旧東海道 ⑪ 丸子〜岡部〜藤枝
旧東海道 ⑪ 丸子〜岡部〜藤枝
旧東海道 その30 丸子(まりこ)-岡部
2025年12月30日火曜日
「旧東海道」ウオーキング、 今回は静岡の「丸子(まりこ)」〜「宇津の谷」の峠を超えて「岡部宿」、我が故郷「静岡」の旧東海道である。まずはJR東海道線「二宮駅」から「小田原駅」、そこで新幹線に乗り換えて45分、「静岡駅」へ到着。徒歩5分で「新静岡駅」へ。そこから始発のバスに乗車、前回に歩いた「安倍川橋」をバスで通過、バス乗車34分で「二軒家大鈩不動尊入口」で下車。そこからスタート。
東海道ルネッサンス
一里塚/宇津ノ谷
明治トンネル
石垣/地蔵堂跡地
宇津ノ谷峠/髭題目碑
延命地蔵尊/柏屋
岡部宿本陣址
姿見の橋/五智如来
バス停からすぐそこに、前回に歩いた旧東海道。ちょっと進むと「ようこそ丸子路へ」と書かれた案内板が出てくる(上左写真)。木製の案内板でいつまで保つかはわからないが、何となく風情がある。その先には「水車」が設置された建物があった(上右写真)。良く見ると「丸子紅茶 日本の紅茶発祥の地」と書かれた看板がある。後から調べてみると、旧幕臣の多田さんが移住して茶園を造り、中国などで紅茶製法を学び、1881年(明治14年)に初めて紅茶生産を始めたという。残念、しっかりと観てくれば良かった。
静岡から来たバスの道は1号線を中心に進み、そして「静岡県道208号藤枝静岡線」と合流、とても広い路である(上左写真)。旧東海道は先の古びた風情のある旧道を終了し、広い路の脇の歩道となる(上右写真)。写真の左の雑草の向こう側が広い路である。ふと路の下を見ると「東海道ルネッサンス」というマンガ入りのプレートが付けられていた。後から調べてみると、2001年に東海道整備400周年、国土交通省が「街道ルネッサンス交流会」を開催したらしい。そこから「東海道ルネッサンス」という言葉が生まれたのかも。
この「東海道ルネッサンス」プレートから500mほど先、先写真の奥に写っている建物の左手に歩道橋があり、そこで広い路を横断した先に「一里塚址」がある(上左写真)。残念ながら「丸子路案内」板の支柱となってしまっている。その先ちょっと進むと「道の駅 宇津ノ谷峠」があり、その先に大きな道路、歩道橋が見えてくる(上右写真)。歩道橋の処で1号線と208号線は分離、1号線は「宇津ノ谷トンネル」に入って行き、208号線は「丸子川」沿いに峠へと登ってゆく。
「丸子川」沿いに進んでゆくと「ようこそ、宇津ノ谷へ」という看板が現れる。この看板の左側が旧東海道、「←明治トンネル」という案内板がある。反対の右側が208号線で、この先「宇津ノ谷隧道」へと入ってゆく。
左側、旧東海道を進むと風情のある家並みが現れる(上右写真)。「車屋」「伊勢屋」などの屋号の看板が軒先に掲げられていた。
宇津ノ谷の集落を進んでゆくと急な坂が現れる(上左写真)。右の方にも行けるのだが、この坂道を上る。ちょっとしんどかったが案内板が出てくる(上中写真)。近道だったようだ。「明治のトンネル」と書かれた方向(左)へと進む。そして素晴らしきトンネルが出てくる(上右写真)。
実は「宇津ノ谷峠」には明治、大正、昭和、平成の4つトンネルがあるのだ。この「明治のトンネル」は馬車や大八車が中心、大正には自動車に対応した「宇津ノ谷隧道(大正トンネル:208号線)」、そして「昭和のトンネル」と「平成のトンネル」(現在は1号線の上りと下りとなっている)、この4つなのである。旧東海道は当然、峠越えである。
「明治トンネル」から先の「案内板」の処に戻る。そのまま進んでゆくと208号線に出る。旧東海道は先の「案内板写真」の奥に写った看板に「東海道宇津の谷峠越え」と書かれていた。そこから左上の方に上ってゆくのだ。ちょっと登ってゆくと「道祖神」が出てくる(上左写真)。神様に「頑張るから宜しくね」と言って通過。その先には雰囲気のある坂道が続く(上中右写真)。
さらに峠を登ると階段の道もある(上左写真)。階段の途中に木が倒れており、道を塞いでいる。何とか木の間を潜って先に進む。すると右手に石垣が現れる(上中写真)。近くにあった解説版によれば、江戸時代にあった「峠の地蔵堂跡の石垣」らしい。石垣は高さ7m、幅12mの二段構え、上の方へと登って行くと「地蔵堂跡地」があった(上右写真:左にあるのが地蔵堂の解説版、柵の右手の坂が石垣)。
その先、しばらく進むと「宇津ノ谷峠」に到着(上左写真)。土の道を下り(上中写真)、途中からアスファルトの道と合流し下ってゆく(上右写真)。
