旧東海道 ㉔ 白川〜水口宿〜甲西 12/24-25
甲西〜草津〜石山 4/8-9
旧東海道 ㉔ 白川〜水口宿〜甲西 12/24-25
甲西〜草津〜石山 4/8-9
12/24 白川橋
鈴鹿馬子唄碑/瀧樹神社-市場
一里塚/大日川堀割-今宿/水口宿/
岩神社 からくり時計/石橋
12/25 水口城址 五十鈴神社/
一里塚-泉一里塚/横田渡し跡
三雲地蔵尊/弘法杉/猿飛佐助
4/8 甲西駅-吉姫神社/石部宿
西縄手跡/法界寺-六地蔵一里塚/
鈎の陣-目川一里塚/草津宿
4/9 草津宿本陣 立木神社/
野路一里塚-子守地蔵/野路の玉川
弁天池/一里山-建部神社/唐橋
そこから1号線を横断して500m、「瀧樹神社」の鳥居が見えてくる(左上写真)。鳥居先は燈籠が並ぶ参道。この宮で祀られているのは「菅原道真」。神社から1.7km先に「市場一里塚跡」。その先に「大野の松並木」が見えてくる(右上写真)。松並木は繋がらず、古い街道の家が出てくる(左下写真)。松並木から1.5km、1号線を横断する処に「大日如来」が祀られている。1号線を横断し、それと併行した街道を1.7kmほど進むと燈籠と松がある「今宿西」(右下写真)、その先で1号線をまた横断。その先が「甲賀市水口」の標識の右手に「水口宿」と書かれたモニュメントがある。
「旧東海道」ウオーキング58、前回は「亀山宿」〜「関宿」、「鈴鹿峠」を越えて近江白川、1泊2日の23kmの旅であった。今回は「近江白川」から「水口宿」そして「甲西駅」までの1泊2日25kmの旅である。
「二宮」〜「小田原」〜「米原」〜「草津」、そして「貴生川」へ、4時間ほどの電車旅、30分ほどバスを待ち(コンビニでパンを購入し、駅で昼食)、そこから「あいくるバス」で30分、「白川橋」で下車。バス停から500mほど進むと「野洲川の渡し」、その手前に「鈴鹿馬子唄碑」がある(左写真)。この辺りの「土山宿」は「あいの土山」というニックネームがある。原点は「坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山 雨が降る」という唄、それが鈴鹿馬子唄。その碑の先が「野洲川」。碑から400m、旧東海道の奥に「垂水斎王頓宮跡」がある(右写真)。「垂水(たるみ)とはその辺りの地名、「斎王(さいおう)」とは:天皇のご名代の皇女・女王のこと、「頓宮(こんぐう)」とは天皇や宮様が泊まる場所。平安時代から鎌倉時代まで使われたらしい。
そこからまた細い道へと入り500m、「今郷一里塚」が現れる(左写真)。残念なことに枝は全て切り落とされていた。そして街道は続いてゆく。1kmほど進み、広い道(549号線)に出ると右手に「岩神社」への階段と鳥居が現れる(右写真)。階段を登ってゆくと「岩神社」の祠と燈籠があった。階段がまだ続いているのでもうちょっと登ると景色の良い展望コーナーが現れた。景色を楽しみながら暫く休憩。
「岩神社」から下りて即、広い道(549号線)から細い旧東海道へ入り1.8km進むと「水口宿東見附跡」がある(左上写真)。そこから300m先、二叉の道となり左の方へと進む。交差点にモダンな「時計台」があった(右写真)。さらに600m先、近江鉄道踏切の手前に「からくり人形時計」(左下写真)。近江鉄道の「水口石橋」駅、その先1kmくらい歩いてホテルに16:20到着、「白川橋」から12.4km、4時間のウオーキングであった。この「水口宿」は50番目の宿である。
6:00起床、松家で朝定食 8:10分ホテルスタート
旧東海道は「小坂の水口石」を右折するのであるが、直進して寄り道。スタートから15分後に「水口城跡」に到着(左写真)。城内に入ろうとするが、入口は工事中で入れず、裏手の入口へと回り込むが、門が閉まっていた。後から調べると10時開城、早すぎたのだ。
旧東海道に戻り、600mで「五十鈴神社」に到着(右写真)。右の奥に見えているのが拝殿。ここの大木は「ヒノキ」、高さ40mに達するらしい。その入り口の鳥居左に「一里塚跡」の石碑がある。説明板によればここは「林口一里塚」、もっと南(水口城辺り)にあったが、神社の境内東端に移ったという。神社の先を右折し、街道を進んでゆく。
この先1.3km、15分、街道の左右にいろいろな「地蔵尊」が出て来る(左写真)。だんだんと民家が少なくなり、松の木が所々に出てくる。そして遠くには綺麗な山が見えてくる(右写真)。2km、30分くらいゆったりウオーキング。
そして小さな「泉川」を「舞込橋」で渡り、「泉一里塚」に到着(左写真)。 一里塚から150mで鈴鹿山脈に源の「野洲川」に突き当たる。この辺りでは「横田川」と呼ばれ、「横田渡し跡」である。この川は3〜9月は船渡し、10〜2月は土橋を架けて通行だったらしい。この跡地は「横田常夜燈公園」となっており、巨大な石灯籠がある(右写真)。これは 文政年(1822年)建てられ、高さ10.5m、東海道最大級である。隣に立った私と比較すると大きさを感じるだろう。
