スポーツまいんど その51

◎昔のすぽると③  相撲 その2「横綱の免許証」

 

  参考文献「近代体育スポーツ年表」には1805年(文化2年)、「勧進相撲の3力士、鳶人足(とびにんそく)と喧嘩」という記事がある。この事件は「め組の喧嘩」として有名である。今回は「昔のすぽると」のスター、相撲の力士を取り上げる。

 「め組の喧嘩」とは相撲の春場所(これは芝明神宮境内)のとき、些細なことから町火消し「め組」の鳶職と力士の喧嘩が起こる。それが広がり、火消し衆と力士仲間の大乱闘となり、与力、同心が出て割って入り、火消しと力士合計36人を捕縛したという事件。その事後処理が相撲を仕切る「寺社奉行」、町方の事件を扱う「町奉行」、農民の訴訟を扱う「勘定奉行」、この三奉行の協議によって進められるという珍しい形となったという。この事件、すぐに「講釈」で語られるようになり、歌舞伎の演目となった。現在も「神明恵和合取組(カミノメグミワゴウノトリクミ)〜め組の喧嘩」として演じられている。

 その登場人物「四ツ車大八(よつぐるまだいはち)」と「久竜山浪右衛門」は江戸末期に実在した力士である。「四ツ車」は前頭3枚目にまでのぼりつめたという。「けんかのヒーロー」だった彼は、その頃の有名な力士「谷風」「小野川」「雷電」に負けないほど人気のある力士だったらしい。

 この有名な力士「谷風」、「谷風 梶之助(かじのすけ)」2代目は4代横綱、「小野川喜三郎」は5代横綱とされているが、実際は初代と2代横綱であるらしい。初代横綱は「明石志賀之助」、2015年日本相撲協会が初代横綱に認定するが、実在したかどうか不明らしい。2代と3代の横綱も確定できていない伝説上の人物という。初代横綱「明石志賀之助」は身長が2m超えた(八尺三寸:251.5cm)といわれている。日本で一番大きな人は1962年に27歳で亡くなった「松坂さん」の238cm、バスケットボールの「岡山くん」が230cm、それより大きかった?

 「横綱」というと「番付表」の最高位と思われるが、「横綱」の文字が番付表に記載されたのは明治に入ってから、それ以前は「大関」が最高位であった。「横綱」の始まりは「行司(ぎょうじ)」の総元締めの「吉田司家(よしだつかさけ)」、800年以上の歴史を持つ相撲の家元、が考案し、1789年(寛政元年)に先の「谷風」「小野川」にその免許状を授与したことが始まりであるという(だから「谷風」が実際の初代横綱)。「谷風」は21回優勝、63連勝(止めたのは「小野川」)を成し遂げた。「小野川」の次の横綱は「阿武松(おうのまつ)」であるが、38年間も横綱免許状授与は無く、有名で強かった「雷電」も授与されていない。当時の番付の最高位は「大関」で、「綱を張る」横綱は「御抱え(おかかえ)」の大名の力関係や派閥争いで決まっていったのかも。明治に入ると有力後援者の優遇で生まれた「藩閥横綱」もいたらしい。

 「横綱」という言葉の語源は、横綱だけが腰に締める白麻製の綱に由来している。番付の本来の最高位である「大関」の語源は「大関取」、「関脇」の語源は「大関の脇をつとめる者」、十両以上の力士が「関取」と呼ばれ、「大関取」が力士で一番。「横綱」はいなくてもかまわないが、東西1名ずつ「大関」がいないとダメ。今年の番付表に西横綱の「鶴竜」が「横綱大関」と記載されたが、それは今年の西大関が不在、「大関」が番付に欠かせないということから「横綱大関」としたという。今年の11月場所、横綱、大関が休場し、ただ一人の大関として頑張って「貴景勝」優勝、「大関取」ですなあ。来年こそ横綱の免許証もらえるかも?