下りの最後の方に「髭題目碑(ひげだいもくひ)」が現れる(上左写真)。解説版によれば、「南無妙法蓮華経」という碑の正面の題目が、髭のようにはねた書体で刻まれているので「髭 題目」と言われるらしい。そして下山である(上右写真)。合流する道は「蔦(つた)の細道」という「宇津ノ谷峠」にある古道。平安時代から1590年に豊臣秀吉が旧東海道を開くまで、700年もの間、官道として使われた古い道であった(旧東海道とは全く異なるルート)。
「蔦の細道」と合流したすぐの処に「延命地蔵尊(坂下堂)」がある(上左写真)。むかし、むかし、牛を引いてきたお百姓さん、突然、牛が動かなくなってしまった。その時、子供が現れ、牛の鼻をとって声を掛け、らくらくと動かした。お百姓さんはその子供を見失ったが、残った子供の足跡をたどってゆくと、それはお地蔵さんの前で消えていた。そのことからお地蔵さんを「鼻取り地蔵さん」と呼ぶようになったという(後から調べた昔話)。上に登ると沢山の地蔵さんがあった(上中写真)。でも「鼻取り地蔵さん」は本堂のなかだろう。このお堂、建立年間は不明だが、1700年に再建という。その時、立派な「鐘楼」も建てられたという(上右写真:左手」)
「道の駅 宇津ノ谷峠」にて昼食後、208号線を進む(上左写真)。そこを20分ほど進んで分かれ道が現れる」(上右写真)。左の道が208号線、右の道が旧東海道。分かれ道は200mほどで終了、また208号と合流。
そしてその先に「大旅籠柏屋」がある(上左写真)。現在は「岡部宿」の様子を伝える郷土博物館となっており、国の登録有形文化財となっている。その隣にあるのは「岡部宿本陣址」(上右写真)。現在この門の中は「岡部宿公園」となっている。
そこから150mほど208号線を進むと旧東海道は左に分かれる。その細道をちょっと進むと「小野小町の姿見の橋」がある(上左写真)。その解説版を読んでみると、絶世の美女 小野小町が旅の途中、この橋で美しい夕日と山に見とれていたが、ふと水面をみると疲れ果てた自分の姿が映っていた。そして自らの老いの身を嘆き悲しんだ、と悲しい話が書かれていた。私も水面をのぞいて見たが、水が少なく逆光で見えなかった(よかったかも)。そして、由緒ありそうな道を進む(上右写真)。
そして750m、10分ほど旧東海道を進むと突き当たり、そこを右にちょっと行くと208号線との交差点。そこを左に進むと「五智如来公園」がある(上左写真)。その奥に見えているのが「岡部総合案内所」。ここには沢山の資料があり、係の人が親切にマップなどを提供してくれた。そして公園の奥には「五智如来」が並んでいる(上右写真)。この「五智」とは仏が備える5つの智のこと、それを成就した「阿弥陀如来」「釈迦如来」「大日如来」「阿閦(あしゅく)如来」が祀られている。
今回のウオーキングはここにて終了。バスで30分、「藤枝駅」へ。そこからJR東海道線で「静岡駅」、新幹線に乗り換え「小田原駅」、そして「二宮駅」。今回のウオーキングは8km、3時間。行きの交通機関移動2時間、帰りの交通機関2時間30分。だんだん遠くなりますなあ。
次回は、「藤枝駅」からバスで「五智如来」に会いに行き、そこからスタートして「藤枝宿」へという予定。
2025年12月30日火曜日
2025年12月30日火曜日
旧東海道 その31 岡部-藤枝
2025年12月30日火曜日
このバス停から旧東海道を、藤枝駅からバスが通ってきた路線を戻る。300mほど進むと「岡部宿松並木」が出てくる(上左写真)。松並木は500mほど続き、強い日差しを避けるための影を造ってくれて助かる。前方に「藤枝バイパス」がある交差点には「石灯籠」があり、その向こうの石碑には「これより東海道 岡部宿」と書かれている(上右写真)。江戸へと向かう人にとっては「岡部宿」の入口だが、私にとっては出口である。
松並木/横内
鬼島一里塚/八幡橋
須賀神社/成田山
さわやか通り
大慶寺/下本陣跡
勝草橋/志太一里塚
鏡池堂/六地蔵
「藤枝バイパス」の下を通り、「東海道横内→」という看板(上左写真)に従って細い道を「横内」へと入ってゆく。800mほど進むと、また松並木が出て来て、「横内」の出口の看板が出てくる(上右写真)。
その先の交差点「仮宿」には大きな歩道橋があり(上左写真)、道を横断し、再度横断して、写真の中央奥に見えている細い道へと進んでゆく。その先の標識には「藤枝市八幡」その下には「東海道ルネッサンス」というマンガ入りのプレートが附けられていた(このプレートは前回の丸子-岡部で発見)。そして一番上には「197」という数字(上中写真)。これは一体何かと考えたが、旧東海道が日本橋からここまで197kmということ。そしてまた、所々に松並木が残る道となる(上右写真)。