現在この「野洲川(横田川)」を越えるには、この先(約1km)の歩道橋を渡り、そこから見えている「横田橋」を渡ることとなる。橋を渡り、JR「三雲駅」の前を通って旧東海道を進む。駅から1km、15分くらい進み、踏切を渡って右折、「水口宿場」を過ぎて「石部宿場」へと向かう。
500mほど街道を進むと「隧道」が見えてくる(左写真)。その上を流れているのが「大洲川」、東海道の上を流れる天井川である。昔は土手を登り、小橋や浅瀬を渡って川越をしていたらしい。隧道ができたのは明治17年。その「隧道」手前の右に休憩場があり「ようこそ三雲城址へ」「猿飛佐助 甲賀流 忍者の里」という木製の看板がある。この堤の先の山を登ると「三雲城址」があり「猿飛佐助」が育ち、生誕の地。行ってみたかったが、ちょっと遠すぎて中止、「隧道」の上にある大木を見に登ってみた。その堤上にある 高さ26m 樹齢約750年の「弘法杉」である(右写真)。右側に川が流れていた。この樹木、弘法大師(空海)が植えた、杉箸を差しておいたのが芽を出したという説があり、樹木の後方にある小さな小屋の中には「弘法さん」が祀られていた。
1.2km、15分ほど進むと「夏見一里塚跡」(左写真)、そして350m、5分で「由良川隧道」。 街道を進み(右写真)、1km、15分でJR「甲西駅」へ到着。本日は約4時間 12.5kmのウオーキングであった。駅の向こう側の食堂で昼食(狙っていたラーメン屋さん臨時休業)、事前の日程表、電車時刻を間違えて30分ほど電車待ち、そして電車、6時間かけて二宮へ。
寒くなってきたので2025年の1月〜2月は旧東海道歩きは冬休みにします。
「旧東海道」ウオーキング59、前回は「近江白川」〜「水口宿」、猿飛佐助のふるさと「三雲城」周辺を通過して「甲西」駅、1泊2日の25kmの旅であった。今回は3ヶ月の冬休みを終えた今年初、「甲西」駅から「草津宿」そして「石山」駅までの1泊2日25.2kmの旅である。初日の13.7kmウオーキングは10年間の最長距離である・・・心配だった。
「二宮」〜「小田原」〜「米原」〜「草津」、そして「甲西」へ、3時間30分ほどの電車旅。「甲西」駅の近くのコンビニで昼食のパンを購入(ラーメン屋さんが東海道から離れていたのでパン食とした)。コンビニからちょっと歩いて「東海道」へ。左右の満開の櫻が出迎えてくれた(左写真)。スタートから2km進んだ処の左に鳥居、その奥の方に「吉姫神社」があった。(右写真)。「吉御子神社」は男神さん、この「吉姫神社」は女神さんが祀られているらしい。
神社から20分ほど進むと「いしべ宿駅」が現れる(左写真)。内部には「囲炉裏」があり、いろんなものが展示されていた。この「石部宿」は51番目の宿場。あと「草津」-「大津」で五十三、そして京都の「三条大橋」。
「石部宿駅」から20分くらい進むと、小さな公園となっている「石部宿西縄手跡」に到着(右写真)。宿内に入る参勤交代の大名行列を整列した西の場所である。私は奥にある屋根付きの場所でコンビニ購入のパンで昼食とした。
「石部宿」から次の「草津宿」を目指す。JR草津線の脇の道を進む。その内に東海道の左右にお寺さんが出現、2kmの間に六つも。ちらちらと覗いて行ったが面白かった二つ。まず「金剛山 法界寺」(左写真)。右の岩には「國寳 地蔵尊」と書かれていたので入ってみた。色々とお地蔵さんが沢山あったが、本堂の奥にあったのがそれらしい。次は「福正寺」の「石造多層塔」(右写真)。解説版によれば九重塔らしい(欠失して別材もある)。こんな沢山の層の石塔は珍しいもんである。
お寺さんのちょっと先に「六地蔵一里塚」(左上写真)。その向こうの石碑には東海道名所図絵「梅の木」が描かれ、当時の「六地蔵村」様子、休憩場である立場(たてば)は「梅木(うめのき)立場」と称されたと書かれていた。そして900m先には、小野村「肩かえの松」が現れる(右写真)。昔はここで一休みし、荷物を背負い直したことから「肩かえ」という名になったらしい。
1.3kmほど進むと左手に大きな石碑が出てくる(左下写真)。ここは室町幕府9代将軍「足利義尚」の陣があったという。応仁の乱の後、近江守護の「六角行高」の討伐のために、ここ「近江鈎(こう)」という場所に陣を張ったらしい。しかし「足利義尚」はこの鈎の陣で病死したらしい。享年25の時。石碑には「足利義尚公 鈎の陣所 ゆかりの地」と書かれている。ここから1.1km南下してゆくと突当、左折は「中郡街道」、右折は「東海道」、右折して「草津宿」を目指す。
5分ほど進むと「目川一里塚」の石碑(左写真)。「草津宿まで半里」と書かれていた。 10分くらい進むと「ヤマキ酒店」というお店(右写真)。看板には「酒 東海道名物 菊のみず」と書かれている。このお酒、関ヶ原合戦の後あたりから、この「目川立場(たてば:休憩所)」で売り出されたらしい。そして20分後、なんとか予定のホテルに到着。本日13.7kmのウオーキング、とても疲れた・・・。
翌日6:30起床、部屋で前日仕入れたおにぎりと
カップ味噌汁で朝定食 8:30分ホテルスタート.
