スポーツまいんど その19
◎スポーツする「日本人」再考④
東郷平八郎の心事を察せよ
スポーツまいんど その19
◎スポーツする「日本人」再考④
東郷平八郎の心事を察せよ
1958年、衆議院でオリンピック招致運動促進が決議。翌1959年、IOC総会において1964年度オリンピック開催地が東京と決定。1960年、保健体育審議会はオリンピックを契機とした「体育振興6カ年計画」を答申、東京オリンピック資金財団が設立。1961年、「オリンピック特別措置法」、「スポーツ振興法」が公布。オリンピック資金調達のための特別立法(1962)、文部省体育局にオリンピック課設置(1963)。このような法的、行政的特別措置がとられた。同時に、オリンピック関連事業による交通網の整備などによって日本の経済は「オリンピック景気」と呼ばれるような成長を遂げた。巷には「東京オリンピック音頭」が流れ、スポーツ界のみならず、日本全体が「国民総決起運動」として突き進んでいった。これが前回の「東京オリンピック」の始まりである。
まあ、このように、「東京オリンピック」の開催は歴史的なイベントだった。東京渋谷にある代々木体育館や駒沢のオリンピック公園が完成し、あるいは、首都高速や東京モノレール、東海道新幹線が開会式に間に合うように開通した。東京オリンピック記念貨幣(1000円)が発行され、記念メダル販売では怪我人がでて、王選手が本塁打55本の日本新記録を樹立し、日本武道館が開館し、国体が新潟地震のために中止になったり、警視庁が「トップレス水着は禁止」と全国へ取り締まりを通達したり・・・、まあ、いろいろな出来事が起こった。そして東京オリンピック開会式の日が後に「体育の日」となっていった。
オリンピックの東京開催決定を契機として「体育とスポーツ」から改題した日本体育協会発刊の「オリンピア」という雑誌がある。その第17号(1963)に、昭和38年春期第1回コーチ会議への小泉信三のメッセージが掲載されている。小泉信三は、現天皇が若い頃の教育責任者、戦前の慶応義塾塾長、経済学者、ベストセラーの著作者、テニス、歌舞伎などの行事に精力を割き、戦争中の「最後の早慶戦」の開催に力を尽くした有名な人物。そのメッセージにはスポーツする「日本人」の特徴がよく現れているので紹介しよう。その概略は以下の通り。
「よく勝敗は問題でないといいますが、それは事実ではありません。日本国民は日本選手の勝利を祈っています。少なくとも人に示して誇り得るような健闘を祈っています。勝利への途は何か。ただ練習であります。ただ練習が不可能を可能にし、練習が奇蹟を行います。(中略:日露戦争におけるわが国の日本海々戦の圧勝を猛訓練の賜であった例としてあげている)わが指導者諸君の御苦労は一方ならぬものであることを推察しますが、私は諸君がバルチック艦隊の来攻を前にして日夜猛訓練を督励し、遂によく祖国を護り、また引いて世界歴史をも動かした東郷平八郎の心事を察せられたいものと思います。これが私のメッセージであります」。
東郷平八郎、歴史の教科書への復活が話題になったあの軍人さん。この間、報告した「横須賀ウオーキング」で訪れた「戦艦三笠」の前に銅像がある偉大な軍人さん。そして日夜の猛訓練によって奇跡的な海戦勝利を納めた人。やはり、頑張らなければダメなのである、日本人は。