旧東海道 ㉒ 桑名〜冨田一里塚〜〜日永の追分
旧東海道 ㉒ 桑名〜冨田一里塚〜〜日永の追分
六華園(ろっかえん)住吉神社
蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)
七里の渡し跡 桑名城:九華公園
縄生一里塚跡 鏡ヶ池(笠取り池)
冨田の一里塚跡
中町通り-常夜灯-力石 八幡常夜灯/
地蔵堂 かわらずの松
妋石(みよといし)三ツ石一里塚跡
三瀧川浮世絵ポイント 筒井屋/
すぐ江戸道 表参道スワマエ
諏訪神社/日永神社
名残の松/日永の追分
「旧東海道」ウオーキング54、今回から三重県に入る。「小田原駅(8:07)」から新幹線ひかりで「名古屋駅(9:14)」、そこから近鉄の特急電車で「桑名」駅へ進む。今回は痛めた左脚原因の「跛(びっこ)」という歩き方、気温30℃以上の天気、かなり大変なウオーキングとなりそう。
「近鉄名古屋駅」から「桑名駅」まで特急で16分、そして9:50スタート.今回はタクシーで「六華園(ろっかえん)」へと向かう。ここは旧東海道とは関係のない大正時代の建築物。まずは洋館(左写真)。この洋館部分は、有名な「鹿鳴館」を設計し「日本近代建築の父」と呼ばれたコンドルさんが手がけたもの.洋館の横には和館があり屋外廊下を通って進む。奥には沢山の和室があり、外にある庭園も美しい。洋館の方は2階まで登れて(右写真)、庭を展望することができる。40分くらいゆっくりと見学する予定だったが、体調不良のため15分くらいで終了し、旧東海道へ。
「六華園」からちょっと歩くと「住吉神社」(左上写真)、横に見えているのは海ではなく「揖斐川(いびがわ)」.この先にあるのが「七里の渡跡」(右写真)。前回の「熱田」の「七里の渡し船着き場」から出航した舟がここに着いたのだ。 鳥居から見た「桑名城 蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)」(左下写真)。そんなに広くはないが「七里」の船旅の到着地、あるいは出発地だったのだ(右写真)。因みにこの鳥居は、ここから「伊勢路」に入るということから「伊勢国一の鳥居」と言われていた。
先ほど「桑名城 蝶龍櫓(ばんりゅうやぐら)」を見たが、その奥が「桑名城」の跡地、「九華公園」である。復元されたお城らしい建物は「蝶龍櫓」のみで、後は公園やグラウンドである。この堀にかかった橋(左写真)、堀の石垣(右写真)などが見どころ。
堀から500mほど歩いて予定のラーメン屋さんに到着。予定より30分も早い11時10分。ちょっと早いかなあ、と思ったが11時15分開店だったので待つ。食後、外は好天気というより暑い。左脚の膝、その上下が傷み、「跛(びっこ)」で行進。「俯き(うつむき)」加減の歩きでよく見えたマンホール(左/中写真)。
下のマンホールのデザイン、面白い。クイズ;これは何だ? 左のマンホールに書かれた文字がヒント 後ほど正解。
クイズ正解:KUWANA=桑名 「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」
2kmほど進む中で目立った建物「天武天皇社」(左写真)。奥まで見たかったがこの写真のみ。その先にあった「矢田立場」という宿場と宿場の中間で茶屋などが集まっていた処。この「火の見櫓」当時のモノの再建(中写真)。ここで左折し400mほど進むと左手に「了順寺」。何が有名かというと、この門(右写真)。「桑名城」にあった旧城門がこの寺の山門として移築されたらしい。
寺から1km、何となく昔のような街道(左写真)。この先の右手に古い「伊勢両国常夜灯」(中写真)、そして正面に「町屋橋跡(安永第一公園)」(右写真)。」公園の日陰で一休み・・・。
