スポーツまいんど その40

◎遠足と運動会①

 

 「遠足」と「運動会」、小学校時代を振り返るととても懐かしい学校行事だった。「遠足」はお弁当やおやつを持って出かけ、いろんな自然や文化を観てくる行事。「運動会」は学校で運動や演技、あるいは競争を行い、それを見に親やじいさん、ばあさんが集まって来て、昼飯を一緒に食べたりする行事。まあ、何となく異なった学校行事と思ったりした。しかし「遠足」と「運動会」は深い関係があったのだ。

 古い「遠足(らしきもの)」には「安政遠足(あんせいとおあし)」なるものがあった。これは安政2年(1855年)に藩士96人の鍛錬のために「安中城(群馬県安中市)」から「碓氷峠」の「熊野権現神社」まで30km、標高差1000m以上を走らせた徒歩競争(順位、タイムは重要視されなかった)。この「安政遠足」、日本のマラソンの発祥と言われ、昭和50年(1975年)から「安中遠足 侍マラソン」として毎年開催されているという。

 明治時代となって学校ができ、「遠足」が始まる。この「遠足」の始まりについては諸説があるらしいが、「遠足」という言葉が一般的に使われるようになったのは明治30年後半(1900年代)で、それまでは「行軍、遠足運動」と言われていたらしい(「行軍」とは「軍隊の隊列を組んだ遠距離行進」のこと)。明治10年代後半(1880年代)の「遠足」は、校外の神社境内、海岸、河原、公園などに隊列を組んで行進して、そこで遊戯や体操を行う「遠足運動会」だったらしい。つまり最初の頃の学校は校庭も狭く、いくつかの学校が河原などの広い場所に集まって、学校別の対抗戦などが開かれ、それに参加するために全校生徒がお弁当を持って開場に歩いて行った、これが「遠足運動会」であり学校の「遠足」の始まりらしい。

 この「遠足運動会」の歩きは、兵式体操の隊列運動とも言える。前回の「走れなかった日本人」で話したように、初代文部大臣である「森有礼」は、隊列運動を中心とした「兵式体操」を1885年(明治18年)に学校教育に導入するのである。小学校では隊列運動が行われて、ある記録には「○○小学校にては生徒の気質鍛錬の目的にて運動会又は遠足の時生徒に携へしむる為新たに木銃五十挺を調製したる・・・」と書かれている。つまり「木銃(もくじゅう:練習用の木製の銃)」を携(たずさ)えての行進、つまり「行軍」のトレーニングが行われていたのだ。

 明治19年(1886年)、東京師範学校の「長途遠足」が行われる。「東京師範学校」とは明治5年(1872年)に設置された、先生を養成するための学校(後の東京教育大学→筑波大学)。その中小学師範学科の生徒100名が東京から銚子方面へ12日間にわたる徒歩遠足を行ったのである。行軍1日7里にもおよぶ、これは兵式体操用の鉄砲を携帯した演習であると同時に、博物の観察、文化遺跡の見学、他学校訪問見学などの校外学習にも力点を置いたものである。「森有礼」が望んだ兵式体操の教育に対して、そのときの校長「高峰秀夫」が望んだ将来の教師の教育が成されていたのだ。この12日間の「長途遠足」は、1日7里(約28km)の行軍があったため、身体的疲労が甚だしく、校外学習が十分にできなかったらしい。この「長途遠足」、現在の「修学旅行」の始まりとされている。

 このように「遠足」の始まりには、「運動会」そして「兵式体操」の教育が関わっていたのだ(続く)。


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