旧東海道 ⑨ 由比(ゆい)-薩埵(さった)峠-興津(おきつ)-草薙(くさなぎ)
旧東海道 ⑨ 由比(ゆい)-薩埵(さった)峠-興津(おきつ)-草薙(くさなぎ)
旧東海道 その26 由比(ゆい)-薩埵(さった)峠-興津(おきつ)
旧東海道西方面巡り、「片浜-吉原」、「吉原-富士川」、「富士川-由比(ゆい)」、今回は 「由比(ゆい)- 薩埵(さった)峠- 興津(おきつ )」。今回も「二宮」8時55分スタートし、「熱海」-「由比」駅へ。「由比駅」駅スタート10時30分のウオーキング。なんと言っても今回のメインは「富士山」。
寺尾澤橋
小池邸
西倉沢一里塚
薩埵(さった)峠
秋葉山常夜灯
川越遺跡
身延道入口
興津一里塚
由比駅から5分、500mほど歩くと県道370号線と合流し広い道(上左写真)となる。旧東海道はこの右手の建物の裏側。正面奥に見える山が今回のメイン景勝地「薩埵(さった)峠」。
旧東海道には古い家屋と古いモノにリメイクされた橋がある。ここは「寺尾澤橋」(上右写真)。
橋を渡り400mほど歩くと東海道名主の館「小池邸」がある(上左写真)。現在は「由比宿」を散策する人のための休憩場所として開放されている。その斜向かいにあるのが「あかりの博物館」(上右写真)。大正8年(1919年)に建てられた家を改造して博物館にしている。
古い家屋が並んでいる街(上左写真)を進んで行くと、登坂の道が出現する(上右写真)。そこには「→薩埵峠2.3km 55分」と書かれた表示板があった。景勝地まで後、1時間くらいかあ〜,大変。
坂道を登っていく。左手の方に見えているのは「駿河湾」(上左写真)。その先にまた古い町並みが出てくる(上右写真)。
リメイクされた橋の袂(たもと)に赤いポスト、そして後ろには大きな蔵屋敷(上左写真)。ここはかつての脇本陣「柏屋」の並び。その先にまた急な坂道の始まりがある(上右写真)。中央のミラーの上の標識には「→薩埵峠1.3km 25分」と書かれた表示あり、あと少しだ。
この急坂の始まりの右手にあるのが「西倉沢の一里塚」の跡(上左写真)。ここは江戸から40番目の一里塚、「薩埵(さった)峠」の東登り口に位置し、塚には「榎(えのき)」が植えられていたという。この登り口には「倉沢」と書かれた案内板がある(上右写真)。その後ろに見えているのは「駿河湾」と遠くの伊豆の山である。
坂を登る。先ほどの坂よりかなりきつい坂(上左写真)。坂を登って行くと、左下に見えてくるのは「東名高速道路」と「国道1号線」。そして海の先に見えているのが「三保の松原」のある「三保半島」(上右写真)。
そして、メイン景勝地「薩埵(さった)峠」に到着。そこからの「富士山」(上写真)。「薩埵(さった)峠」、「由比駅」から45分で到着、思ったよりも早かった。途中の古い家屋、もっとじっくりと見てくれば良かった。この峠、歌川広重が描いた当時とほぼ同じ風景が望める。五十三次の中でもここだけ、と言われている。
この絶景の撮影場所はチョット高い処に特別に造られている。この私のいる場所から富士山を撮ったのだ(上左写真)。この私と富士山をセルフタイマーで撮ったカメラを固定した所の後ろの上方に変なモノがセットされている(上右写真)。これが「薩埵(さった)峠富士山ライブカメラ」。つまりここで撮影された動画が24時間、HP上に配信されているのだ。私は今日の朝、富士山がちゃんと見えることをサイトで確認してスタートしたのだ。
ライブカメラ→ここをクリック
展望台を後にして下り坂を下りて行く。左手の海が綺麗である(上左写真)。ちょっと進むと「あずまや」がある(上右写真)。休もうと思ったが、先客がいたので先に進む。
下り坂、なんと桜?梅?桃?が咲いている(上左写真)。このウオーキングの日、実は1月30日(先のライブカメラで富士山がとても綺麗なことを確認し予定変更、前回報告した「富士川-由比」よりもこちらを先に実行したのだ)。とても早い花の満開。そして振り返れば桜?梅?桃?「富士山」(上右写真)。
