旧東海道 ⑫ 藤枝〜島田〜 金谷

追分/松並木/千貫堤

上青島一里塚/栃山橋/蓬莱橋/島田一里塚

問屋場跡/島田鹿島踊

島田宿/刀匠島田顕彰碑

大井神社/大奴/三番叟

大井川川越遺跡

大井川橋/水神社

本陣跡/金谷一里塚

 

 「旧東海道」ウオーキング、 今回は静岡の「藤枝宿」から「島田宿」「金谷宿」である。先月に予定していたウオーキングは強風のため延期、2ヶ月ぶりの「旧東海道」である。今回もJR東海道線「二宮駅」から「小田原駅」、そこで新幹線に乗り換えて45分、「静岡駅」へ到着。JR東海道線に乗り換えて20分、「藤枝駅」へ。藤枝駅前からタクシーに乗って前回の最後である「六地蔵堂(鏡池堂)」へ。そこからスタート。

  スタートしてすぐに右手に「古東海道」の石碑があり、そのちょっと先に「東海道追分」の石碑がある(上左写真)。先ほどの古道と、この石碑の右側の旧東海道とが分かれるところを「追分(おいわけ)」と呼んだらしい。スタートから500mくらいで松並木(上右写真)。その先に「千貫堤(せんがんづつみ)」がある(説明板のみ)。江戸時代の初期に「大井川」の氾濫から村々を守るために築かれた堤防。高さ3.6m、幅29m、費用が「千貫」、市の指定文化財となっている。1貫は1文銭1000枚、その1000倍、すごい金額である。

 松並木がまた始まる(上左写真)その先350mほど進むと、「静岡金型前(一里山)」というバス停がある。何か由緒のある処かと思って調べたら「静岡金型」という会社だった。そしてこの「一里山」という地名は「一里塚」を現していると思われる。この松並木の中に一里塚跡の石碑が立っている(上右写真)。ここは「上青島一里塚」という名前で、昭和57年に円形の石積みが発掘されたらしい。

 その後すぐに旧東海道は広い道「島田岡部線(381号線)」と合流。その道の横には松並木が続いている(上左写真)。そして「藤枝市」から「島田市」へと入ってゆく)。

 広い道を1kmほど進みJR「六合駅」の辺りでまた細い旧東海道となり500mくらいで381号線と合流、その先500mで「栃山橋」に出る。川の名前は「大津谷川」。ここが江戸日本橋から207.3kmである(上右写真)。

 「栃山橋」を渡りすぐに旧東海道は381号線から別れ、1kmほど進んだ地点で左折し細い道へ。これは寄り道である。1kmくらい進み「大井川」に出る。そこで見たものは木製の橋である(上左写真)。「蓬莱橋(ほうらいばし)」全長897m、通行幅2.4mの木造歩道橋。そして「賃取橋(渡橋料金大人100円)」であり、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネス認定。橋の入口右側には「明治拾貳年架橋」と書かれている。この入口の手前には「蓬莱橋897.4(やくなし)茶屋」(橋の長さ=厄無し=パワースポット)と「勝海舟の銅像」がある。勝海舟が何故此処に? 調べてみると、この橋の向こうがお茶で有名な「牧ノ原台地」、この茶畑の開墾に支援をしたのがこの勝海舟であった、というお話。

 このときは橋を渡らずに旧東海道に戻ったが、何となく残念であったので、次回の島田宿行のときに再度訪れ(島田駅からタクシー)渡ってみた。向こう岸のちょっと高台から橋を眺めた(上右写真)。

 「8974橋」から1km歩いて旧東海道に戻る。そしてちょっと歩いて「島田一里塚」(上左写真)。その斜向かいに「甘露の井戸水」(上中写真)。昭和の初めにここには「甘露亭」という料亭があり、そこの水が美味しかったらしい。そのちょっと先に「問屋場跡」がある。敷地は間口14.5m、奥行き9.1mの広い場所、常備人足136人、伝馬は100匹、飛脚が10人常駐であったという。その向かいの街路樹の処に面白い手製の看板が置いてあった(上右写真)。「島田鹿島踊」という江戸時代からの疫病鎮めの踊りらしい。


  そして「島田宿案内図」(上左写真)、「刀匠島田顕彰

(けんしょう)碑」(上右写真)に到着。この二つは並んで

いて、今回の旧東海道の最終地点でもある。案内図を見ると

、此処は島田宿の中程、碑は室町時代からこの辺りに居住していた刀鍛治集団、5軒が軒を連ねていた場所に設置されたという。刀の形をした碑である。これにて今回の旧東海道藤枝-島田ウオーキングは終了。5分ほど歩いてJR島田駅に到着。そして東海道線27分で静岡駅、新幹線42分で小田原、そして二宮、島田駅から2時間ほどの鉄道の旅で帰宅であった。