休憩後、1号線「町屋橋」を渡り、すぐに旧東海道、600mほど進むと「縄生一里塚跡」、残念ながら石碑のみ。ちょと歩き進むとビルの壁に「←桑名 四日市→」という絵が描かれていた(左写真)、そうか、もうすぐ四日市だ。
10分ほど歩いた処。13時12分、太陽が真上から照り、日陰はない。脚も痛み出している。確かこの先に関西本線の「朝日」駅があるから、そこで今回は終了としよう。さらに何とか歩き続けると「東海道こちらでござる」という手づくりの看板(中写真)。そして10分後、見えてきたのがバイパス前にある「常夜灯」(右写真)。あれ〜、この常夜灯があるのは「柿」という面白い名前の交差点ではないか。「朝日」駅はとっくに過ぎていた。後から調べると「朝日」駅、終了決心した石碑から600mで右折だった。そこを過ぎて100mで「東海道こちらでござる」だった。現在の「柿」の交差点は「朝日」駅から1kmも進んでいたのだ。途中にあったはずの見学予定の「浄泉坊」も気がつかなく通過していたのだ(相当に暑くて疲れていたのだ)。予定表では終点「近鉄冨田駅」まで後2.5km、今回最初の「六華園(ろっかえん)」で節約した25分もほぼ無くなり、何とか歩かなければならない。こんな苦痛のウオーキングは初めてである。
「跛(びっこ)」行進、進みは遅い。2.5kmを必死で進む。面白そうな石碑があるが写真撮るだけ、後から調べる(左写真)。小さな橋があった、「一里塚橋」と書かれている(中写真)。確か、一里塚は「近鉄冨田駅」の近く。小さな橋渡るとすぐに「冨田の一里塚跡」があった(右写真)。この写真撮影14時15分、予定どおりだった、電車に間に合った。
左の写真は「鏡ヶ池(笠取り池)」、聖武天皇が行幸の際に松原を通った時、風が吹いて天皇の笠が池の中に落ちた。その時、池で洗濯していた娘がその笠を拾って差し上げた・・・。「鏡ヶ池」は馬上の天皇と見送る娘が鏡のような池に絵のように映ったかららしい。740年(天平12年)のお話。今は池はなく石碑が建っている。
この最悪の旧東海道歩きから3週間近く経つが、脚の痛みは未だに完全には止まっていない。痛む膝をカバーした歪んだ歩きは、膝の下の「脹ら脛(ふくらはぎ)」を痛めたようだ。こんなところの痛みは生まれて初めて。暑い日が訪れそうなので、旧東海道ウオーキングは夏休みとしますわ・・・。
「旧東海道」ウオーキング55、猛暑のためしばらく夏休みだった旧東海道ウオーキング、3ヶ月ぶりの復活。前回と同じ三重県。「小田原駅(8:07)」から新幹線ひかりで「名古屋駅(9:14)」、そこから近鉄の急行電車で「冨田」駅へ進む。
前回は「跛(びっこ)」行進で進みは 遅かったが、脚は復活した。しかしまだ猛暑が残っているようだ・・・心配。今回は11kmのウオ—キングである。
「近鉄名古屋駅」から「冨田駅」まで急行で27分、10:10スタート(左写真).前回の旧東海道ウオーキング(桑名-冨田)は6月12日、気温は29度。脚の故障で大変だったが、今回は脚は復帰し快調・・・と思っていたがとても暑い(気温33度)。駅から1.2kmほど歩いてそこにあるのが「力石」(右写真)。「新設用水道碑」と書かれた標識の左にあるのが「力石」。用水は明治時代に造られたのもの。中央の大きな石は約120Kg、手前の小さな石は19Kg、大正の終わり頃まで力比べをしていたらしい。
800m進むと大きな「八幡常夜灯」(左写真)。「米洗川」を渡り250m、「地蔵堂」(中写真)。300m先の左手に「かわらずの松」(右写真)。この松は樹齢200年、江戸時代の旅人を見守っていたらしい。四日市市の東海道で残っているのはこの松と,ずっと先の「名残の一本松」、この2本だけらしい。。