下り坂を15分くらい、約1km下ると峠の出口に出る(上左写真)。階段の下にあるのは墓地。その先、緑に囲まれた「白髪神社」(写真上方木立の奥)の処を右折し200mほど進むと常夜灯が出てくる。これがなんと前回話をした「秋葉山常夜灯」(上右写真)。
「秋葉山常夜灯」は前回、火防の神と知られる浜松市天竜区にある「秋葉神社」、それを信仰する人が集落単位で建立してきたと話した。そのHPを訪問してくれた私の中学校の友人である「Wくん」からメールが来て、我々静岡人にはいくらかでも馴染みのある「清水次郎長伝」という大河浪曲の冒頭近くで「秋葉の火祭り」という演目があるということを教えてくれた。早速、調べてみると、「広沢虎造」が浪曲化し、その「虎造節」の「清水次郎長伝」は「秋葉の火祭り」から「荒神山の血煙り」まで24篇あるという(YouTube で聞くことができるが、1時間以上もある)。この浪曲だけでなく、なんと「次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り」という映画もあった。「日活」が昭和30年(1955年)に制作。次郎長は「河津清三郎」、お美代は「北原三枝」、そして森の石松は「森繁久彌」。「清水次郎長が、遠州の大親分・黒駒勝蔵を相手に、秋葉の火祭りの夜に大暴れ、黒駒一家を散々な目にあわせて、ここに清水一家の誕生という、痛快無類な時代劇」というものである。
この「秋葉山常夜灯」(上右写真)には横の方に「文政○○年」と彫られている。数字の処は劣化して読めないが、文政は1818年〜1831年。清水次郎長は文政3年(1820年)の生まれだ。つまり次郎長が小さな時に作られ、現在まである。そしてここは「静岡市清水区(昔は清水市)興津(おきつ)東町」、次郎長の生家は「清水区美濃輪町」、この「秋葉山常夜灯」を次郎長が実際に見たのかもしれない(ここから次郎長の生家まで約9km、歩いて2時間くらい)。「Wくん」情報提供ありがとうございました。
「常夜灯」を後にして旧東海道らしい道を進んで行く(上左写真)。今回の終点「JR興津駅」まであと2.5km。結構、古めかしい家が並ぶ道である(上右写真)。
旧東海道は「おきつ川通り」と合流し「興津川」の横を進んで行き「川越遺跡」に出る(上左写真)。この案内板に書かれているように、ここにあった川会所で「越し札」を買い、その向こうの「興津川」(上右写真)を渡ったのだ。
この「川越遺跡」から1.1km、約15分歩いて「○○飯店興津店」に到着。12時20分、ちょうど良い昼食ラーメンである。旧東海道の昼食ラーメン、最近はラーメンショップの休業のため「セブン-イレブン」の「イートインスペース(eat in space)」、臨時休業のためコンビニでパンを購入「JR蒲原駅の待合室の狭いベンチ」など、恵まれていなかった。しかし今回は「こぢんまり」した店に入り「塩ラーメン」を注文した。静岡らしい細い麺で食べやすい。ちょっと味が薄めだが、まあ、良い感じ、っと2/3ほど食べたときに、店長がとんでもないことを言い出す。
店長「あ〜、わるい、ラーメンに塩を入れるの忘れた、作り直すから、待っててくれ」
私「もう、食べ終わるから、いいですよ、美味しかったですよ」
食べ終わってお金を払おうとすると
店長「悪いコトした、代金をもらうわけにはいかない」
私「美味しかったから払いますよ」
店長「ダメだ、いらない」
ということで0円の旧東海道昼食ラーメンとなった。
ラーメン屋さんから5分くらい歩くと、江戸時代の「身延道」の始まりに出る(上左写真)。この街道、ここから山梨県南巨摩郡にある「身延山久遠寺」へとつながっている。鎌倉時代には「駿河」と「甲斐信濃」を結ぶ重要な街道であったという。そのちょっと先にあるのが江戸から41番目の「興津一里塚址」(上右写真)。
