スポーツまいんど その47

◎すぽると思い出④

           キャンプの最初と最後

 
 

 キャンプの最初は60年近く前、ボーイスカウトのキャンプだった。場所はよく覚えていないが「カレー事件」や「不明事件」などがあったことを覚えている。「流星班」班長の私と「タイガー班」班長が「隊長(大人)」にカレーの夕食後に呼ばれた。隊長「さっき食べたカレーちょっと酸っぱかったと思わない?」。班長2人「そんなことありません」。隊長「そうか〜、でも、班員たちにこの事、言わないでおいて・・・」。キャンプ場不明の事件。夕方、キャンプ場に向かってゆくが、どうも到着しない。だんだんうす暗くなってくる。隊長たちが相談し、河原にテントを設営。下はゴツゴツの石、テント固定の「ペグ(杭)」を打ちづらいし、寝づらい。

 それから15年後、今から40年ほど前にキャンプ復活、これは「強行軍キャンプ」である。朝、娘たち2人は幼稚園へ。それから午前中に「ダイクマ(昔のショッピングセンター)」で「テント」を購入。自宅に戻り、その他の用品、食料品を車に積み込んで夕方、「幼稚園」へ娘たちを迎えに行く。そして行ったのが、車で30分の平塚市「湘南平」へ向かう途中にある森の中、髙麗山こどもの森キャンプ場。まだ春頃、平日なのでキャンプ場は貸切。森の中を子どもたちと歩き、木の枝を採取し火起こし、飯ごう炊飯。ちょっと寒いが、とても静かな夜。次の朝、テントを片付けて、娘たちを幼稚園へと送った。

 それから年2〜3回の家族キャンプの実践。よく行った処は、御殿場の「乙女森林公園」、山梨の道志村「谷相郷(やそうきょう)キャンプ場」(この二つは温泉施設が隣接)。近場では秦野市の「滝沢園キャンプ場」、松田町寄(やどりき)ます釣り場の奥のスペース。その他、相模湖ピクニックランド、富士五湖「西湖自由キャンプ場」などである。そしてなんと35年ほど前に「キャンピングカー」を製作。マツダの「ボンゴ」という商用車を購入し、ベット、テーブル、カセットガスコンロ使用台、カーテンなどを自作、ポータブル電源、携帯用シャワー、なんとポータブルトイレを設置。この「キャンピングカー」で行った長野県美ヶ原高原「三城いこい広場オートキャンプ場」が一番遠いキャンプ場であった。ここへのキャンプの前、大学バスケットボール部の合宿(長野の鹿教湯温泉)に監督として5日間参加し、終了後、中央線の「茅野」駅に家族を迎えに行き「ビーナスライン」を通って行った場所。またしても「強行軍キャンプ」である。

 キャンプは1泊では「すぽれじゃ」にはならない。こんな体験があった。「西湖」のキャンプ、向かいの場所に若いお父さんがやって来た。見ていると息子に、とても気忙しく、指示しながらテントをセット。仕事の延長のようなセットが終了。そして椅子に座った彼の表情がだんだんと変わっていく。息子への言葉も、ゆったりし、優しくなってゆく。「すぽれじゃ」に入り込んでいった。翌朝、彼はテント撤収した。本当に淋しそうに現実に戻っていった。私は4泊のキャンプ、ゆったりとした時間が継続してゆく。

 キャンプの最後は1991年8月、30年ほど前のことであった。自然がふんだんに残った処(田舎町)に引越し、犬を飼い始めた。毎年のように家族で行っていた「寄り(やどりき)」に犬2匹を連れて行った。我々だけの貸切状態だったので、テントの横に犬を繋いで、就寝。しかし夜中に犬たちが淋しそうな声を出す。その度に慰めた。犬たちと一緒にキャンプを楽しむのはむずかしいと思った。子どもたちも忙しそうな年代となっていった。引っ越した処での緑に囲まれた生活、「毎日、キャンプ場にいるようなもんだ」という気分。そうだ、家の生活をキャンプもどきにしてしまおう。よって「テント」は貼らなくなったが、今も毎日が「キャンプ」である。