スポーツまいんど その16
◎スポーツする「日本人」再考① 頑張れニッポン?
スポーツまいんど その16
◎スポーツする「日本人」再考① 頑張れニッポン?
バレーボールの世界大会は、何故か毎年、日本にやってくる。テレビ放映もされ、茶の間で楽しむことが出来る。選手も「頑張って」いるが、観客もそれに負けじと「がんばれニッポン」、すごい声援である。教育界では「日の丸掲揚」や「君が代斉唱」の問題が論議されているのに、スポーツの場面では、手放しで「がんばれニッポン」「ニッポン、チャチャチャ」、アナウンサーは「前畑ガンバレ」(注1)のノリで「ニッポン、ニッポン」と絶叫。ちょっと考えてしまう。
日本では、試合に「がんばれ」と言って選手を送り出すことが多い。「ガンバレニッポン」という声援もそれなのだろう。「がんばる」という言葉は、「頑固」の「頑」という字と「緊張」の「張」という漢字で書いて「頑張る」と記される。この「頑」は、「かたくな」と読んで、「すなおでなくねじけているさま、融通がきかず片意地、愚かで教養がないさま、無風流」という意味がある。「張る」は「いっぱいに押しひろがる」という意味であり、「ふくらむ」から「つきでる」こと、そして「気が張る」「欲が張る」のように「緊張」「強く盛ん」という意味がある。つまり「がんばれ」ということは、「頭カラッポにしてテンション高めて一直線にいってこい」という意味にも取れるのである(辞書で調べると「頑張る」は当て字で、「我に張る」の転(変化)と説明されている)。ちなみにアメリカでは「リラックス」などと試合の前に言っているらしい。日本と反対のかけ声である。このような背景には宗教的、あるいは文化的なものが関係している。
外国のスポーツ選手、例えばバスケットボールではフリースローの前、サッカーには得点の後、神を祈って十字切る選手がいるが、日本ではスポーツの時に念仏唱える選手はいない。宗教は日本のスポーツには関係ないと思われるが、正月元旦や大会の前に運動部のみんなで神社にお参りした経験のある人もいるだろう。このように、普段は見逃しているスポーツの中に、我が国の神道や仏教などの影響、そして日本独特の考え方が見られ、それらが日本的「スポーツ」を作り上げている。
日本では、試合の前や、終わった後に、選手たちが揃って挨拶をする習慣がある。甲子園野球を見ればそれがよく解る(甲子園の場合、挨拶は習慣ではなく、1915年に大会が始まった当初からのきまりらしい)。この、試合の前・後に挨拶という行為は、日本的な「礼に始まって礼に終わる」という精神によるものであろう。プロ野球をテレビで見ていても、試合終了後、プロの選手がグラウンドに礼をして退出するという日本独自的な光景を見ることがある。
わが国でスポーツと呼ばれているものの多くが、明治期に世界から日本へという方向で入り込んできたものである。そして、これらのスポーツは、当時の人々の日本的な精神と稽古(練習)という土壌に植え付けられ、育てられ、日本独特のものとなっていくのである。「ベースボールと野球道」という面白い本(注2)で紹介される「ベースボール」と「野球」の日米文化事情のように、外国と比較してみると日本的な特別な「スポーツまいんど」の違いがある。それをしばらく考えてみよう。
続く
(注1)年輩の方はご存じと思うが、1936年のベルリンオリンピックの水泳女子200m平泳決勝の実況放送で、河西アナウンサーが「前畑ガンバレ」を連呼し、「勝った、勝った、前畑勝った」と叫んだという有名な話がある。
(注2)何とこの本(中古品)、現在Amazon で1円(送料257円)で販売中。