スポーツまいんど その46
◎すぽると思い出③
スキーの最初と最後
スポーツまいんど その46
◎すぽると思い出③
スキーの最初と最後
思い出話、今回はスキーの最初と最後。地元、静岡は雪がふることは殆ど無く、冬に舞ってくる白いものを「風花(かざはな)」と呼び、10年に1度の積雪(2-3ミリ)では家族総出で記念写真。そんな私のスキーとの最初の出会いは1962年(昭和37年)1月、場所はボーイスカウトの交歓会で行った富山県「砺波(となみ)」。大雪の「砺波」のスキー場へ。そこでは「ゴム長靴」にスキー板をつけて雪の中へ。滑るとすぐに新雪の中にひっくり返り、もがく。流れてきたスキー板が長靴に当たり痛いという記憶のみである。
2回目の出会いはそれから6年後、高校3年生の時、場所は志賀高原のスキー場。友人2人と私、ひとりの友人だけが経験者で、あとは初心者。志賀高原の「発哺ブナ平スキー場」へ行く。靴とスキー、ストックを借りてゲレンデへ。最初の滑り、途中でコテン、そのままスキー板は下へ下へと流れて行く。流れ止めのバンドを付けることなど知らなかった。ゲレンデの下へ下へと歩いて行き、3人で私のスキー板探し。かなりの時間(小一時間)探したが、スキーは見つからない。しょうがない、もうあきらめてゲレンデを登って行くとスキーの板がゲレンデの端っこに刺してある。私のスキー板であった。誰か分からないが、ありがとう。
翌日、ゴンドラに乗り山の上に。コースを下って行く(50年後の今、調べてみると、そこは「東館林間コース」全長4000m、初級コースだったらしい)。その細いコースを滑って行くと、前の人にどんどん近づく。このままではぶつかってしまう。スピードを緩めたり止まったりはできない。すると前方横に雪が溜まってふわっとした処が見えた。よし、そこに突っ込んで止まろう。そして突っ込むと脚が「グキッ」。なんとそこは細い樹木の絡まりに雪が溜まっていた処であった。そして「捻挫」、どうしようかと困っていた。ラッキーなことに雪上車がコースを下ってくる、乗せてもらう。これでスキーとの2回目の出会いは終了。
この友人とのスキーは、静岡から東京に行き大学受験の発表を見てから行った。行きは3人とも不合格、つまり「滑った」。そしてスキー場で「滑った」。帰りにまた東京で大学の受験発表を確認、私は合格。「捻挫」した私はもう滑れなかった。ふたりの友人はまた「滑った」(友人の名誉のために言うが、この年の入試は、学園紛争で東大などが入試中止、大学入試競争率が異常に高かった)。
3回目の出会いは大学の「スキー実習」。当時のスキー板の長さは「身長+30cm」と言われていたので、なんと私は210cmの板、とても操作できるものでない。こんな変な出会いばかりだったが、大学卒業後はかなりのめり込んで行く。よく行った「越後湯沢」の民宿には「ただいま」といって行くほど通った。しかし全て自己流の滑りだった。そんな私にスキーを教えてくれたのが私が勤めたT大学のY先生、「ヤッさん」である。
スキーの最後は私の師匠「ヤッさん」の話。彼は大学のスキー実習の中心教員、大先輩である。若手の教員は実習前に「ヤッさん」とスキー練習会に毎年行った。「クボちゃん、膝がイイなあ」と褒められ、私はその気になった。そんな「ヤッさん」が患う。どうやら「癌」らしい。それでも実習の前のスキー練習会を行った。「ヤッさん」の病とは思えないスキーの滑り、新任教員へのスキー指導。そして練習会最後の日、「ヤッさん」と一緒に滑っていた私たちは滑り終わり、スキー板を外した。ふっとゲレンデを振り向くと「ヤッさん」はひとり、もう一度リフトで上がって行く。そして、雪を踏みしめるようにゆったりと下ってくる。何回も、何回も、ターンを確認するように滑ってくる。私はその滑りをじっと、かみしめるように見つめていた。「ヤッさん、オレ見たよ・・・」心の中でつぶやいた。これが私のスキーの師匠「ヤッさん」、その最後の滑りだった。