スポーツまいんど その121

◎昔のすぽると72 昭和12〜13「東京オリンピック」

 
 

1937年(昭和12年)12.20「東京オリンピック大会全競技日程決定」

1938年(昭和13年)7.15「オリンピック東京開催返上を決定」

 1936年(昭和11年)7月に第12回オリンピック開催地 東京が決定し、第11回開催のベルリンから「前畑がんばれ」の実況放送、そして翌年、東京の競技日程が年末に決定した。しかし7ヶ月後、日本オリンピック組織委員会、東京開催返上を決定した。この間にどのような出来事があったのか。

 1937年(昭和12年)1月、大阪朝日新聞が「国民体位向上運動」を提唱。2月、国際式卓球が初の試合開催。5月、「双葉山」が横綱免許。11月、ハンドボール、フェンシング第1回全日本選手権開催、第1回プロ野球オールスター東西対抗試合開催。そして12月、オリンピックの日程が決定した。この年は日本のスポーツ発展のニュースが続いた。しかしこんなニュースもあった。9月、衆議院予算委員会で近衛首相、「オリンピック東京大会を開催するや否やは協議のうえ態度を決定する」と答弁、政府の非協力が伝えられた。どういうことなのだろうか?

 社会一般のニュースを見てみると、7月、「盧溝橋で日中両軍衝突(日中戦争の発端)」、「日本軍、華北で総攻撃開始」。8月、「閣議、国民精神総動員実施要綱を決定」。10月、「全総全国大会、国難突破のため銃後三大運動を決定」。12月、日本軍、南京を占領し、大虐殺事件をおこす」、その1週間後にオリンピック日程が決定したのである。

 年が明けて1938年(昭和13年)の5月、「柔道」を創始し、「日本の体育の父」と呼ばれた「嘉納治五郎」が客死した。彼は1909年(明治42年)に国際オリンピック委員会(IOC)の委員となり、予定されていた東京オリンピック招致を成功させた人物であった。この年、カイロ(エジプト)で行われたIOC総会に赴き、東京大会開催に尽力し、アメリカ経由での帰国途上、「氷川丸」船内にて肺炎で死去された、77歳没。

 その2ヶ月後7月、東京大会の返上が決定された。10月、「閣議、国際連盟との協力関係終止を決定」、「日本軍、武漢3鎮を占領」。11月「近衛首相、東亜新秩序建設を声明」、「国民精神作興週間始まる」。日本は「平和の祭典」を返上して、軍国主義への道を進んで行ったのである。


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