そして300m先の右手に燈籠と鳥居、鳥居の下には大きな石が置かれている(左写真)。
「妋石」から1km以上、太陽に照らされ、ほぼ熱中症のような感じで歩いて、昼食予定のラーメン屋さんで一休み。冷たいお水がなんと美味しいこと。写真を撮る余裕もなく休み、店から出て150mで「三ツ石の一里塚跡」(右写真)。案内版によると、この石碑の右手は「海蔵川」で、昭和20年代の川拡幅工事で川の中に取り込まれてしまったらしい。そして2001年にこの場所に石碑を建てて後世に伝えることにしたらしい。
そしてまた暑い中1km、「三瀧川」に到着。その橋が「三瀧橋」で、そこは「東海道浮世絵ポイント」と呼ばれている。橋の左手の向こう岸に何かそれらしきものが写っているが、橋の手前の川岸に降りて振り返ると、この辺りの地図が描かれていた(左写真)。橋を渡り、中程に進むと歩道にも神輿のようなものが描かれていた(右写真)。
四日市の中心街を抜けて、旧東海道らしい古びた家屋が並ぶ街道を進む
前回の旧東海道では、進みが遅く必死で進む「跛(びっこ)」行進であったが、今回は太陽の日差しで「熱中症なりかけ」行進となった(左の写真のように日陰の殆ど無い道を進んで行った)。
太陽の下、ふらふらと進む街道、「日永神社」にやっと到着(中写真)。この境内には、事前の調査で面白いモノがあるはずであった。境内のこの石柱である(右写真)。この道標は明暦2年(1656年)に立てられたもので東海道における最古の道標なのである。立てた人がお坊さんで、南無阿弥陀仏と彫られているのも珍しいものである。
三瀧橋」を渡り左手に「筒井屋」(左写真)。この店は「なが餅」で有名な天文19年、なんと1550年に開店したお店。江戸時代の前、伊勢詣でに来る人に評判のお菓子だったという。いろんな処に販売店があるらしいが、ここが本店。
そこから500m、右手の方に曲がると国道1号線。国道1号線、この先変な小径があるこの小径が旧東海道で先には「表参道スワマエ」という通りが有り、右手には「諏訪神社」の入口がある(右写真)。
右手に進むと「諏訪神社」。地元では「おすわさん」と呼ばれ、創建は1202年(建仁2年)らしい。その奥は噴水のある「諏訪公園」(左写真)、そこから300m先が「近鉄四日市」の駅である。公園から「表参道スワマエ」に戻りそこを進んでゆく。ここが旧東海道なのである。このアーケードの終わり付近の角に変な人形がある(右写真)。「中入道」という「からくり人形」、突然、首が伸びてびっくりする。その下にいる可愛い人形は「こにゅうどうくん」。
「日永神社」から300m、右手の家屋の間に「日永一里塚跡」がある(左写真)。気をつけていないと見逃してしまう石碑である。そして400m先の左手に「名残の一本松」が見えてきた(中写真)。そして900m程先で旧東海道は1号線と合流し「日永の追分」に到着(右写真)。ここは東海道と伊勢街道の分岐点となる処。鳥居は伊勢神宮遥拝(ようはい:はるかに遠い所から拝むこと。伊勢神宮まではあと70kmほど)の鳥居。その右側の下には湧き水があり、飲むことができるらしい。ここから駅までは200m、暑さに苦しんだ行進、あとちょっとで終了となる。
今回のウオーキングは終了した後が大変だった。取りあえず帰りの新幹線で缶ビール。自宅について風呂に入り、冷たいビール。しかしそれが一口で飲めなくなる。喉が渇き、飲料水ボトル1本の水分補給。その後、ビールをちょっとのみ。いつものは焼酎のロックが始まるが、氷水をひたすら飲み続ける。完全な脱水症状のようだった。19時30分には就寝・・・大変な出来事だった(次の日には回復)。