旧東海道 ⑥ 箱根関所〜山中城〜三島
旧東海道 ⑥ 箱根関所〜山中城〜三島
今回からは「箱根の関所」から西、「三島」方面への展開となる。
10時10分「小田原東口発」の伊豆箱根バスで「箱根関所」へと向かう。普通50分の乗車時間だが、このバスは「箱根新道」を通るので30分で到着する素晴らしいバス(1日に1本しかない。バスは10時41分に「箱根関所」に到着し、旧東海道箱根西坂ウオーキングのスタートである。東海道1号線を西へと向かい、先に見える山の峠を目指す。進行方向右手が「芦ノ湖」である。
東海道1号線を500mほど進み、「芦川入口」というバス停の先を右折、旧東海道へと進んでゆく。200mほど進むと左手に「箱根駒形神社」、その先すぐに現れるのが「芦川の石仏群」、そして「石畳」の始まりである(上左写真)。この中には、箱根で最も古い1658年(万治元年)の庚申塔があるらしい(写真の右側の最も奥:後で調べたら、ここの庚申塔は箱根で2番目の古さ)。そして、ここから始まるのが「向坂地区杉並木・石畳」の急坂である。
この坂は「向坂」「明石坂」「釜石坂」「風越坂」と続き(上中写真)、最後は「狭石(はさみいし)坂」という急階段を登って東海道1号線に出る(上右写真)。この石畳は1680年(延宝8年)に敷かれ1862年(文久2年)に大改修されたという。
東海道1号線を進み、途中から「箱根くらかけゴルフ場」への坂道を登り、「箱根峠」を目指す。下り坂となり、ちょっと右手を振り向くと「芦ノ湖」が見えている(上左写真)。あ〜、あそこから登ってきたんだ。山の向こうには富士山が見えている(写真では左端にあるが、雲の影響でほとんど見えない)。そして「箱根峠」の交差点に到着。「箱根関所」から30分くらいの登り坂ウオーキング、終了である。
「箱根峠」には「箱根エコパーキング」があり、駐車場の奥の方が「箱根旧街道」となっている。そこから東海道1号線ではなく、「芦ノ湖カントリークラブ」への道を進むと箱根旧街道「茨ヶ平(ばらがだいら)」入口が現れる(上右写真)。旧東海道の最大の難所は、小田原宿〜三島宿を結ぶ、標高845mの「箱根峠」を越え「箱根八里」約32kmの区間であり、「箱根旧街道」と呼ばれている。先ほどまではその登りの一部であったが、ここからはずっと続く石畳の下りである。この辺は「い茨(ばら)」が生い茂っているので「茨ヶ平(ばらがだいら)」というらしい。
まずは「甲石坂の石畳道」(上左写真)をかなりのスピードで下っていく。石畳は整備されているが、下の石を見てないとつまづきそう。周りの景色は全く見えない。
途中、東海道1号線に出て歩道を下る。すぐに東海道1号線から離れ再び箱根旧街道石畳へ。石畳に入ってすぐの処に「かぶと石」がある(上右写真)。この石の名前は「兜(かぶと)」を伏せたような形をしているから、という説と豊臣秀吉が小田原攻撃のとき休息した際に兜をこの石の上に置いたから、という説があるという。
「かぶと石」の先で道は二つに分かれる。箱根旧街道は左側だが、案内矢印に「三島市眺望地点」と書かれていたので右側の坂を登る。そこは「施行平」と言われる、古来より遠望の地として人々が訪れた場所。
「施行平」を下り、ちょっと迷いながら、箱根旧街道との合流点に出る。その後、「石原坂の石畳道」(上左写真)を300mほど下り、「念仏石」に到着する(上右写真)。この突き出た大石が「念仏石」。その前に「南無阿弥陀仏・宗閑寺」と書かれた小さな碑がある。旅の行き倒れを供養して碑を建てたらしい。
「念仏石」から800mほど石畳を下り(上左写真)、東海道1号線に出る。ここには横断歩道があり、箱根旧街道を下ってきた人にために「横断注意 左右確認」と書かれた和風の立て札が立っている。慎重に左右を見て横断歩道を渡り、200mほど下る。その先左手に見えている階段を降り(右上写真)、「大枯木坂の石畳道」を下っていく。石畳を800mほど下った先に「雲助徳利の墓」がある(右下写真)。これは「松谷久四郎」という元剣道指南役、大酒飲みで追放され、箱根で「雲助(荷運びなどの人足)」の仲間に入った剣の達人の墓。雲助仲間から親分以上に慕われたが、酒が原因で死んでしまう。雲助仲間はこの杯と徳利を刻んだ墓を建てて供養したという。
