スポーツまいんど その38
◎「身体(からだ)」と「こころ」
⑦「からだ」は「こころ」
スポーツまいんど その38
◎「身体(からだ)」と「こころ」
⑦「からだ」は「こころ」
「からだ」は「こころ」でもある、と言っている人がいる。「精神としての身体」という本を書いた「市川浩」という哲学者である。市川は「身(み)」という言葉を例に「からだ」は「こころ」を説明する。「身」という言葉は、日本固有の表現で、「身体でも精神でもある」状態を表しているらしい。例えば、技(わざ)を「身につける」という。このときの「身」は「からだ」でもあり「こころ」でもある。その他、辞書で調べてみると「身内(みうち)」「身重(みおも)」「身籠(みご)もる」「身軽(みがる)」「身勝手(みがって)」「身構(みがま)え」「身代(みが)わり」「身支度(みじたく)」「身銭(みぜに)」「身嗜(みだしな)み」「身近(みぢか)」「身分(みぶん)」「身の上」・・・。また、「身から出た錆」「身に余る」「身に覚えがある」「身になる」「身も蓋もない」「身を焦がす」・・・。まあ、なんと「身」の付いた日本語の多いことか、身に沁みる。
この市川の「身」を用いた「身読(しんどく)」という言葉がある.「身に読む」ということである.「心で読む」と言えば何となく解った気がするが、文章を読むときに「からだ」がどのように関わってくるのかよく解らない。それを研究した人が、「身読」をするためには,「姿勢を正し, 息を調え,身を調えてから読む」という身体的な対応が求められると言っている.これは「身で同調する」技法であり、「スポーツまいんど(その35)「身体(からだ)」と「こころ」 ④「からだ」の同調(シンクロ)」で話をした「身体図式的同調」が求められているのである。そして「全身心を挙げて著者の身の語りに耳を傾け,著者の体験を辿り,著者と共に歩む」らしい。
また、ある研究者は「コミュニケーション教育」における身体を論じている.彼は「身振りや言葉を通じて身体が意味を生成・具現する」と述べ、「からだぐるみ」の対話によってコミュニケーションは成立すると主張するのである。確かに会話をしているときに、その相手の「からだ」の動きはなんとなく影響を与える。電話の言葉だけの会話と比べてみれば、相手の「からだ」の動きを見ながらのコミュニケーションの方が、十分に話し合ったという気分になる。この研究者、最終的にコミュニケーション教育のキーワードは「からだにもどれ」であると主張している。また演出家の「竹内敏晴」は演劇のレッスンを「閉じられ、痛み、歪んだからだを他者に向かって劈(ひら)いてゆく実験」と述べ、「からだ」を重要視している。
このように「読書」「会話」「演劇」などの「こころ」の舞台と思われる状況にも「からだ」は大きく関わっているのである。「からだ」は「こころ」という「身」の世界は、以下の日本語にも多々ある。
「頭に来る」「腹が立つ」なんていう言葉がある。それ以外でも「顔が立つ」「胸が痛む」「手中に収める」「足が出る」「膝が笑う」「肘を張る」「尻が重い」。「顔」は「立ったり」「広がったり」「売れたり」「利いたり」「曇ったり」、そして「火が出る」こともある。その「顔」の中でも、「目が無い」「鼻が高い」「口が重い」「耳が痛い」「歯が立たない」、なんと「喉(のど)から手が出る」まで「こころ」の状態を表している。
「からだ」は「こころ」、何となく「身になる」話、あるいは「身の毛がよだつ」ような話?。