  次の島田宿行き、「蓬莱橋(ほうらいばし)」を渡りたくなってきたので、島田駅前からタクシーに乗って「蓬莱橋」へ。全長894mの橋を往復し、そして島田駅へ1.5km歩いて戻った。そして500m進んで旧東海道へ。100m歩いて「大井神社」(上左写真)。大井川の恩恵に感謝し、水害の無いことを祈って建立された神社という。境内に面白い像がある(上右写真)。これは前回(旧東海道藤枝-島田)に報告した「島田鹿島踊り」の看板に描かれていたもの。三年に一度の「島田大祭 帯まつり」に登場する「大奴(おうやっこ):右側」と鹿島踊りの「三番叟(そう):左側」であるらしい。


 「大井神社」から約1kmほど歩いて「大井川川越遺跡」という看板に従って細い道へと入り(上左写真)、800mほどで古い屋敷が出てくる(上右写真)。


 

 屋敷の中には川越人足の「六さん」(上左写真)がいたりする。この「六さん」、写真では明るく写っているが、実際は薄暗い中から現れた感じでビックリした。通りから中の人形が見える屋敷もあった(上右写真)。

 その先には「川会所」、川役人が川越業務を行った処がある(上左写真)。この建物は安政3年(1856年)に建てられたもの。中には川越に使われる「連台(れんだい)」が展示されている(上右写真)。

 この「川会所」の横にかつての土手があり、その先に「せぎ」の跡がある(上左写真)。この溝を刻んだ石がある石積みが何かと言うと「堰(せき)」、水をせき止める処である。道の左右にこの「せぎ」があり、川の水が浸水しそうなときに、その左右の溝に板をはめ込んで水をくい止めたという(上右写真)。

 この「せぎ跡」の先、左手には「朝顔の松」の公園がある(上左写真)。「朝顔の松」には難しい物語がある。「深雪(みゆき)」という娘さんと「阿曽次郎」という青年との都での恋。この「深雪」さん、国に帰ると親が婚約者の武士を決定。それに反対し家出し、「朝顔」という三味線弾きとなる。この婚約者の武士、実は「阿曽次郎」だった、「深雪」は知らなかった。「朝顔」は「阿曽次郎」を探して諸国をさまよう内に目が見えなくなる。「島田の宿」に来て歌を流し歩くと、ある座敷から声がかかる。これがなんと「阿曽次郎」だったが、目の見えない「朝顔」は解らない。あとで「阿曽次郎」と知った「朝顔」は追いかけ、「大井川」まで来ると増水で川止め。半狂乱となった「朝顔」は激流に飛び込もうとするが助けられ、その時、目が見えるようになった。そして目に映ったのが大きな一本の松。

 写真の右側の処(掲示板?)にこんな話が紹介されていた。松は高さ20mだったが昭和10年代に枯れてしまったらしい。で、この二人はどうなったのかの説明はなかった。帰宅後ネットで調べると「朝顔日記」という人形浄瑠璃や歌舞伎の話があり、それによると「二人はめでたく結ばれる」となっていた。よかった。

 右手には「島田市博物館」があり、その駐車場の脇に面白いものがある(上右写真)。川越人足が川に浸かって運ぶ「連台」、後ろには浮世絵と有名な「箱根八里は馬でも超すが 越すに越されぬ大井川」という詩。右下の処には「連台に乗って写真が撮れます」と書いてあった。早速、セルフタイマーで記念撮影(非公開)。

 そこかえら川沿いの道を600mほど進むと「大井川橋」に出る(上左写真)。なんと、とてつもなく長い橋。これは昭和3年に架設された橋で長さは1026.4m、橋台2基、橋脚16基と説明版に書かれていた。橋の横には自転車と歩きの歩道橋があるが先は遠くてよく見えない。「蓬莱橋」は894mだったからそれよりも100m以上長い。本日、「大井川」を渡るのは3回目、何とか頑張って進む。

 長い橋を渡りきって左折、土手沿いの道を200mほど進むと「旧東海道➡金谷宿方面」という看板がありそこを右折。150m進むと「水神公園」(上右写真)。連台に乗って川を渡る女性の浮世絵風の絵やベンチ、銅像があり、奥には「水神社」。ここでしばらく休憩。


  「水神公園」から「金谷宿川越し場跡」を進むが、「ここに・・・がありました」という看板だけで何も残っていなかった(とても疲れていたので見逃したのかも)。1.3km、20分くらい進むと「金谷宿本陣跡柏屋」(上左写真)があり、その後500mで「金谷一里塚跡」に到着(上右写真)。


 これにて今回の旧東海道島田-金谷ウオーキングは終了。2分ほど歩いてJR金谷駅に。そして東海道線31分で静岡駅、新幹線で小田原駅、そして二宮駅、金谷駅から2時間ちょっとの鉄道の旅で帰宅であった。

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