スポーツまいんど その100
◎「スポーツまいんど」の始まり
スポーツまいんど その100
◎「スポーツまいんど」の始まり
新たに始まった「スポーツまいんど」というコラムです。という言葉から始まった。
この「スポーツまいんど」という言葉は私の創作である。20世紀の最後の年2000年に、ある小さな出版社の編集委員からメールが届き、サラリーマン向けの書籍の出版が計画された。残念ながら執筆が終わった頃、出版社の事情で出版計画が中止となってしまった。その書籍のタイトルが「スポーツまいんど」であったのだ( かつて朝日新聞に「スポーツマインド」というコラムがあったが、それより昔の話)。
2010年に 私の著書「体育・スポーツの哲学的見方」が出版された。その中に「コラム:スポーツまいんど」という14の話しを組み込んだ。
0「体育哲学への招待」 1「健全なる身体に健全なる精神が宿るとはかぎらない」
2「どうして体育なんかするの」 3「選手は練習が嫌いで怠け者」
4「体育教師O先生の実践」 5「ロボコップ問題」
6「運動会の悲劇」 7「イチローをつくろー」
8「遊び(プレイ)のこころ」 9「死んでもクスリで金メダル」
10「勝てばよいのか」 11「チームワークなんていらない」
12「勝利至上主義は回路のシュート」X「スポーツまいんどな風景」
この書籍は「体育哲学」という授業の教科書として使用したので、学生さんが「体育」や「スポーツ」をできるだけ読みやすく、面白く考えてもらうためのコラムだった。そして最後のコラム Xでは「釣り場の人々」「家庭菜園の人々」「小屋を建てる人」、自分自身の体験の話しをし、次のフレーズ(文句)で書籍を終了している。
スポーツと呼ばれる種目をすることだけがスポーツではない。スポーツと呼ばれないことをスポーツすることもできるはず。「スポーツまいんど」があれば。
この「すぽれじゃ研究所」のHPの「スポーツまいんど」は「1.スポーツをすることの意味」というちょっとかたい話しから始まり、「技術」「ルール」「アマチュア」と展開し、
「スポーツをする日本人再考①〜⑦」 「スポーツと遊び①〜⑤」
「身体(からだ)とこころ①〜⑦」 「遠足と運動会①〜④」
「すぽると思い出①〜⑤」。
そして49回から「昔のすぽると」、「近代体育スポーツ年表」からよく解らない出来事
を取り出し、調べて報告するというコラムに変わった。もう「昔のすぽると」は50回を越し、明治から大正の出来事になっている。もうすぐ昭和の話しとなってゆく。
コラム「スポーツまいんど」は「その1」から「その100」まで全て読むことができる。
「暇つぶし」の「スポーツまいんど」としてご利用下され。