スポーツまいんど その111
◎昔のすぽると62 女相撲の興行禁止
スポーツまいんど その111
◎昔のすぽると62 女相撲の興行禁止
参考文献「近代体育スポーツ年表」に1926年(大正15年)「3.24女相撲の興行禁止」という記事があった。「女相撲(おんなずもう)」を調べて見ると「女の取り組みによる相撲を見せることを目的とする興行である。なお、この興行としての女相撲と日本各地に残る民俗ないし神事としての女相撲との間に直接の関係はない」とあった。
「女相撲」は江戸中期の18世紀中頃から流行したという。当初は女同士の取り組みで興行したが,美人が少なく飽きられたので、男の盲人との取り組みを行い、評判となったという。女同士の対戦を「純・女相撲」、盲人との対戦を「盲・女相撲」とし、「まとも」で「正式」な「純・女相撲」と卑猥な「盲・女相撲」があったらしい。しかし江戸時代の「女相撲」は「裸体をさらす猥褻見世物としての卑俗性」だけでなく,「活発な女性」をアピールする流行性、女性の身に男性のジェンダーの表象をまとう非日常性といったような性質をもつショー・スポーツだった、と分析する研究論文がある(一階千絵「江戸時代の見世物女相撲」スポーツ人類学研究 2002 4号)
「女相撲」も大関・関脇などのシステムは男子と同じであり、「四股名(しこな)」には「姥が里」「色気取」「玉の越(玉の輿の洒落)」「乳が張」「腹櫓(はらやぐら)」といった珍名があったらしい。下の絵は「ウィキペディア(フリー百科事典)」に載っていた「八重椿VS乳張山」の血闘らしいが、調べても絵を描いた「日光」の素性は不明だった。