そのちょっと先に「興津駅」の入口に到着。今日はホントに綺麗な「富士山」との出会いだった。惜しむらくはラーメンとの出会い、塩の入った塩ラーメンと出会いたいものです。
旧東海道 その27 興津(おきつ)-草薙(くさなぎ)
2025年12月30日火曜日
「旧東海道」ウオーキング、9ヶ月ぶりの復活。前回は「由比-薩埵峠-興津」の7km、「薩埵峠」からの「富士山」、とても美しかった。「塩を入れるの忘れた塩ラーメン」、面白い出来事だった。今回は「興津-草薙」11km、ちょと長いウオーキング、どうなることやら・・・。
興津宿/清見寺
坐漁荘跡/延命地蔵
細井の松原/江尻宿
魚町稲荷神社
稚児橋/巴川
上原堤(宗旦池)
草薙一里塚
前回と同じように8時55分二宮駅、そして熱海駅で乗換、興津駅到着は10時34分、1時間40分ほどのJR旅でスタート地点へ。興津駅から東海道に出て5分くらいで「興津宿公園」(上左写真)に出る。「興津宿」は江戸から17番目の宿、本陣2軒、脇本陣、旅籠24軒という大きな宿場である。前回報告した「身延道入口」、つまり甲州を結ぶ道の起点でもあったのだ。
公園から15分ぐらい、途中「興津宿東本陣跡」「脇本陣水口屋跡」「興津宿西本陣跡」の石碑を通過し、「清見寺(せいけんじ)」の階段が見えてくる(上右写真)。この階段の途中にはJRの踏切があり、それを渡って「清見寺」の中へ。
このお寺の始めは約1300年前、大変に古いお寺。「仏殿」には釈迦如来の坐像が置かれ(上左写真)「仏殿」の左手には沢山の「五百羅漢石像」がある(上右写真)。
「清見寺」からちょっと進むと「坐漁荘(ざぎょうそう)跡」がある(上左写真)。これは「西園寺公望」の別邸。彼が70歳の時に老後の静養のために建てられたらしい。彼は91年の長寿を全うしたという。うらやましい。因みに「坐漁荘」は愛知県犬山市の「明治村」に移築され、国の登録文化財として公開らしい。ここは本来の地であるが、復元された記念館らしい。
そこから500mほど進むと東海道(1号線)は「静清バイパス」の下を通過、そこを左手の路地に入ってゆくのが旧東海道、案内の看板も標識も何もない処。バイパスの下通過して、即左折し、ちょっと行って突き当を右折、その後JR東海道線の踏切を渡って直進、東海道(1号線)に戻る。たった400mの距離であるが旧東海道である。その東海道(1号線)に戻ったところにあるのが「延命地蔵」(上右写真)。
このあたりには「袖師(そでし)ふるさとの路」と書かれた案内版がある(上左写真)。ここは「22念仏供養塔」であり、その先には「12旧東海道松並木の松」があった(上右写真)。後から調べてみると、これは清水の袖師という地区の史跡を紹介したものらしい。1997年に「袖師 ふるさとの路」という冊子が発刊されたという。旧東海道だけでなく袖師の路に41箇所あるらしい(その後、42.43とできたらしい)。
「延命地蔵」から2km、30分ほど進んでゆくと「細井の松原」に出る(上左写真)。この左手が東海道(1号線)、右手が旧東海道となる。正面にあるのが1本の松と石碑。江戸時代にはここには松並木があり、元禄16年(1703年)の検地では約360m、松の木206本があったらしい。残念なことにその松原は、太平洋戦争の時に航空機燃料のための「松根油」として伐採されてしまったという。
