スポーツまいんど その30
◎「スポーツ」と「遊び」 ④「遊」の意味
スポーツまいんど その30
◎「スポーツ」と「遊び」 ④「遊」の意味
「遊び」の現象学* その1「ぶらぶら」
これらの「遊」の意味は3つに分類できると思う。まず、「ぶらぶら」というキーワードで表せる「一定でない」という意味。これは「ハンドルのあそび」などというような使用法に現れている。前回紹介した「遊星」「遊牧」「遊観」という言葉に見られるように、「一定の地点にいない」という意味。
「遊星」は「惑星」のことであり、これらの星(水、金、(地)、火、木、土、天、海、冥、— 今は、冥、海の順)たちは、様々な星座(恒星の集まり)の間を「ぶらぶら」としているように見える。つまり、一定の場所に出現するものではない。また、「遊人」「遊侠」「遊客」「遊食」「遊民」は「一定の職がない」ことを意味している。
「遊び」の現象学 その2「ゆらゆら」
次に、「ゆらゆら」というキーワードで表せる「自由であること」という意味。これには、例は悪いが、「もてあそぶ」、つまり思いのままに扱う、自由にする、というような使用法がある。「もてあそぶ」は「翫ぶ」「弄ぶ」「玩ぶ」と書かれ、「もて遊ぶ」とは書かれないが、意味は「持ちて遊ぶ」である。
前回の問題の正解「遊草(あそびぐさ)」=「柳」、「遊糸」=「かげろう」は、柳の葉(枝?)が風に吹かれてゆらゆら、熱気が地面からゆらゆら、自由に動いている様を表した言葉である。
「遊び」の現象学 その3「いったりきたり」
さらに、「いったいきたり」というキーワードで表せる「離れる - 戻る」というような意味がある。先の、「遊離」、「遊学」、「遊子」は、本来の居場所(故国や古里など)から離れてはいるが、そこへと戻ることが前提となっている。だから、他郷にある「遊子」は古里を思い、そこへ戻る日を待ちわびて悲しむ。
「遊君」、「遊女」はどうだろうか。ここで注意することは、「遊君」、「遊女」は遊ぶ女性のことではない、ということ。彼女らは「遊ばれる女性」。遊ぶのは旦那や客。旦那や客たちには基本的に本妻がいる。彼らは、その本妻の元を離れ、一時の享楽にふけり、そして本来の場所へと戻っていく、それが「遊び」。つまり、本妻(など)から一時的に離れ、そして戻っていく、そのことの対象となるのが「遊君」、「遊女」。それを提供する場が「遊郭」であり、そのようなことを「遊」と表している。
現代ではどうか。例えば、愛人関係が破綻し、去っていく男に向けての決まり言葉、「あそびだったのね」。これは(本妻の元へ、あるいは普通の生活へ)戻ってしまった彼への恨み言葉。また、多くの女性の間を「いったり、きたり」していた男性が、ある女性の元へ「いたっきり」になって戻れなくなったとき、「遊び」は終わる。あなた(貴男)方の中にも思い当たる人もいるだろう。そう、左手の薬指にあの重い(その時はそう思わないが)金属の輪が絡みついたとき、そのとき「遊び」は終わる。もう、戻れない。
このように「遊」の意味のひとつとして「離れる - 戻る」という状況があるように思える。「いない、いない、ばあ」は、「ばあ」とお母さんの顔が戻ってくるから「遊び」になる、「いない、いない・・・」のままでは子供は泣き出す。「かくれんぼ」で鬼をやっていて、いつのまにかホントにみんながいなくなってしまったら、それは恐怖。つかの間のあとに、みんな戻ってくるから「遊び」。
* 今回の話は、西村清和の「遊びの現象学」(勁草書房)に基づいている。