旧東海道 ⑳ 美合〜岡崎〜新安城〜富士松

美合/大平一里塚跡

松並木500m/岡崎二十七曲り

岡崎城大手門・天守閣

八丁味噌/出会いの像

安城街道入口/松並木

熊野神社/雲竜の松/明治川神社

來迎寺一里塚/知立松並木

知立神社/知立公園

総徳寺/逢妻橋

乗蓮寺/スダジイ

お富士松

 

「旧東海道」ウオーキング、今回は新幹線で「豊橋駅」、そこから名鉄の特急電車で「国府(こう)」駅、そこからのウオーキング。そして「豊橋駅」から名鉄の特急電車で「本宿」駅からウオーキング。

 「逢妻町」から1号線を100m進むと「刈谷市」、日本橋から340kmちょっとの地点である(左写真)。そこから400m先にかなり汚い歩道橋がある(中写真)。その歩道橋の階段の下に「一里塚」の石碑があった。そして約2kmを進み「乗蓮寺」へ。乗蓮寺の「スダジイ」が有名、推定樹齢850年のシイの木、高さ10mである(右写真)。そしてほんのちょっと先の「富士松駅」、駅前にある松にはこんな逸話がある。桶狭間の戦いの後、今川勢が旅人を織田の回し者と間違えて斬り殺してしまった。村人はこの旅人を丁寧に葬って1本の松を植えたという。その後この松が地名の由来となる。場所は駅の200m南東の位置にあったが、伊勢湾台風(昭和34年)で枯れてしまったので、新たに2代目が植えられた(旧東海道⑳一番最初の右写真)。これにて今回の旧東海道ウオーキング9.6km、3時間15分は終了。かなり疲れた・・。

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「美合駅」下車、前回の最後の松並木へ(左写真)。「松並木」から900m、15分ほど進むと突き当たり「北棚田」という場所、その向こうは「乙川」であり、右折して橋を渡る。 川を渡り1kmほど進むと左手に「大平一里塚跡」が現れる(右写真)。ここは「日本橋」から80里にあたる一里塚である。反対側には一里塚はない。




 一里塚から500mで1号線と合流し、松並木がはじまる(左写真)。1号線沿いの松並木は500mほど続いている。その後、松並木が終わり旧東海道は1号線から離れて行く。そして350mほど進むと「岡崎二十七曲り碑」がある(右写真)。これが大変なことで、ここから27回も角を曲がって進むのである(旧東海道⑳最初の左写真)。前の「掛川宿」には「東海道七曲がり」というものがあったが(旧東海道⑬金谷〜日坂〜掛川)、その4倍くらいの曲りであった(ちゃんと地図を持参したが・・・)。



 「岡崎二十七曲り碑」から100m進むと、もう曲がる(左写真)。この写真にあるように、オレンジ色の「道しるべ」があるが、全ての角にあるわけではない。右や左へと曲がり、500m先の歩道には「岡崎城下二十七曲り 総門通り」という案内がある(中写真)。その先には立派な建物、旧岡崎銀行本店である(明治23年設立)(右写真)。

 古い常夜灯がある。寛政10年(1798年)に建立、

そしてここも二十七曲りのひとつ(左写真)。曲がって

進んでゆくと右手に綺麗な絵が描かれた建物があった

(右写真)。そしてすぐに「道しるべ」。もうすぐ予定していた中華飯店だと油断した瞬間、道に迷った。狭い路地を曲がってまた「道しるべ」、しっかり印刷してきた地図を見ても、今何処にいるのか不明。恐るべし「二十七曲がり」。10分ほど彷徨、中華飯店見つけた。しかし店の外に順番待ちの客が2-3人、また「二十七曲がり」へ・・・。



 190m先「三清橋」を渡って横にある細い道を下ってゆくと手づくりのような「道しるべ」がある(左写真)。この先を曲がってさらに細い道を130mほど進んでゆくと面白い建物があった(中写真)。古い民家だと思ったが後ろにある高い煙突(中写真)、玄関先を覗いてみると「ゆ」(右写真)。ドアには「休業中」の張り紙。調べてみると大正14年(1925年)創業の「龍城(たつき)温泉」、残念ながら2021年から長期休業らしい。


 そこから直進、左折し1号線を600mほど進むと「岡崎城」の「大手門」(左写真)。そこから城内に入り、売店「ひょうたんや」に入り「かけそば」でやっと昼食。意外と美味しかった。店から出て、正面奥に「家康像」(中写真)。その近くに変な時計、「からくり時計」(右写真)。時計の処3箇所が開き、中の家康人形が能を舞うらしい。しかし30分毎であるらしく現地では見なかった(後でGoogle地図の動画で見た、現地で見れば良かった)。


 そして「天守閣」の方向へと進む。天守は3層5階、1959年に再建(左写真)。「岡崎城」の本丸の横に神社がある(中写真)。これは「籠城(たつき)神社」、徳川家康を祀っている。そうだった、このお城は家康の生誕地、家康が生まれる前の築城の時、そして誕生の時に「龍神」が現れたらしい。

 天守の前に亀がいる(右写真)。これは「東照公遺訓碑」、家康の有名な人生訓「人の一生は・・・いそぐべからず。・・・」が書かれ、最上部には6頭の龍、それを支えるのが頑張る「亀」である。

