旧東海道 ㉕ 石山〜大津〜京都 5/20-21

 5/20 石山駅

 篠津神社/膳所神社

 膳所城/蹴鞠神社

 大津本陣跡/宝塔

 逢坂山関所/大谷駅

 5/21 髪茶屋追分

 六角堂/亀水不動尊

 車石/蹴上船溜

 水路閣/ねじりまんぼ

 三条大橋/本能寺

最終回

 

 「旧東海道五十三次」ウオーキング最終回、53番目の宿「大津宿」〜「京都」、2日間で20kmほどの最後の歩きである。新幹線で「京都」まで進み、前回の最終「石山駅」まで戻り、スタート。

 この辺りの旧東海道には神社が多い。駅から2km、二つ目の「篠津神社」。この辺りの神社「表門」があり(左写真)、その奥に舞台のような「拝殿」がある。650mほど進むと左手の奥に「膳所神社」(右写真)。ここも奥には「拝殿」と奥に「本殿」という並びとなっている。

 神社から旧東海道を離れ500mほど進むとまた門がある。これは神社の「表門」ではなく「城門」(左写真)。ここは「膳所城跡」であり、城門の左右には石垣と堀があるが、戦後の公園整備によって設置されたものらしい。

 「膳所城」は関ヶ原の戦いの翌年(1601年)に徳川家康が築いたもので、湖岸を埋めて石垣で2つの人工島を造ったもので、「琵琶湖」がお堀みたいなもの。内部の公園の中には当時の城の遺跡は残っていないが、「琵琶湖」はすぐそこ。遠くに見えている橋は「近江大橋」(右写真)。

 「蹴鞠神社」から1.2km、JR「大津駅」から350mほど「琵琶湖」側の道、何となく昔らしい建物がある街道(左上写真:白黒が古めかしさを演出)を進み「札の辻」という「四つ辻(京町一丁目)を左折、京都へと向かう坂道を登り始める。

 500m、10分ほど進んで右手に入って行くと踏切、その奥に「関寺霊跡 長安寺」があり階段を登ってゆくと変な形の「宝塔(牛塔)」(右写真)。高さ3.3m、鎌倉時代初期に造られたものらしい。976年(天延4年)の大地震で破損した寺の復興に資材運搬をした「牛」が仏の化身と噂され、工事終了と同時に亡くなったこの「霊牛」を供養し祀ったのがこの「宝塔(牛塔)」であるという。日本最大最古の石造宝塔らしい。

 城跡から旧東海道に戻り、10分ほどで「和田神社」、それから近くのラーメン屋さんで昼食、そして10分ほどで「石坐(いわい)神社」。内部は先ほどの神社の造りと変わらないので樹木の報告。「和田神社」は「大銀杏」が有名、周囲4.4m、高さ24m、樹齢は600年と推定されている(左写真)。そして「石坐(いわい)神社」は「エノキ」、周囲3.8m、高さ23m、樹齢200年と推定(右写真)。

 ここから暫くモノトーンの写真が続きます。単なるカメラの故障です。


 「石坐(いわい)神社」から1.5km、JR「膳所駅」から400mほど「琵琶湖」のほうへ離れた旧東海道を20分ほど進み、ちょっと登り坂道となった処の左手に「平野神社」の入口がある。右の石柱には「郷社 平野神社」と書かれているが、左の燈籠の前の小さめの石柱には「蹴鞠之神社」と書かれている。「社殿」の幕(左写真)にも「蹴鞠」が描かれ(左側の丸いもの)、「拝殿」の床下の部分にも「蹴鞠」の印が造られている(右写真)。現在も毎年8月9日に境内で「蹴鞠祭」が催され、古式ゆかしい蹴鞠の奉納が行われているらしい。

 「宝塔」から京へと向かう坂道を登ってゆく。道は「逢坂」という処で1号線と合流。そして1.5km、30分ほど坂を登ると旧東海道は1号線から離れて右手へと進む。そしてこの分岐点にあるのが「逢坂関(おうさかのせき)」である(左下写真)。ここが「山城国」と「近江国」の国境となっていた関所。そこから250mほど進んでゆくと左手に「大谷駅」。そこから「京阪京津線」を使って「琵琶湖」の方へと戻り、「大津宿」で東海道五十三次、最後の宿泊とする。

 翌日「びわ湖浜大津駅」から昨日の最終地「大谷駅」へと向かう。駅から歩道橋を渡り「京阪京津線」と「1号線」の向こう側へ。東海道五十三次の最終日である(カメラ回復)。チョット進むと左手に「右一里丁(町) 左大谷町」と書かれた石碑があった(左写真)。これが「走井一里塚跡」である。「日本橋」から123里目の一里塚である。なんと492kmも歩き込んだのだ。「大谷駅」から1.3km、15分ほど進むと旧東海道は1号線と別れ、ちょっと古めかしい通りとなる(右写真)。

 そしてその先に二差路が現れる(左写真)。近寄って見ると「みきハ京みち」と書かれた石碑(右写真)、ここが「髭茶屋追分」という分岐点。半年ほど前に「ブラタモリ」で有名になった追分。右は京都の三条に向かうが、左は「伏見宿」へと向かい東海道五十七次となる(この話は後日・・・)。

