旧東海道 ⑰ 新居町〜白須賀〜二川
旧東海道 ⑰ 新居町〜白須賀〜二川
新居関所/女改之長屋/紀伊国屋/本陣跡/棒鼻跡/風炉の井/教恩寺/松並木/紅葉寺/火鎮神社/
白須賀海岸/潮見坂振り返り
おんやど白須賀/潮見坂上
白須賀宿/コーちゃんバス
笠子神社/一里山七本松植樹
一里山の一里塚/二川宿
二川一里塚跡/駒屋
二川宿本陣資料館
「旧東海道」ウオーキング、今回は「新居町」から「白須賀」までの7.8km、最初に「新居宿」の関所、最後は「潮見坂」を上り「白須賀宿」である。そして後日、「コーちゃんバス」でJR「鷲津駅」スタートし、「白須賀宿」からウオーキング。
「新居町」駅から800m、途中「浜名橋」を渡り、進んでゆくと「今切関所(新居関所)」が現れる(左写真)。前回報告した「舞阪宿」の「渡船場跡」から「今切の渡し」の船に乗り、この浜名湖口に面した関所「今切関所(新居関所)」から旧東海道が再開するのである。この関所の創設は慶長5年(1600年)であり、 江戸幕府設置以前であった(1600年はまだ「関ヶ原の戦い」の頃)。その後、高潮や地震で西に移転したらしい。そして「舞阪宿」からの渡船は約4km近い長い航路となっていたらしい。 関所を右手に見ながら進むと「大御門」がある(右写真)。
「二川宿本陣」からJR「二川駅」まで1km、途中「大岩神明宮」(左写真)へと寄り、本宮の桜(右写真)を眺めながら、木陰で着替え。そして「二川駅」から「豊橋駅」へと向かい(乗車6分)、新幹線こだま1時間30分で小田原、そして二宮へと戻る。途中の約4km、50分の長くて辛い1号線道中があったが、全9kmのウオーキングであった。
「大御門」から関所内に入ると復元された関所の建物が見える。左手の方には「女改之長屋(おんなあらためのながや)」がある(左写真)。これは女性を取り調べる関所改女(あらためおんな)の住居施設。この関所は「出女」「入り女」の取り締まりが厳しかったという。この長屋や関所内部には、現在の「箱根関所跡」と同じように昔の服装の人形で当時の様子が復元されている(時間がなかったので外から眺めたのみ)。この関所跡のむかいがわには「旅籠紀伊国屋資料館」が当時の旅籠の感じを伝えている(右写真)。そこも外から眺めるのみで進み、すぐ先の交差点「泉町」を左折する。そこに「新居宿」の本陣跡がある。
「本陣跡」から650m、途中「常夜灯」(左写真)を通過し、「新居一里塚跡」、残念ながらこの一里塚跡は小さな石碑と説明板のみ。 その先の十字路を右折し、すぐに左折という土塁(どるい:盛土)で通行を制限の道「棒鼻(ぼうばな)跡」(中写真)を進む。「棒鼻」=籠の棒先、それで先頭を整えた処。
その先「橋本」という交差点を右折、150mほどで左手に「風炉の井(ふろのい)(右写真)。この石碑の後ろの部分にあるのが石積み井戸、深さ2m口径1.8m、今は埋まっているがもっと深かったらしい。建久元年(1190年)、源頼朝が上洛の折に「橋本宿」に宿泊、その時にこの井戸水を茶の湯に用いたという。「風炉(ふろ)」とは茶道で用いる小ぶりの釜のこと。
400mほど進むと「松並木」が始まる(左写真)。その右手のちょと奥に「紅葉寺(もみじでら)跡」がある(中写真)。このお寺は「紅葉山本学寺」、室町幕府の六代目将軍足利義教が永享(きょうえい)4年(1432年)に立ち寄って紅葉を観賞したので「紅葉寺」と言われたらしい。残念ながら階段の上にはなにも残っていない。旧東海道に戻り、また進む。この「松並木」は約1.2km、15分ほど続く(右写真)。
「松並木」は終了し、古い家屋が建ち並ぶ街道となる(左写真)。この先で全面通行止めとなる。旧東海道の上をクロスして通る新しい道の工事で、車はもちろん、人間も通行止めのようである。工事の人たちがいなかったので、何とかフェンスの透き間から入り込んで通り抜けた(中写真:通ってから振り返って撮影)。後からストリートビューGoogleでこの現場を見てみると、以前は完璧に大きなフェンスで道は封鎖、迂回路を1kmくらい歩いて旧東海道に戻るという大変なことであった。その工事現場の先、右手に「火鎮神社(ほずめじんじゃ)」が出てくる(右写真)。この神社、徳川家康が負け戦で匿(かくま)われた処らしく、神社の神様の一人に家康も祀られている。
その先850mの十字路で右折し、旧東海道から200mほど離れところにある食堂で昼食。いつものラーメンがなく、カツ丼となった(美味しかった)。食後、海の方へと行って土手にでてみると海が広がっていた(左写真)。ここが「白須賀海岸」である。
旧東海道へと戻り、120mほど進むと「白須賀一里塚跡」がある(左写真)。左の新しい石碑には「高札建場跡」と書かれているのが見えたが、右の石碑には「○○○旧址」、よく解らない。ネットで調べたら「一里山旧址」と彫られていたらしい。
その70m先の右手には「内宮神明(しんめい)神社」が現れる(左写真)。創立年代は不明、この白須賀には「神明」という名をもつ神社が3つもあるという。その神社の隣にあるのが「内藤家長屋門」(右写真)。これは先の「明神神社」の宮司を代々勤めた内藤家の長屋門。旧東海道の左手には古い感じの家が並んでいる。この日は晴れていたが気温8度、そして風が強かった。実はこの先で強風に煽られ、帽子が飛ばされる。10mほど走って何とか止まった帽子を拾う。先の道の通行止め、帽子紛失の危機、トラブルのある道中であった。
