スポーツまいんど その50
◎昔のすぽると② 相撲 その1「相撲興行」
スポーツまいんど その50
◎昔のすぽると② 相撲 その1「相撲興行」
参考文献の「近代体育スポーツ年表」には1802年(享和2年)、「[11月] 江戸本所回向院で相撲興行あり」という記事がある。「相撲」は古代から行われていたものであるが、この1800年代には江戸で「興行」として行われたのだ。この「本所」の「回向院」とは何か、「興行」であるなら「見る すぽると」の始まりなのか?「相撲」は「土俵の上で力士が組み合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもあり(由来は弓取式)、娯楽でもある」とフリー百科事典に書かれている。今回は「昔のすぽると」として「相撲」を取り上げ、その「娯楽(すぽれじゃ)」部分を報告する。
「江戸本所」の「回向院(えこういん)」とは東京の墨田区両国にある浄土宗の寺院。1657年(明暦3年)に創建、江戸時代後期の戯作者、浮世絵師「山東京伝」や「鼠小僧次郎吉」などの墓がある。1768年(明和5年)に境内で「勧進相撲」(公共社会事業の資金集め)が興行され、これが今日の「大相撲」の起源となる。この「勧進相撲」は「回向院」のみならず、深川の「富岡八幡宮」や湯島の「天神社」で晴天8日間の興行が行われた。そして、65年後の1833年(天保4年)から、「回向院」の相撲興行が独占し、春秋2回興行の定場所となる。そして1909年(明治42年)の旧両国国技館ができるまで76年間続くのである。
あるスポーツ史の研究者の研究によれば、「儒学者」が江戸の三大娯楽は「勧進相撲」「歌舞伎芝居」「吉原遊郭」であると述べたように、凄い「すぽれじゃ」だったらしい。「回向院」の境内の空き地に、間口、奥行き30m以上、約1200㎡の広さの「相撲小屋」が建てられた。小屋の内側の四方には二階の「桟敷(さじき)」の席が設置されたという。下の方の「土間」席から竹の簡単な梯子(はしご)で上がっていったらしい。小屋の周辺には「櫓(やぐら)」が立てられ、その上では太鼓が打ち鳴らされた。なんと早朝4時から夕方4時までのあいだ「天下泰平」を祈念して打ち続けられたらしい。その「櫓太鼓」の下部には、大きな「番付」が表示され、紙の「番付表」も発行されたという。
記録によれば1856年(安政3年)の秋場所6日目は10,313人が入場し、「客留(キャクドメ)」にしたという。現在の「両国国技館」も11,000人ほどの収容人数だから、同じくらいの観客といえる。しかし、二階の「桟敷席」の定員は1,200人であり、「土間」の席には8,000〜9,000人が詰め込みされ観戦したと思われる。先の研究者は、「桟敷席」の値段は4000文前後、「回向院」の相撲小屋の「桟敷席」は8人詰めであったから一人約500文、「土間席」は200文程度と推論している。江戸物価は「豆腐」「お銚子」が12文(390円)くらいだったので、混雑「土間席」でも今の6500円、チョット高い「すぽれじゃ」。
相撲にも「富士登山」と同様に「女人禁制」があったという。現在でも女性が土俵上に上がることを忌避している。2000年の大阪場所の表彰式では、大阪府知事の太田房江さんが土俵に上がることが拒否された。それが8年間も続いた。2018年の春巡業で舞鶴市市長が土俵上で突然倒れ、その救助に駆け寄った女性(看護師)に「女性は土俵から降りて下さい」とアナウンスがあり、その女性が降りた後、大量の塩がまかれたという事件もあった。こんな「女性禁制」は伝統的な慣習だという人がいるが、「女相撲」という言葉は「日本書紀」に見られ、江戸時代以降は興行記録が残り、戦前まで「女相撲」の興行が行われていたという。「女相撲」の詳細はこのホームページでどうぞ(https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/wakamidori-zeki)
続く