 京へと向かい1.5km、20分ほど歩くと右手に古い建物がある。その中央に「六角堂」があり(左上写真)、その前の拝殿所のような処にベンチがあり、休憩。

 その後2kmほど30分、JR「山科駅」の近くを通り、143号線と合流し、かなり細い道へ

と分岐し、途中の奥にある「亀の水不動尊」を参拝(右写真)。亀の口から水が流れ出ている処が可愛らしい。そして細い山道(左下写真)を700m、10分ほど歩いて143号線と合流する。

 広い143号線と合流するとすぐに米俵を乗せた荷車のようなモノは現れる(左上写真)。これは「九条山 車石」。昔、この辺りの道をこんな荷車(牛車)が移動しており、その車輪に合わせた溝が掘られた敷石が置かれていた(スリップ防止)。そこから700mほど下り「京都市蹴上浄水場」のある処に到着。峠の下りは終了のようである。

 「浄水場」手前の134号線(旧東海道)から右手の細道を上って寄り道をする。現れたのが川?のようなモノ(右上写真)。橋の右奥にあるのが「びわ湖疏水船蹴上乗下船場」である。なんとトンネルを通って、船で昨日の「大津宿」の方まで行き来ができるのである。「琵琶湖」と京都はこの「疏水(そすい:土地を切り開いて設けられた水路)で繋がっており、1890年(明治23年)に完成したという。2015年(平成27年)に大津-蹴上の7.8kmの区間に疏水通船が復活し、現在は観光船が限定的ではあるが(3月下旬〜6月上旬:予約制)運航している。

 橋から反対方向(京都の方)を見ると、岡に上がった変なモノが見える(左下写真)。近づいて見ると、台車に積み込まれた船である。船を乗せた台車は「インクライン(傾斜鉄道)」となって640m先の「南禅寺船溜」へと坂道を下っていったのだ(右下写真)。

 143号線:東海道:三条通り、あと1.6kmで終点である。。600mほど進むと「神宮通り」と交差する。右手を見ると赤い鳥居が、「平安神宮」である(左写真)。

 ちょっと進むと川が流れており「白川橋」があり、隣に道標。何と書いてあるのか全く不明、後から調べると「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」。京都における最も古い道標らしい。このちょっと手前に「坂本龍馬・お龍 結婚式場跡」という石碑があったのだった(ストリートビューで確認)。すぐ横を通っても気がつかなかった、私はとても疲れていたのだろう・・・。

 この道標の処を左折し、ちょっと奥まった処に「明智光秀の塚」がある(右写真)。光秀は「本能寺の変」の後、秀吉に敗れ農民に襲われて重傷を負い、自害して家臣に首を打たせたと言われている。その首は諸説あるが、数日晒(さら)され、先ほど通った「蹴上」付近に塚が造られ,江戸時代の中期に塚の石塔婆がここに移され、首もここに埋められたと伝えられているらしい。小さな祠である。


 そして十数分後「三条大橋」に到着。橋を渡って行くと下流の方に「先斗町」の屋外の「鴨川納涼床」が見えている(左写真)。橋を渡りきると「高札場跡」の石碑(右上写真)。そして「弥次さん喜多さん」と記念写真の、疲れ切った私(右下写真)。これにて旧東海道ウオーキング終了。


 これにて旧東海道ウオーキング終了。ざっと8年間の動きを紹介します。

 第①回目の東海道行は2017年7月12日の「小田原」行である。②回目は7月27日の「大磯」、この2回は自転車での移動であった。③回目は8月29日「小田原-湯本」を歩き、④回目は10月5日「箱根-畑宿」(小田原からバスで箱根関所へ向かい、「畑宿」へと下る)、⑤回目11月2日「畑宿-湯本」(湯本から「畑宿」までバス、「湯本」へと戻る)、箱根を中心とした東海道ウオーキングの始まりである。

  ⑥回目からJR東海道線を利用して⑲回までの14回(1年2ヶ月)で「日本橋」にたどり着く。⑳〜㉒回で「箱根」-「山中城」-「三島」-「片浜」へと進む。㉓〜㉕回は、最初の①②回で自転車で移動してしまった「大磯」「二宮」「国府津」「小田原」をウオーキング。㉖〜㊺回で「静岡県」を横断し、㊻〜56回で「愛知県」を通過、57回から「三重県」へと入り、59回から1泊2日の東海道ウオーキングとなり「滋賀県」へ。そして68回、「京都府」へと入り五十三次の終了である。

 2017年から約8年、68回の「東海道五十三次」であった。今後の予定は未定。途中で話した「東海道五十七次(大阪へと向かう街道)」、あるいは「姫街道(浜名湖を迂回する街道)」などチャレンジしたい街道もある。まずは身体(からだ)を休め、「東海道五十三次、○○○のベスト10(一里塚、宿場など)」を纏め、報告をしてゆきたい・・・。


HP案内図へ戻る  Welcome  へ戻る