そこから300mほどで「潮見坂下」
に到着(左写真)。ここで右折し、
山の方へと進んでゆく。かなり傾斜
がある「潮見坂」である(中写真)。そして振り返ると海が見える(右写真)。海の手前に見えているのは国道1号線の白須賀高架橋。それが無ければ海の景色は素晴らしかったのに。そう思いながら坂を上っていくと「潮見坂」の解説版があった(左写真)。それによるとこの坂は、東海道屈指の景勝地としていろんな紀行文に記されているらしい。
坂を登り切って左手には宿舎のような建築物があった(左写真)。後から調べると「湖西市おんやど白須賀」という入場無料の博物館だったのだ。疲れていたため確認もせず通過してしまった、残念。
その先に小さな「潮見坂公園」があり、明治天皇が訪れた記念の石碑がある(右写真)。その向こうに見えているのが「湖西市立白須賀中学校」。その反対側から海を眺めると綺麗な海が見える。ここの解説版によると「東海道を東に向かってきた旅人が初めて海を目の当たりにするのがここ潮見坂上」であり「遠州八景 潮見晴嵐」と言われているらしい。
そこから平坦の街道を進み、「白須賀宿」の町並みが出てくる(左写真)。道が左右に曲がる軍事的な役割もある「曲尺手(かねんて)」を通り宿場の中へと入ってゆく(右写真)。これにて今回の旧東海道ウオーキングは終了となる。
これからどうするかと言うと、宿場の中程にある湖西市の「コーちゃんバス」のバス停(1日に6便、午後は14:16の1便のみ)からコミュニティーバスに乗り約30分かけて「鷲津駅」へ(運賃200円、安い)。そしてJR東海道線にて「浜松」、新幹線で「小田原」-「二宮」と帰って行く。
今回は「鷲津駅」から「コーちゃんバス」で「白須賀宿」へと進む。この「コーちゃん」は可愛い感じのバスである(左写真)。
「白須賀宿」はかつて 海の下のほうにあったが、津波の被害を恐れ「潮見坂」の上の方に移転(宝永5年:1708年)したが、今度は風が強く火災が起こり大火となった。それをくい止めるために壁が築かれマキの木が植えられた。これが「火除地(ひよけち)「火防樹(かぼうじゅ)」であるが、残ったのはここだけ(右写真)。道の左と右に残っている。「白須賀宿」をスタートして10分、850mほど進むと広い道に合流する。
合流した道の左手に「笠子神社」の入口がある(左写真)。階段の上に鳥居があり(右上写真)、その奥の右手に小さな鳥居と社殿がある(右下写真)。この神社もかつては海岸部にあったが、津波の影響でここに移転したらしい(天文4年:1535年)。
神社から下の道に降り、写真右の脇道を進み、すぐに広い道へと戻り、神社から350m、5分で愛知県豊橋市へと入る。 愛知県に入り3分で広い1号線と合流、その合流地点の右に「一里山七本松植樹」がある。ここには七本の松が、東海道400年の記念として植樹されていたが、枯れてしまったようだ(上写真)。そこから300mほど進むと右手にこんもりとした林があり、そこに一里塚跡(下左右写真)。この辺りでは一里塚のことを「一里山」と呼んでいるらしい。
そしてその先は広い1号線と右手の広い畑が続く旧東海道となる(左写真)。それは約4km、50分の大変なウオーキングである。日本橋から284.2kmも進んだという標識があった(右写真)。この標識を手がかりとして500m進んだらガードレールに腰掛けて休憩という歩き方で進んだ。途中、「弥栄口」というバス停があったので、その時刻表を覗いてみると16:01の1本のみ、土・休日の運行はありませんと書いてある。この1日1本のバスは一体どのような人が使用するのであろうか。
旧東海道は長い1号線から分離し、新幹線の下を潜り、右手へと進んでゆく(左写真)。そして東海道線の踏切を渡り、即左折する。そしてすぐに「二川宿」へと入ってゆく(右写真)。この家屋の角に小さな一里塚跡の石碑がある。「二川一里塚跡」である。石碑の横には「江戸日本橋より七十二里」と刻まれている。
この一里塚から650m離れた処にラーメン屋さんがあるので、そこにて昼食。評判の店らしく、ちょっと待たされた。食後、旧東海道に戻り「八幡神宮」(左写真)の前を通って右手に「商家 駒屋」(右写真)。
そこから250m先の左手に「二川宿本陣資料館」がある(左写真)。写真右手の奥に見えているのが復元された「高札場」。中央の大きな建物が「資料館」である。入場料400円で中に入ると当時の旅道中の人形と籠が展示されている。資料館の展示物を見学し、外に出て次は「二川宿本陣」へ。奥が見えるのが「本陣」の入口である(右写真)。
その左手には、旅籠屋の「清明屋」、江戸時代末期の姿に復元された建物があり、旅人と旅籠の女性の人形が置かれた「ミセの間」があった(左写真)。座敷の方にも入れたが、外側を回って小さな庭の処から縁側へと行き、そこで日差しを浴びて休憩である(右写真)。