スポーツまいんど その18

◎スポーツする「日本人」再考③ 

          「柔道」は「柔術」ではない

  

 

 例えば、「柔道と柔術の違い」に関して次のような見解がある。嘉納治五郎という著名な人物(かのう・じごろう、ある武道を学ぶ学生が、かのうじ・ごろう、と読んだという笑い話がある)、彼は、現代の「柔道」の基礎をつくった人物。嘉納治五郎は柔術と柔道の違いを次のように見ているという。

 「柔術」は、ただ勝敗を主眼とする武技であり、「柔道」は、勝敗の理(ことわり=道理)を討究して原理の発見、これを術に及ぼし、この道を以て、心を修養する法である。つまり「柔道」は勝った負けたではなく、心を修養すること。

 このように、日本的な「技術(わざ)」の考え方では、精神性、人間修養を重視する。だから、ただその「技術」ができればいいというものでなく、その取り組み方だとか、礼儀だとか、挨拶だとかなどの精神的なものを重視する。最終的には「技術(わざ)の奥に幽玄、あわれ、わび、さび、和などの美的理念をも求めるようになる。このような傾向は、日本と西欧のスポーツ「技術」練習の違いにも関係してくる。

 スポーツ技術を習得し、それを高めるために行われるのが「練習」。しかし、柔道や剣道、あるいは相撲などは「練習」とは言わない。「稽古」である。また、お茶やお花、三味線、琴などは「お稽古」。バレーやダンスは「レッスン」。柔道の選手が「これから、レッスンがありますから」なんて言ったら、笑えるだろう。逆に、バスケットボールのコーチが「今日の稽古のメニューは」などと話だしたら、おかしいだろう。

 「練習」という言葉を類語辞典でひくと、「稽古」「訓練」「トレーニング」「レッスン」などという言葉が出てくる。共通する意味は「能力、技術などを向上させるために、一定の作業を繰り返し行うこと」。英語では「practice」「training」。

 「練習」「稽古」は、ほとんど同じ意で、互いに置き換えられる場合も多い。ただし「稽古」は、やや古い言い方で、方法が体系的、科学的でない印象があり、外来語などとは結びつきにくく、芸事や習い事、日本古来の武術などに用いられる。また、演劇や舞台関係でも「稽古」を用いる。「お稽古」の形で使われることも多い(小学館類語辞典)。漢語「稽古」の「稽」は「考える」という意味があり、「古(いにしえ)」を考えることとなり「昔のことを調べ、今なすことは何かを正しく知る」という意味である(語源由来辞典)。

 このように「稽古」と「練習(practice)」は同じ意味であるが、「稽古」は古い言い方で、外来のスポーツには用いられないのが一般的であるらしい。しかし我が国では、外来のスポーツの「練習(practice)」においても「稽古」の要素が多々含まれている。続く。

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