この「墓」から坂ちょっと登って、箱根旧街道の石碑が建っている処(左上写真)、ここで東海道1号線と合流。「箱根峠」から約4km、1時間チョットの下り坂スピードウオーキング終了。とても疲れました(下りスピード出し過ぎ、特別筋肉痛、回復に3日間)。
今回の旧東海道ウオーキングはこの「山中城跡」まで、ここからバスで「三島」へと下山。予定より1時間近く早く到着したので、じっくりと「史蹟 山中城址」を見学(上右写真)。この写真の鳥居の先には「駒形諏訪神社」があり、そこから「山中城跡」へ。
「山中城」は永禄年間(1558年〜1570年)に北条氏によって築城され、「小田原城」の支城として位置づけられるらしい。1590年(天正18年)、小田原征伐の豊臣軍4万の軍勢に北条軍4千は攻撃され、半日で落城したという。ここの城の堀は、「畝(うね)」のように見えることから「畝堀」、障子の「桟(さん)」のように見えることから「障子堀」と言われる。用水池を兼ねた水堀で、山城では非常に珍しいという(左下写真)
国道1号線の脇には「菊池千本鎗の碑」がある(上左写真)。これは1335年(建武2年)にこの辺りであった合戦の「菊池肥後守武重」に関するもの。彼は後醍醐天皇の命を受けて「足利」勢と一千余の兵で戦った。その時、竹竿の先に短刀を括り付けた槍(やり)の原型となる武器で大勝利。そして肥後(九州)に帰国した武重は、刀工(とうこう=刀剣を製作する人)に槍を作らせるようになり、それが「菊池千本槍」と呼ばれたという。
その石碑の辺りから旧街道は続いているが、残念ながら通行止め。国道1号線を降っていく。国道1号線を進んでゆくと前には伊豆の山々と駿河湾が広がっている)。後ろには富士(上右写真)、素晴らしい景色である。
国道1号線を500mほど降ってゆくと食堂「富士見平」が現れ、その駐車場の端に「芭蕉句碑」がある。そこには「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」とあり、1684年(貞享元年)の旅の途中に詠んだものらしい。その石碑の辺りから階段を降り、箱根旧街道は続いていく(上左写真)。 また良い感じの石畳が続いていく。この坂は「上長坂(別名かみなり坂)」である。振り返れば富士(上左写真)。450mほど進んで国道1号線に出る。その右手には「スカイウオーク」の駐車場と富士(上右写真)。今日は富士がホントに美しい。因みに「スカイウオーク」とは全長400mの日本一長い歩行者専用吊り橋。日本一高い「富士山」と日本一深い「駿河湾」の絶景を眺めることができるという。きょうは特に良いだろうなあ・・・。
前回の「山中城跡」、その売店(うどん・そば)の後ろから始まる「箱根旧街道」(上左写真)、そこがスタート。旧街道は石畳が整備され、木立に囲まれた良い雰囲気である(上右写真)。旧街道は350mほど降り(くだり)、国道1号線へ出る
その「スカイウオーク」を見るのを諦め(時間と体力の問題から)、その駐車場入口の横から再度石畳へと進む(上左写真)。その旧街道の途中には「牛頭馬頭(ごずめず)観音」があった(上右写真)。一番右の石碑に「馬 牛 頭観世音」と書かれている。「馬頭」が多いかと思っていたが、調べてみると牛頭と馬頭はセットで語られることが多いらしい。
旧街道を民家のあるところまで進み、そして現れたのが「一里塚」。石碑には「笹原一里塚」と書かれている(上左写真)。「箱根八里 西坂」、「箱根関所跡」から9km、「三島宿」まで6kmと記されている。今回のウオーキング、まだまだ・・・。一里塚の「塚(土を高く盛って物のしるしにしたもの)」が残っているのは珍しい(上右写真)。一里塚は街道の左右にあるモノだが、残念ながらここに残るのは片方のみである。
