スポーツまいんど その113

◎昔のすぽると64 「人見絹枝」世界記録

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1928年(昭和3年)「5.5人見絹枝、第5回日本女子オリンピック大会400m競争に世界新記録(59秒0)を樹立」という記事があった。前回「二階堂トクヨ」創立の「二階堂体操塾」の記事の中で、1924年(大正13年)に「人見絹枝」が入塾と紹介したが、その後の彼女のアスリートとしての生涯を見てみよう。

 「二階堂体操塾」の塾生「絹枝」は10月、岡山県から陸上競技大会出場の要請があり、その大会に出場し、三段跳びで10m33の当時世界最高を記録する(非公認)。11月の全日本選手権では三段跳び10m38、やり投げ26m37を記録。その後1926年(大正15年)に「大阪毎日新聞社」に入社し、様々な大会で優勝(三段跳び、走り幅跳び、50m、100m、200m、砲丸投げ)。翌年も大会で活躍し、今回の記事、1928年「世界新記録(59秒0)を樹立」に繋がる。他の大会にも色々な種目で世界新記録、世界タイ記録を樹立したが、「非公認」とされているものが多い。

 その同じ年の7月、アムステルダムの第9回オリンピック大会に出場。女子の個人種目全て(100m、800m、円盤投げ、走り高跳び)にエントリー。800mは決勝で2位、日本人女性初のオリンピックメダリスト(銀メダル)となる。このオリンピックでは、三段跳びの織田幹雄、水泳200m平泳ぎの鶴田義行が優勝、初めての金メダル獲得となった。「絹枝」はオリンピックの直後、ベルリンのインターナショナル競技会に出場し、オリンピック種目には無かった走り幅跳びで優勝、やり投げ2位、800m優勝という活躍であった。

 その後1928年、1929年と様々な大会で優勝を続けるが、1931年(昭和6年)3月に肋膜炎で入院、7月に肺炎を併発、見舞いに訪れた織田幹雄は変わり果てた姿に絶句したという。8月2日に死去、24歳没、アムステルダムオリンピック800mの決勝の日から、ちょうど3年後の日であったという。


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