500m歩いて旧東海道に戻り、その先の道標に到着
(左写真)。これは草津宿の江戸方の入口にあった
「火袋付石造道標」。「左東海道いせ道」「右金勝寺志がらき道」と書かれている。そこから昔風の家屋がある道を進んでゆく。600mほど進むと突当り、右の方が「旧中山道」、左の方が「旧東海道」となる。ここにあるのが「草津宿 追分道標」(右写真)。
そしてそのちょっと先にあるのが「草津宿
本陣」である(左写真)。ちょっと早く着いて
しまったので扉は閉まっている。どうしようか
なあ、と思っているとギィ〜と木の扉が開いた。
ちょっと早かった入場許可。楽しみにしていた
処。中も傷んでおらず、「湯殿」(右上写真)
主客専用の風呂場、そして広い「台所土間」
(右下写真)。部屋数は三十室余、
二百六十八畳半を有するという。
「本陣」から500mほど進むと右手に「立木神社」が見える(左写真)。中には立派な樹木と舞台のような拝殿、その奥の本殿が見事(右写真)。創建1250余年の歴史を有する古社。
神社から「草津川」を渡り、1.2kmの先に「野路一里塚跡」がある(左写真)。現在は、小さな「上北池公園」となり一里塚の石碑が建っている。その手前の屋根付きの休憩場所でちょっとお休み。休憩から600mほど進むと「子守り地蔵」がある(右写真)。旧東海道に背を向けた位置で見つけづらい。6体の地蔵(左から2番目は2体)があるが「江戸時代に、カブトムシをつかまえようと大名行列を横切り、手打ちになった親子の菩提を弔うため、村人たちが地蔵をまつった」という地元、野路の民話があるらしい。なんとなく可愛そう(かわいそう)な感じ。
そこから200m進むと「野路の玉川」と呼ばれる休憩所がある(左写真)。小さな小川が流れ、奥には屋根付きの休憩所がある。このあたり「野路」は鎌倉時代に有名な宿駅だったらしい。ここにて、またちょっとお休み。
「玉川」から400m進むと「弁天池」が見えてくる(右写真)。池の中に小島があり、橋が 架かっている。細い橋を渡って島に入って行くと小さな社があった。この島の「浄財弁財天」へ行く前の橋で地元の人と話した。彼は害のある鳥(からす?)や虫を追い払うために爆竹を鳴らしに島に入るらしい。「すみません、ちょっとだけお参りしてすぐ戻ります」といって先に島に入った。橋を渡って戻ると、島の森から「パパパ〜ン」、黒い鳥が飛び出して行った。
その先、樹木や桜を楽しみながら2.2km(30分)歩き(左写真)、「一里塚趾」に到着(右写真)。この一里塚の隣が予定していた「らぁ麺」屋さんだったが、到着が早すぎて開店まで20分もある。昼食は断念して先へと進む。
2.6km(40分)進んで、途中寄り道の「建部大社」へ(左上写真)。この鳥居の道を通り、左折して神社へ。中には大きな「三本杉」(右写真)。後ろには「拝殿」。
「大社」から500m(10分)で「瀬田川」を渡る「唐橋」に到着。右手の河原に降りて桜と橋の風景を楽しむ(左下写真)。そして記念写真(最初の写真)。そして橋を渡る。
そこから1.6km(25分)でJR「石山駅」。途中でやっと「ラーメン屋」さん登場。13時過ぎの遅い昼食。「石山駅」から「京都駅」へ進み、新幹線(ひかり)で「小田原駅」-「二宮駅」到着17:00。