スポーツまいんど その14
◎昔々、スポーツには「アマチュア」があったとさ
その1
スポーツまいんど その14
◎昔々、スポーツには「アマチュア」があったとさ
その1
「アマチュア」、それは懐かしい言葉。「むかしむかし、スポーツの世界ではアマチュアがあったそうな」と「日本昔ばなし」に出てきそうな話。ここでは、この「アマチュア」について考えてみよう。
1911年、日本のアマチュアスポーツの統括組織として「大日本体育協会」が設立された。1911年は明治44年、翌年に明治天皇が亡くなって大正が始まる頃である。「自動車登録台数521台、レコード・蓄音機、しだいに普及」というような時代。このころのアマチュアの規定は「排除規定」、つまり「学生たり紳士たるに恥じざる者のみを認め、脚力を業とする郵便配達や車夫は除外」というように、職業によってアマチュアから排除するというような規定だった。
もともと「アマチュア」というのは、差別から始まったという。1800年代の始めの頃、イギリスでボートやクリケットを楽しんでいたブルジョアが、下賎のものたちがプロとしてボートやクリケットに進出してくるのを嫌がって始まったものらしい。最初のアマチュア規定とされるものは1839年の「ヘンレー・レガッタ組織委員会」のもの。そこでは、大学、パブリックスクール、陸海軍士官、アマチュアクラブ以外の参加を禁止している。また、1866年の「アマチュア・アスレティッククラブ」(このアスレティックは陸上競技のこと)の規定では、手先の訓練を必要とする職業、あるいは雇用者としての機械工、職工あるいは労働者をアマチュアと認めなかった。これは階級的、身分的差別。
しかしその後、ヨーロッパでではスポーツの大衆化や国際化が進み、1880年のAAA(英国陸上競技協会)の規定から労働者の排除の項目が削除されることになる。そして1901年、IOC (国際オリンピック委員会)がアマチュアの規定を統一する。そこでは、「金のために競技するもの」、「プロ選手とともに競技するもの」、「体育教師・トレーナー(1905年削除)」、「マネキン的競技者」がアマチュアから排除された。この IOC の規定ができてから約10年後に日本の規定ができたのであり、日本の規定はこれに影響されたのだろう。
第二次世界大戦の後になると、IOC は否定的な条文を肯定的なものへと代えて行くことになる。「スポーツを愛好するゆえに行う者であり、勝敗をこえて公平にプレイをたたえる観覧者もまたスポーツマンである」。これによって日本のアマチュア規定もスポーツ精神を強調する段階になり「倫理的規定」に変わって行く。「単に運動競技を愛するために競技を行う者。金銭あるいは金銭に等しい報酬を得ようとする目的のために競技するものを排除」というように、ここでは身分や職種による排除はなくなり、金銭等の報酬を得るか、否かでアマチュアかそうでないかが分かれることになった。
「スポーツを愛し、楽しむために自発的に行う」、「ルールに従い、フェアプレーに終始する」、「つねに相手を尊重しつつ、自己の最善を尽くす」、「スポーツを行うことによって、物質的利益を求めない」、「スポーツによって得た名声を利用しない」。これが「アマチュア規定」(日本体育協会)の条項。この最後のふたつ、「物質的利益を求めない」「名声を利用しない」がアマチュア規定の中心的なものとなっていき、オリンピックで優勝したスキーの選手が、スポンサーからお金をもらっていたということでメダルを剥奪される事件などが起こったりした。
つづく