旧東海道 ㉑ 富士松〜桶狭間〜本笠寺〜七里の渡し

阿野一里塚/桶狭間/高徳院

ありまつ(有松)

 まなこ壁/鍾馗さま/卯建

有松天満/鎌研橋一里塚

平部町常夜灯/瑞泉寺

丹下町常夜灯/千鳥塚

笠寺一里塚/天白川

笠覆寺:山門(仁王門)

八丁畷(なわて)公園

伝馬町一里塚/裁断橋址

里程標/ほうろく地蔵

宮の渡し桟橋待合所

七里の渡し船着き場跡

 

「旧東海道」ウオーキング、今回は新幹線で「豊橋駅」、そこから名鉄の特急電車で「富士松駅」。そこから約550m、10分ほど歩いて「今川町」という交差点で1号線を横断することになる。ここには1号線を横断する歩道はなく、回り道をして地下道で渡ることとなる(そして工事、1号線の下の地下道を進む)。30分くらい歩いて、おかしいなと思い、携帯の地図で現在地を調べると全く予定とは違う処。後から調べるとあの地下道から2.2kmも遠いところ。しょうがなく、何とか戻ることした。往復4.4km、1時間の遭難、迷いのウオーキングであった。

 迷いの起点、1号線地下道に戻り、旧東海道を800mほど進むとバイパスが現れる(左写真)。そして旧東海道は1号線と合流し、そこから800mほど進み、左側の細い道に入って行く。細い道を250mほど進むと一里塚が現れる(右写真)。名前は「阿野一里塚」。解説版によれば愛知県内の一里塚は18、現存するのは4箇所である。

 一里塚から1km進むと「旧東海道筋道標」がある(左/中写真)。書かれている文字は「南無阿弥陀仏」、その裏側、全く見えないが解説版によれば「文化四丁卯年」、つまり1807年である。

 そして20分、1.3kmあるいて予定していたラーメン屋さんで昼食。もう午後1時、迷いウオーキングを含めて9.3km、3時間、今回の予定だった終点「鳴海駅」まであと4km。ラーメンをいただきながら携帯を駆使した作戦変更であった。その結果、500m先の交差点左折の遺跡を今回の最終地とした。 左折してすぐに公園がある。そこには「史跡桶狭間古戦場」と刻まれた石柱がある(右写真)。

 「中京競馬場前」駅から旧東海道を進み、1号線と合流、その先の「大将ヶ根」という交差点でから右の細い道を進む。ここまで駅から約700m、10分ほど歩いたが、前回の「遭難」の影響でかなり不安(出発前までに2回もGoogleストリートビューで予習)。

 「大将ヶ根」から200mほど進むと二叉路(左写真)があり、左へ進むと「ありまつ(有松)」の古い軒並みが始まる(右写真)。多くの家には「ありまつ」と書かれたのれんが掛けられているが、これは江戸時代からの「有松絞り」という木綿絞りらしい。


旧東海道 52 桶狭間〜本笠寺

「旧東海道」ウオーキング52、今回は新幹線で「名古屋駅」、そこから名鉄の特急電車で「中京競馬場前」

 この「伝説地」の隣に「高徳院」がある(左写真)。

この階段を登り境内に入って行くと「今川義元公本陣跡」

という石碑がある(右上写真)。この樹木が立派なモノ

で「タブの木」。境内には立派な建物が並んでいるが、

その後方に赤い艶やかな塔がある。見に行くと手前は墓地

後からネットで調べたら「永代供養納骨堂:瑜祇(ゆぎ)

塔別館」という新しい建物だった。

 これにて今回のウオーキングは終了。この近くには

名鉄の「中京競馬場前」駅がある。昼食ラーメンを食べ

ながら変更作戦を立てた時間の電車に乗り、予定の新幹線こだまに豊橋駅で乗ることができた。予定だった「有松町」の古い街並みは次回のウオーキングで訪れる。それにしても1号線下の地下道通った後の勘違い、どうして起きたのか・・・?(シルバー現象かも)(注)

注:シルバーは和製英語:高齢者。本研究所では年寄りのような出来事を「シルバー現象」と呼んでいる

 「桶狭間」と言えば「織田信長」が4000人の兵で25000人の「今川義元」の軍に勝利した闘いである。公園に入ると説明板(左写真)があり、「この地は、永禄3年(1560)5月19日、今川義元が織田信長に襲われ戦死した所と伝えられ、田楽狭間、あるいは館狭間と呼ばれた」と書いてある。奥の方には石碑があり、公園脇の道路の向こう側にはお地蔵さんや石碑が並んでいた(右写真)。

 ここは何となく古戦場の感じでなく(昔、信長が山の上から崖の坂道を馬で駆け下りて戦ったというようなドラマをテレビで見た)、後から調べると戦場跡はここ「桶狭間古戦場伝説地」とこの先1.2kmの「桶狭間古戦場公園」の2箇所で意見が分かれているらしい。

 まず長い間口(45m)となまこ壁の「服部家」(上写真)。大きな蔵のある「中澤家」(下左写真)。元の持ち主「山田与吉郎」の屋号、屋根の瓦の「山ヨ」が有名(下中写真)。棚橋家は屋根のうえの「鍾馗さま」が邪気から家を守っている(下右写真)。


 その先十字路があり、東海道は「天王坂」を進むのだが、左折し名鉄の「有松駅」、そのちょっと先のラーメン屋さんで昼食(とても美味しかった)。その後戻り、「天王坂」を進むと再び古い軒並みが続く。屋根の上に明治期のガス灯がある「竹田家」(左写真)。そして「小澤家」の「卯建(うだつ)」(右写真)。写真の中央、小屋根がついた防火壁。「卯建(うだつ)が上がらない」という言葉があるが「出世できず金銭的にも恵まれない」という意味。この「小澤」さんの家は商売繁盛だったのだろう。この辺りで古い街並みは終了となる。

