スポーツまいんど その114

◎昔のすぽると65 攻防式國民體育

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1927年(昭和2年)2月「嘉納治五郎、文部省において、考案の攻防式国民体育に関し講演および指導を行う」という記事があった。「嘉納治五郎」とは「柔道」を作り「講道館」設立,高等師範学校校長としてスポーツを奨励し体操科教員を養成,大日本体育協会を設立,東京オリンピック招致(1940年)を成し遂げた(残念ながら日中戦争の激化で返上)有名な人物である。このニュースとなった「攻防式国民体育」って一体何であるのか見てみよう。

 ニュースの日付1927年(昭和2年)であるが、実は1926年(大正15年)の12月25日に大正天皇が崩御され,大正から昭和へと改元された。ということは、年末の数日が昭和元年であり、すぐに昭和2年となった。その昭和の始まりの出来事だったといえる。嘉納は翌年の昭和3年7月に『攻防式國民體育』という書物を発刊している。この本を中心に「攻防式国民体育」を見てみよう(難しい漢字などが使われているが、解りやすい文章にした)。

 まず「体育とは何ぞ」という項目で嘉納は「身体を強健にすることを目的とした身体の練習法」としている。そんな「体育」はいろんな生まれ方をするらしい。「体操」は「学理が生んだ体育」、「競技」は「娯楽が生んだ体育」であり、こんな意味を進めて行くと「武術の生んだ体育」、「信心の生んだ体育」、そして「労務の生んだ体育」もあり得るとしている。神仏を信仰して神社仏閣を参詣したり,肉体労働で身体を動かすことも「体育」を生みだすのだ。

 「理想の体育」を論じた嘉納は「柔術」を例として取り上げ、「その目的に最も善く適合するように自分の精神及び身体の力を使用」するのであり、そこには「心身最有効使用道」というような「宇宙の大道」があるとし,それを「柔道」と命名したと言う.そうか、「心とからだを最も有効に使う道」それを「柔道」と呼んだのか〜。

 さらに彼は「体育」を「身体を善くすること」「身体を強健にし、人生の目的に適合させること」と述べる。そして「体育」と「道徳教育」との関係について次のように述べている。「大なる道と結びつけ、精神教育と関連してほどこす時は、一段深い意義を感じるようになって、体育そのものを重んじるようになる」。ん〜。

 その後、40ページにわたり

「攻防式國民体育基本練習圖」の写真、

基本練習の図や解説が記されている。

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