「笹原一里塚」を後とし、国道1号線を横断、「下長坂(別名こわめし坂)」を降っていく。この坂は、箱根旧街道西坂の難所のひとつの急な坂。とある人のHPでは、坂道の角度15.6度と紹介されていた。綺麗な桜の向こうには駿河湾が広がる(上左写真)。因みに、何故「こわめし坂」と言うか。それは急勾配なので、背負った米が人の汗や蒸気で蒸されて「強飯(こわめし)」のようになるからと言う。700mほど「こわめし坂」を降り、県道と合流。その道を350mほど進むと「松雲寺」に出る(上左写真)。可愛い「ねこ」が写真に写っているのは、今、気がついた。このお寺でトイレを借り、その前の日当たりのよいベンチで富士を眺めながら昼食(下左写真)。
「松雲寺」から県道を800mほど進むと、また駿河湾が広がる景色(右上写真)。そして県道の脇道へと進む。「三島市眺望」と書かれた矢印があったのでチョット脇道に入り、そこで三島市を眺め、振り返ると「スカイウオーク」(右下写真)。すごく高い所にあるのですなあ。
脇道から戻り、そして「題目坂」を下る。
「題目坂」を降り、県道を350mほど進むと「六地蔵」が現れる(上左写真)。6の地蔵が2セット+1つの地蔵、全てで13体の地蔵さんである。この六体という数は、人が死後必ず行く六つの世界(地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天上)から来ているという。
「六地蔵」から80mほど進むと知らない道があった。全く知らない、地図に載ってない道である。でも箱根旧街道の案内版があるので、「臼転坂」という処に進んでみた。後から調べてみると「臼転坂(うすころがしさか)」と呼び、別名は「恋し坂」、元々は「牛転ばし坂」「小石坂」。「臼(うす)」あるいは「牛(うし)」が転がったという坂道、かつての石畳がしっかりと残っている(上右写真)。道の脇には「馬頭観世音」が建っていた。これは1820年(文政3年)の建立である。
「臼転坂」から出た処が「塚原新田」。そこからまた県道を1kmほど進むと1号線と合流する。そして「伊豆縦貫自動車道」の上を通って行くと「松並木」が始まる。写真の右側の道を進むと「錦田一里塚」が現れる(上右写真)。この手前の一里塚とその奥に見えている一里塚、両側に塚が残った一里塚である。「錦田一里塚」は江戸日本橋から28里(約112km)の地点にあり、松並木の間に道路をはさんで向かい合って一対残っているのは珍しく、国指定史跡となっているという(上左写真:向こう側の一里塚)。実際の旧東海道は、二つの一里塚の間、現在、車が通っている道であろう。一里塚の右側の通路が石畳風に整備され、松並木が続いてゆく。
松並木は1kmほど続き、その後1号線から離れ「愛宕山」の脇の「愛宕坂(あたござか)」を降ってゆく(上左写真)。そして「東海道線」の踏切を渡り三島へと降ってゆく(上右写真)。
急な坂を降り、その後「愛宕橋」を渡ってすぐに「三島富士線(県道22号)と合流。そこから300m進み「新町橋」を渡る。この橋は「三島宿」の出入り口であり多くの旅人が渡っていたという。ここから素晴らしい富士山が見えることで有名で、安藤広重が浮世絵に描いている。こんなに良い日で、富士山を眺めてきたウオーキングであったが、残念ながら雲で見えなくなってしまったので、「新町橋」に設置されていた写真と浮世絵の案内版を載せる(上左写真)。そして「新町橋」から650mで「三嶋大社」(上右写真)。そこを通過し、そこから400mの交差点で、今回の旧東海道ウオーキング終了。JR「三島駅」まで750m歩き、「山中城址」スタートから3時間、11.3km。そして「三島」から「熱海」、そこから「二宮」までJR東海道線で1時間、大変に疲れました。