この「細井の松原」から旧東海道は1.5km、20分ほど直進する。途中、左手奥の方にはJR清水駅がある。また東海道(1号線)沿いには予定していたラーメン屋さんがある。昼食のためにその店に行くが、閉店していた。今日は休業日でないのに何故、と張り紙を見てみると「コロナ影響でしばらくは休業」と書いてある。そのすぐ裏手の「清水駅前銀座」というアーケード街を見ても開いてる店がない。腹を空かしたままで旧東海道へ戻る。旧東海道は「巴川(ともえがわ)」の手前で右折し、川沿いに北上する。この辺りが「江尻宿(第18宿目)」(上右写真)。ここにはかつて本陣3軒、脇本陣3軒、旅籠屋50軒ほどが建ち並んでいたらしい。幸運にも1軒のとんかつ屋さんが開業中、腹を満たすことができた。
「巴川」沿いの旧東海道の先に「魚町稲荷神社」がある(上左写真)。中に入ってみると何か変な大きな球体がある(上右写真)。それは石で出来たサッカーボールで、下には「日本少年サッカー発祥の碑」と書かれている。昭和31年(1956年)にこの神社の隣にある「江尻小学校」にサッカー好きの新任教師が赴任し、ボール蹴るのは禁止という校則を変え、子どもたちとサッカーを楽しみ、「日本で初めての少年サッカーチーム」を生むきっかけになったらしい。清水とサッカーのつながりは深いものである。
旧東海道では「巴川」を「稚児橋(ちごばし)」で渡る。これは家康の命令で慶長16年(1611年)に架けられた橋である。その橋の完成、渡り始めのとき、どこからともなく現れた男の子が橋を渡っていったという。それが「巴川に住むカッパ」として伝えられたらしい。だから橋にはカッパの像がいくつか飾られている(上左写真)。
「巴川」を渡り、旧東海道を1kmほど進んでゆくと「追分羊かん」の店がある。この店は創業元禄8年(1695年)の老舗である。今回はここでお土産、という予定で行ったが、なんと定休日、残念。そのちょっと先に大きな五輪の塔がある。これが「遠州都田の吉兵衛供養塔」である(上右写真)。文久元年(1861年)に「清水次郎長」が子分の「森の石松」の恨みを晴らすために、「吉兵衛」(講談や浪花節では「都鳥(みやこどり)」)をこの追分で討った。その「吉兵衛(都鳥)」を弔う人がいないので、この辺の里人が霊を慰むためにこの供養塔を建てたという。「馬鹿は死ななきゃ直らねえ!」とからかわれた「石松」、彼をだまし討ちした「都鳥」、「次郎長」によって討ち果たされる。すごいドラマがこの地であったのだ。
そこから1km、15分くらい進んでゆくと「上原堤(うわはらづつみ)/宗旦池(そうたんいけ)」に出る(上左写真)。これは江戸時代に農業用水のための池として造られた人工池。この池は静岡鉄道の静岡清水線「狐ヶ崎」駅の前にあり、昔は「狐ヶ崎遊園地」(1927年に開園)のボート池として使われたという(1993年に遊園地閉園)。
池の向こう側には「上原延命子安地蔵堂」がある(上右写真)。これは鎌倉時代以前からあったらしい古い地蔵堂で、天正10年(1582年)、「徳川家康」が「武田勝頼」を攻める前にここで武田の老将である江尻城主「穴山梅雪」と会見、それが武田氏滅亡のきっかけとなったと言われる。
地蔵堂から600mほど坂道を進んでゆくと旧東海道は大通りと合流する。そこで振り返ってみると富士山(上左写真)。合流した先に「草薙一里塚」の石碑がある(上右写真)。隣に狸が立っている。その解説板には身丈10尺(3.3m)、重量500kgと記され、「狸八相縁起」が書かれている。「八相」とは狸の「笠・目・顔・徳利・通・腹・金袋・尾」のこと、その縁起(〜する/〜する事/〜しろ/〜なり・・・)が書かれている。「一里塚」とは関係ないが、印象的な狸である。
一里塚と狸の処から1.2km、15分くらいでJR「草薙駅」到着。今回のウオーキングは3時間30分、約11km、大変に疲れた。そして草薙駅発14:13のJRで静岡駅へ。静岡駅で30分ほど休んで、静岡発14:51の東海道線で熱海駅へ戻る。そこで乗り換えて二宮駅17:00到着。静岡駅から2時間10分ほどのJR帰り旅。行きと帰りで4時間近くかかった。ちょっと電車移動の時間が長い。次回から新幹線を使用するかも・・・。