スポーツまいんど その33

◎「身体(からだ)」と「こころ」

        ②「からだ」が「こころ」を支配

 

 「咄嗟に動く」、「無意識に動く」、それを支えているのが「身体図式」。前回、「からだ」が「こころ(意識)」よりも先という話をした。今回はその続き。

 「身体図式」に基づいて「からだ」が「こころ(意識)」よりも先に動くという現象は スポーツの運動だけではない。私たちは日常の生活で様々な運動を行っている。朝、目が覚めて「からだ」を起こす運動、そしてベットから降りる(布団から立ち上がる)運動、ドア(ふすま)を開ける運動。洗面台の前で、合わせた手のひらの中に水を溜め、顔を擦る運動。このような様々の運動は、特別にそのやり方を意識することなく「からだ」が動いているのである。

 例えば「歩く」という日常の運動がある。それは誰もが日常、行っている運動であるが、考えてみると、「歩く」ということはかなり難しい運動である。身体のバランスをわざと崩して、片足を前に出し、それに体重を乗せて、膝を曲げて・・・というような運動である。それをひとつひとつ十分に意識しては、歩くことができなくなってしまう。例えば、「百足(むかで)」なんかは大変であるだろう。100本も足があるから、1本、1本、意識をして足を動かしているとは思えない。私たちは幸い、足が2本であるが、その運動を意識したら歩きにくい。私たちは無意識に「歩いて」いるのである。それを支えているのが「身体図式」というものである。

 人間には、「感覚」「思考」の「意識の領域」と「感情」「情動」の「無意識の領域」があるという。しかし、この「無意識の領域」が注目されることは少ない。何故ならば、私たちは「心(こころ)が身体(からだ)を支配している」と一般的に考えるからである。「心内にあれば色外にあらわれる」という諺(ことわざ)がある。これは、心に思っていることがあると「色(顔色や行為など)」にあらわれるという意味である。このように、心が身体を支配していると考えるのが日常である。

 ところが、先に話をした無意識に「歩く」という人間の運動を考えてみると、「無意識レベルにおいて身体が世界に対して行動すべく身がまえるはたらき」があると考えることもできるのではないだろうか。つまり、日常とは逆の世界、「からだ」が「こころ」を支配している、という世界があるのではないか。

 盲目のピアニスト「辻井伸行さん」の演奏を(TVであるが)見たことがある。彼の演奏を見ると「からだ」でピアノを弾いているように思えてくる。何らかの「意識(こころ)」によってあの素晴らしい指の動きを生み出しているとは思えない。そうではなくて、「からだ」の全体的な動きによって生み出された音響に彼自身の「こころ」が陶酔していると思えるのである。

 ジェームとスランゲという心理学者は、面白いことを言っている。

 「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」


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