スポーツまいんど その122
◎昔のすぽると73 昭和13「青年学校」
スポーツまいんど その122
◎昔のすぽると73 昭和13「青年学校」
1938年(昭和13年)5.15第1回関東地方青年学校国防体育大会開催という記事があった。この「青年学校」とは何であろうか。今回はその歴史を調べてみた。
1935年(昭和10年)の4月に「青年学校令」が公布・施行され、青年学校が設置された。この「青年学校」は、文部省と陸軍省による協力体制の下で、 実業補習学校としての職能実務教育と青年訓練所としての軍事教練の役割を持たせたものらしい。 その学校の目的は「男女青年に対し、その心を鍛錬し、徳性を涵養すると同時に職業および実際生活に必要な知識・技能を授け国民としての資質を向上させる」と謳われている。設置は地方公共団体(公立)として道府県(この頃「都」はなかった)、市町村、市町村学校組合・それに準ずる公共団体。私人(私立)として商工会議所、農会、企業が行った。例えば公立は「東京府立商工青年学校」「三岳村農業青年学校(京都)」、私立は「私立石川島造船所青年学校」、「江崎グリコ青年学校」などもあった。1942年(昭和17年)には公立が16011校、私立が2925校設置されていたという。
授業料は原則として無料。設置された学科は「普通科」入学資格を尋常小学校卒業者(12歳以上)男女ともに2年。今の中学1-2年に該当する。その後は「本科」- 入学資格を普通科修了者または高等小学校卒業者(14歳以上)、修業年限を男子5年・女子3年とする(1年の短縮も可能)。今の中3〜の年齢である。「普通科」の内容は男子:修身/公民科・普通学科・職業科・体操科、女子:修身/公民科・普通学科・職業科・家事および裁縫科・体操科であった。「本科」となると男子の「体操科」が「教練科」に変わった。
尋常小学校(国民学校初等科)卒業後、中等教育機関の中学校、高等女学校、実業学校に進学しない勤労青少年の教育機関としてできたらしい。青年学校は、小学校卒業の男子を徴兵年齢まで教育することを主目的に設置された教育機関であったが、日中全面戦争への突入は青年層の徴兵前教育の充実化を要求したらしい。青年学校義務化が国家的要請となったため、昭和14年4月から男子義務制が実施されることになった。ある歴史研究者はこの当時の社会状況を次のように述べている。体育運動の方向を、身体の修練と精神の錬磨におき「挙国一致」、「堅忍持久」、「尽忠報国」の三大スローガンを掲げ、「官民一体」の一大国民運動へと発展させようとしたのである。今は,平和で良かった・・・。