スポーツまいんど その34
◎「身体(からだ)」と「こころ」
③「からだ」でわかるということ
スポーツまいんど その34
◎「身体(からだ)」と「こころ」
③「からだ」でわかるということ
「からだ」でわかる、ということがある。あるいは「からだ」でしかわからないことがある。例えば「私は腰が痛い」といった状況のとき、その痛さをことばで説明することは難しい。自分の「からだ」の痛みは十分に分かるのだが、他者の「からだ」の痛みなどはいくら言葉で丁寧に説明されてもよくは分からない。このように分かりづらい「からだ」の状況を「からだ」で分からさせるという試みがある。「体験」である。
この「からだ」の状況を体験できるグッズが販売されている。例えば「妊婦体験ジャケット」なるものがある。妊娠したときのあの「からだ」の重さ、説明するのは難しいという。私には全く分からない。「妊婦体験ジャケット」のカタログには「妊婦体験学習をする事により、思いやり・協力することの大切さを理解しましょう」と書かれている。お腹や胸の処が膨らんだ重さ7kg(外国のモノでは15kgというのもある)のジャケットを着込んで、妊婦さんの「からだ」の状況を「体験」、つまり「からだ」で分からせようというものである。「女性の乳房を象った胸の重り」や「胎児・羊水が入っている子宮を象った 腰の重り」などが備わっているスーツ、なかなか良いモノであるが定価7〜8万円と高額なのが残念。
「高齢者疑似体験グッズ」というものもある。「視覚障害ゴーグル」「手首足首用重りバンド」「肘サポーター」「イヤーマフラー」などを装着して高齢者の「からだ」を体験させようというものである。このグッズも1〜2万円、高級品では10、20万円と高額であるが、100円ショップの商品を用いて手作りすることができそうである。このような体験グッズを使って「からだ」でわからせることは道徳教育に繋がることとなる。
例えば学校の道徳教育では、「電車では、お年寄りに席を譲ろう」と教える。そして作文を書かせたりもする。しかし子どもたちや若い人には、お年寄りの「からだ」が重かったりすることが「こころ(頭)」で推測できても、このお年寄りの「からだ」の状況を実感することはできないのである。だから、電車で「やっと座れた」と思っているときに、お年寄りが乗ってくる。心の中では「あっち行ってくれ」と思う。そういう時に限って前に立つ。しょうがない「寝たふり」をして座席確保。「電車では、お年寄りに席を譲ろう」という作文を書いたことのある人も。
しかし「高齢者疑似体験グッズ」で、お年寄りの「からだ」を一回でも良いから「体験」している者は、そのお年寄りの「からだ」の状況を「からだ」で分かっている。「あ〜、足、重いんだろうな」「腰も重いんだろうなあ」と「体験」した自らの「からだ」の感じをリアルに思い出すのである。それが席を譲ることにつながるとは限らないが、本読ませたり、作文書かせたりすることよりも遙かに道徳教育効果は高いと思われる。「からだ」で覚えたことは忘れない。「からだ」でわかる、ということを馬鹿にしてはいけない。
先ほどから「体験」という言葉を使っているが、それには意味がある。「経験」という言葉と比較してみよう。「体験」の「体」は「からだ」であり、「体験」とは「身をもって験(ため)す」ということである。「経験」の経(けい)は「通り過ぎる・時間がたつ」という意味であり,「通り過ぎる時間を験(ため)す」ということである。「体験」は単に時間が通り過ぎるのではなく、「からだ」全体で、つまり「身をもって」かかわることとなるのである。