右写真)、ケーブルカーを使わない参拝客はこの鳥居をくぐり、「七曲がり」+「なが〜い階段」を登ってゆくのだ。それは無理なウオーキングで、ラッキーな私、と思っていたら、突然の☂。まあ大丈夫だろうと思い、休憩を続けていたら大雨。鳥居から駅まで220m(後からGoogleで計測)、雨に濡れながらダッシュ。もう1箇所寄る予定だった所を諦め、電車で「枚方(ひらかた)市」へと移動。途中で雨は止んできた。


「枚方市駅」から15分ほど歩いて、また階段を登る(左写真)。登った先にあるのは「御茶屋御殿展望広場」(右上写真)。そしてそこからの展望(右下写真)。見えているのは「淀川」と「淀川流域自然園」である。


 「展望広場」から先ほどの階段を下り、「淀川」方へと進み10分、「淀川資料館」に到着(左写真)。そんなに広くないが、いろんな資料が展示されていた。そこから「淀川」へと出て、河原の道を進んでゆく(右写真)。


 そして10分歩き、たどり着いたのが今回のウオーキング最後の目的地「枚方宿鍵屋資料館」(左写真)。この資料館の前が旧東海道五十七次の道であるらしい。「鍵屋」というので昔の鍵を沢山展示してある処と思い込んでいたが、ここは昔の旅籠屋であった。いろんな部屋(右写真)などを見学して終了、京阪本線「枚方公園」駅へと向かう。

 駅前で昼食ラーメンを食べ、「京都駅」へと戻る。予定よりもかなり早く着いてしまう、どうしようかと電車の中で考えていると「石清水八幡宮」駅。そうだ、先ほど突然の雨で中止した処へ行ってみよう。すぐに下車してたどり着いたのが「飛行神社」(左上写真)。この正面にあるのが飛行機のエンジン。鳥居の右手には神社(左下写真)。境内にはプロペラも展示してある(右写真)。創建は1915年(大正4年)という。奥には資料館もあるが、電車の時間があるので駅へと戻る。

 京都から小田原まで新幹線「ひかり」で126分、電車の時間が沢山かかるものであった。東海道五十七次、次回は最終回「大阪」である。


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