ちょっと進むと環状2号線の下に「有松一里塚」、左右の塚がある(左写真)。2012年(平成24年)に復元されたもの。 環状2号線の下を通り25分、1.7kmほど進んで「扇川」を渡ると右手に「瑞泉寺」がある(右写真)。階段の右手の桜が綺麗だった。

 そこから20分、1.2kmほど進むと「丹下町常夜灯」(左写真)。この辺りは常夜灯がかなり残っている。その先6分、500mほど進むと「鉾ノ木貝塚」があり(貝塚はシートで覆われ説明板しか確認できなかった)、そのちょっと先に鳥居がある(中写真)。奥に見える桜の方へと急坂を登ってゆくと「千句塚公園」、その端に「千鳥塚」がある(右写真)。この碑は貞享4年(1687年)に建てられたもので、碑の文字「千鳥塚 武城江東散人 芭蕉桃青」は松尾芭蕉の筆と言われる。芭蕉の生存中に建てられた直筆の碑としては唯一のものらしい。・


 「千句塚公園」の小山から下へ降り、「天白川」を渡り(左上写真)、25分、1.5kmほど進むと「笠寺一里塚」が現れる(右写真)。江戸から88里目の塚、塚の上のエノキの大木が素晴らしい。

 そして10分、600mほど進み、今回の最後の処「笠覆(りゅうふく)寺」に到着(左下写真)。

 池に架けられた橋を渡り、「山門(仁王門)」の下を通って「本堂」へと進む(左写真)。その左手の方には「延命地蔵堂」や「白山社」。その向かいには「観音観音多宝堂」(右写真)。ここには多くの見るものがあり、広場の大きな石碑の下で十分の休養と着替え。そして「正門」からお寺さんを出て5分、「本笠寺駅」で終了。名鉄の名古屋駅へと戻り、JR新幹線「ひかり」で小田原へと戻った。

旧東海道 53 本笠寺〜七里の渡し

 「旧東海道」ウオーキング53、今回は新幹線で「名古屋駅」、そこから名鉄の特急電車で「本笠寺」駅へ戻る。

 「本笠寺」駅で下車し、脇道を100m進み旧東海道へ。すぐに名鉄の踏み切りを渡り、左折して進み、途中から「旧東海道」と書かれた古い街灯が出てくる(左写真)。その細道を進み踏切から800mで大きな通りと交差。これがまぎらわしい名前の「東海通」(左上写真)である。この旧東海道はいろんな街道と交差している。最初は「東海通」の手前の「塩付街道」そして「鎌倉街道」(右上写真)、.この「熊野三社」の入口には東海道と書かれた石碑があり、地図が描かれている(左下写真)。ここは「山崎の坂」らしい。


 「松田橋」という高速の下の交差点、その手前で昼食。そして昼食後、その交差点の歩道橋を渡って右奥の緑の場所へと進む。そこは「八丁畷(はっちょうなわて)公園」と呼ばれる小さな公園で大きな樹木がある(右写真)。昔はここを用水が流れており、「松田橋」が架けられていたという。その橋の遺跡を利用して復元された橋がある(左上写真)。「松田橋」から1号線を700mほど進むと旧東海道は左手の方の路地を進む(左下写真)。

 名鉄の線路の下を通るとすぐの右手に「伝馬町一里塚」が現れる(左上写真)。「日本橋」から89里(89番目)の一里塚である。「東海道一里塚一覧表」で調べると90〜96里は「海上七里」と記されている。ここから七里の間、一里塚は無いのである。それは何故か?・・・それは後ほど。

 この一里塚のちょっと先、左手に「裁断橋址」がある(右上写真)。大正時代まで「精進川」が流れ東海道にこの橋があった。この川は「三途の川」と見立てられ、橋のたもとには死者の衣服を奪い取る「奪衣婆(だつえば)」を祀る姥堂があったという。そして死者を閻魔大王が裁断(裁く:裁決)することから橋の名前となったらしい。

 閻魔大王が裁断した橋から500m、突当右手に「里程標」が出てくる(左下写真)。この場所は東海道と美濃路(佐屋路)の分岐点、昔は「宮宿」という宿場町があったという。織田信長も「桶狭間の戦い」に通ったといわれる「信長攻略〜人生逆転街道」という標識もある。その正面、東海道の突当にあるのが「ほうろく地蔵」(右下写真)。焙烙(ほうろく)という素焼きの土鍋、その運搬の重しとして使われた石地蔵が捨てられた場所に建てたお堂。

 この「ほうろく地蔵」を左折し、交差する広い路

(55号と247号線:片側4車線)を「宮の渡し歩道橋」

で渡り、200m進むと今回の最終地点「宮の渡し公園」

に到着。そのちょっと先にある「時の鐘」と「熱田湊

常夜灯」「七里の渡し」という石柱もある(左上写真)

。ここ「熱田」は「宮」とも呼ばれ、「桑名(三重県)

」までの海路「七里の渡し」の船着き場として栄えて

いたという。この浮世絵は歌川広重によるもの。その

隣には「宮の渡し桟橋待合所」がある(右上写真)。

そして「七里の渡し船着き場跡」(右下写真)。ここから舟で七里の旅となる。日本橋から歩いて89里+1km=350km(1里3.93km)のウオーキング旧東帰道、取りあえず終了となる。

 ここから800m「熱田神宮」を見学し、「神宮前」から「名鉄名古屋」、JR「名古屋」から「小田原」までノンストップ1時間7分のひかり654で帰路となる(こだまだと2時間かかる)。


 HP案内図へ戻る  Welcome  へ戻る