 岡崎城を後にし850mで「岡崎公園前」の駅。これにて、魔の「岡崎二十七曲り」ウオーキング終了である。


 新幹線で「豊橋」名鉄で「岡崎公園前」へ。「岡崎公園前駅」で下車して5分ほどで「かくきゅー八丁味噌」へ(左写真)。この「八丁味噌」は岡崎特有のモノ、この「かくきゅー」と直ぐ近くの「まるや」は江戸時代から続いているという。

 「まるや」から300mの突当を右折し、「矢作橋」に出る。川を渡ると(700m)右手に「出合乃像」が出てくる(左写真)。これは「豊臣秀吉」と「蜂巣賀小六」の出合いの像であるが、後から調べるとウソらしい。この「矢作橋」が最初に架けられたのは慶長6年(1601年)で豊臣秀吉はもう亡くなっている。


 

 その後1.2km 20分ほど歩く。途中、岡崎市指定文化財の「山車」を保管する「藏」と「神社」(左写真)などを見ながら「安城街道入口」に到着(右写真)。このまま直進すると「安城」へ、ここで右折して1号線を進む。


 2km、30分くらい1号線を進むと「安城市」に入り、脇道へ。そして松並木の街道が始まる(左写真)。15分くらい進むと「熊野神社」(中写真)。そして片隅には「尾崎一里塚跡」の石碑もある(右写真)。そこから750m、10分後にラーメン屋さんで昼食。「鶏白湯」¥900、ちょっと高いが、とても美味しいものであった。細く小さく刻んだ玉ねぎがよかった。



 昼食後、250m進むと右手に「永安寺」。その手前にある「松」がすごい(左写真)。「雲龍の松」といい、高さ1.5mのところから北西、南、東の3方向へ枝が張りだしている。樹齢は350年。「松」の周りをぐるっと回る事ができる(右写真)。




 さらに200mほど進むと「明治川神社」(左写真)。 その後、松並木が始まり(右写真)1.3km 20分、右手に地蔵尊や石碑などが一杯ある処のすぐ先の「里町4丁目西」を右折し500m先が終点「新安城駅」。

  新安城駅をスタートしてから松並木(左写真)、そして駅から45分くらい2.5km先の左手に綺麗な一里塚、名前は「来迎寺一里塚」(右写真)。

 一里塚から300m進んで、ちょっと左折。「吉田忠左衛門夫妻の墓」がある(左写真)。この吉田さん、なんと赤穂四十七士のひとり。その妻の「りん」さんがこの地区に身を寄せるが病死。形見に貰った夫の生歯と共にここに合葬されたという。

 旧東海道に戻り、15分くらい1kmほど進むと「知立松並木」,今回2回目の松並木、5分ほど進んでゆく(右写真)。


 この松並木500mの間、その左側に側道があり、そこには「野外彫刻プロムナード展」が開催され、彫刻と小さな池が楽しめる。まず「かきつばた姫」(左写真)、知立市の花かきつばたを、凛とした成長していく女性に例えているという。その他6体ほどある。その後、1号線を地下道で横切り、細い道を進み,突き当たった「中町」という交差点(右写真)の右手の細い道をすすんでゆくと「池鯉鮒宿問屋場之跡」の石碑がある。ここから名鉄の「知立駅」までは400mほど、駅の方へと進み、調べておいたラーメン屋さんで昼食した。この日は18℃まで気温が上昇したようで、汗びっしょり。ラーメン屋さんのトイレで着替えをさせてもらった。


  旧東海道へと戻り、チョット進むと「知立古城跡」(左上写真)。平安時代〜戦国時代の城だったらしいが,1699年の大地震で倒壊、その後再建されなかったという。跡地の樹が立派である。

 その先にあるのが「了運寺」(左下写真)。入口の「四脚鐘楼門」、上層部が鐘撞堂(かねつきどう)の山門が立派である。そこから120mほど進んだ奥に「大イチョウ」がある(右写真)。明治時代に廃寺となった「総持寺」にあった樹齢200年を超えたイチョウの樹である。


 「大イチョウ」の先、地下道で155号線を横断し150m、そこを右折し100m、すると正面に「知立神社」がある。まず目に入るのが「多宝塔」(左写真)。これは国の重要文化財、1509年再建の渋い塔。その横に「神池」があり「石橋」が架かっている。その奥に見えるのが「知立神社」(右上写真)。右手には火の神様である「秋葉社」があり、9月の「秋葉まつり」では「手筒花火(1mほどの竹筒に火薬を詰め、人が抱えながら行う花火:火柱は大きいものだと10数m)」の奉納があるという。

 「知立神社」の隣は「知立公園」、5月には「花しょうぶまつり」が行われるという(右下写真)。こちらは西公園で、神社の「多宝塔」の奥には東公園がある。西公園の奥には小さな神社がある。


 旧東海道に戻りちょっと進むと左手に「総持(そうじ)寺」(左写真)。山門である「竜宮門」が目立つ。その後、ちょっと歩くと歩道にマンホール(右写真)。そこには「伊勢物語」の歌が。後から調べると「身体に馴染んだ唐衣のようになれ親しんだ妻が都にいるので、はるばる来てしまった旅をしみじみ思う(在原業平)」、まさにこの時の私の気分の歌なのであった。そこから200mくらいで「逢妻川」を渡り、200mで1号線と合流する。この「逢妻川」、調べると、先ほどの「知立神社」の500m北で「逢妻女川」と「逢妻男川」が合流した川、先ほど渡った橋が「逢妻橋」、1号線と合流交差点が「逢妻町」、知らなかった。