「旧東海道」ウオーキング、 今回は静岡の「岡部宿」から「藤枝宿」である。まずは前回と同じようにJR東海道線「二宮駅」から「小田原駅」、そこで新幹線に乗り換えて45分で「静岡駅」へ到着。JR東海道線に乗り換えて20分、「藤枝駅」へ。藤枝駅前からバスに乗車、前回の最後である「五智如来公園」へと30分。二宮駅から旧東海道ウオーキングスタートまで2時間20分、
だんだん遠くなってきた。
さらに進むと「鬼島一里塚」(上左写真)、残念ながら写真の左手、電気メーターボックス?の横に建っている白い木。そこには「史跡 鬼島一里塚跡」と書かれている。そこから200mほど進んで「八幡橋」で「葉梨川」を渡り、即右折(上右写真)。
橋から350mほど進むと、梯子(上には鐘:ミスして未撮影)、木製の灯籠、石碑が現れる。その石碑には「旧東海道・鬼島の建場」と書かれ、「十返舎一九」の「東海道中膝栗毛」の文章が書かれている。「建場(たてば)」とは宿場と宿場の間の幕府公認の「お休み処」。書かれている膝栗毛の文章は「お茶まいるサア・お休みなさいマシ」と言う茶屋女の進めで「昼間ッからイッパイ」という「弥次郎兵衛」と「喜多八」の状況である。そここから200mで「須賀神社」、そこには樹齢500年、高さ23.7mの「楠」がある(上中右写真)。立派なものである。
「須賀神社」の「楠」を楽しんだ後、10分位歩いて予定していた「ラーメン屋」に到着し、中に入ると順番待ちのお客さんが沢山。「こりゃ無理だ」と思い、すぐ先のコンビニでサンドイッチと飲み物を購入。駐車場の日陰の処に座って昼食。残念であるが、時間の節約となった。
コンビニから300m先に「藤枝成田山」がある(上左写真)。正式には「成田山新護寺」といって千葉の成田山の直末寺院。そんなに大きくはないが、面白いモノがいろいろとある。一番気に入ったのは「ボケ除の像」(上右写真)。「頭やかぼちゃをなでて下さい」と書かれていたので、しっかりと頭を撫でてきた、ボケません用に・・・。でも何故「かぼちゃ」?。後から調べると「かぼちゃを食べるとボケない」という言い伝えがあるらしい。知らなかった、かぼちゃは撫でなかった。
「成田山」の先から旧東海道の路は「さわやか通り」→「白子通り」→「長楽寺通り」→「ちとせ通り」→「上伝馬通り」となり、いろいろな商店街が2km以上も続いてゆく(上写真)。
その商店街の途中に「大慶寺」があり、そこの「久遠(くおん)の松」が立派である(上左写真)。高さ25mのクロマツ、「日本の名松100選」「静岡県の天然記念物」に指定されている名木である。そこから200m先には「藤枝宿下本陣跡」がある(上右写真)。この標識は通りの道路のプレートとしてあるので、見逃してしまう可能性は高い。
本陣跡から400mで「瀬戸川」に架かった「勝草橋」を渡る(上左写真)。橋を渡ると右手に「勝草橋公園」があり、そこに石灯籠と「志太一里塚跡」が現れる(上右写真)。この一里塚は江戸から約200km、五十里目に当たるという。因みに解説版によると「主要街道の一里毎に里程標を置くようになったのは、織田信長の時代に始まるという」、知らなかった。
一里塚の後、所々に松が残っている(上左写真)。この松は歩道の方にはみ出しており、ガードのカバーがまかれていた。その先の交差点の手前にも松があり、標識に「静岡」「浜松」「藤枝駅」と書かれている(上右写真)。一里塚から1kmのこの交差点、真っ直ぐに進めば藤枝駅まで800m、10分。
しかしこの交差点から藤枝駅へと向かわずに、その脇の細い道(上左写真)、旧東海道を進むこととした。昼食をコンビニ駐車場で済ませて節約できた時間のおかげである(身体は疲れているが)。そして進んでゆくとまた松並木(上右写真)。藤枝宿はかなり松並木が残っている。
やっと今回のウオーキングの目的地「鏡池堂(六地蔵堂)」に到着(上左写真)。先ほどの交差点から1.2km。奥の方には六体の地蔵が彫られたものが置かれていた(上右写真)。実際の六地蔵は木板に六地蔵が刻まれ、金箔が押されたもので、秘仏となって「鏡池堂」の内部にあるらしい。
今回のウオーキングはここにて終了。ここから1km、15分で「藤枝駅」。そこからJR東海道線で「静岡駅」、新幹線に乗り換え「小田原駅」、そして「二宮駅」。今回のウオーキングは約10km、かなり歩いた旧東海道であった。
次回は、「藤枝駅」から「鏡池堂(六地蔵堂)」まで1kmを歩き、そこから旧東海道をスタートして「島田宿」へという予定。