スポーツまいんど その24
◎勝利はよい(好い、良い、善い)①
スポーツまいんど その24
◎勝利はよい(好い、良い、善い)①
人間には、よきものを求め、悪しきものを避けるという本性があるという。スポーツを行う者にとって、試合の勝利はよきものであり、敗北は悪しきものである。よって、勝利を追求する。
このように人間の行為には、最初に「○○はよい、だから・・・」というような動機、すなわち価値がある。これは、ホジキンソン(Hodgkinson, C.)というイギリスの研究者の理論に基づいている(彼は「リーダーシップの哲学」という本を書いている)。ホジキンソンは「価値」を「行動を動機づける決定子として働く傾向のある、望ましさの概念である」としている。これから、彼の理論に基づいて、「勝利はよい」を考えてみよう。
勝利は「よい」ものであり、その価値(動機)を原動力として勝利を追求する。しかし、その「よきもの」の「よい」にはレベルがある。「よい」をワープロ変換すると、「好い」「良い」「善い」「酔い」「佳い」「宵」などが出てくる。「酔い」と「宵」、また形や質を対象とする「佳い」は除外する。「よい」を「好い」「良い」「善い」の三つのレベルで考えてみよう(ホジキンソンは、三つの価値(good)レベルを数字(Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ)で表している。日本語のなんと素晴らしいことか、漢字で表現できる)。このように考えると、勝利追求の価値・動機には、「勝利はよい(好い、良い、善い)ものである」の三つのレベルがあることになる。
「勝利は好い」というレベルは「好み」を根拠とし、その対象は主観によって好まれ、好かれたもの。例えば、「よい娘(いいこ)だなあ」とか、「あの人、よい人(いいひと)だわ」とか言うときの「よい」。つまり、「私にとって好ましい」という感情を「好い」という言葉で表している。よって「勝利は好い」とは、「勝利は私にとって好ましい」という感情的好みのレベルの価値を表す。
「勝利は良い」というレベルは二つに分かれる。どちらも、先の「好い」という感情的レベルを超えた、「私にとって適している、同意、承認できる」という認識や思考のレベル。ひとつの「良い①」は「コンセンサス(意見一致)」を根拠とする。つまり、集団(チーム)のみんなが「勝利は好いものである」と感じているから、「良い」ものであり、追求すべきものであると認識する。
もうひとつの「良い②」は「結果」を根拠とする。勝利は、ある利益をもたらすが故に「良い」ものと認識されるのであり、価値判断はその結果においてなされる。例えば、試合の勝利という結果によって、ランクが上がったり、収入が増えたり、人気が出たりなど、様々な利益がもたらされる。よって「試合の勝利は、その結果によって何らかの利益が得られるが故に、良いものである」と認識される。
「勝利は善い」というレベルは、「好い」という感情、あるいは「良い」という認識や思考のレベルをさらに超えた処にある。そこは、「勝利、それ自体が正しい、善である」という信念に基づく意志のレベル。つまり勝利は、感情や理屈を超えて「善きもの」と信じられた価値となる。
この「勝利はよい(好い、良い、善い)」という価値(動機)は、スポーツにおける様々な問題を醸し出す(かもしだす)こととなる。
続く。