スポーツまいんど その54
◎昔のすぽると⑥ 毬杖(ぎっちょう)
スポーツまいんど その54
◎昔のすぽると⑥ 毬杖(ぎっちょう)
昔の「すぽれじゃ」として平安時代から行われていた「蹴鞠(けまり)」、「打毬(だきゅう)」を取り上げたが、今回は「毬杖(ぎっちょう)」の紹介である。
「毬杖(ぎっちょう)」は、「毬(まり)」を「杖(つえ)」で打ち合う「ホッケー」のような遊びらしい。前回紹介した「打毬(だきゅう)」に似ているが馬には乗らず、先端に編みの付いたスティック(毬杖:きゅうじょう)ですくい取るのではなく、先端に木がついた「毬杖(ぎっちょう)」で打つ。かつては宮廷で行われていたらしいが、平安時代の終わり頃から子どもの遊びとして広まり、鎌倉時代には主に正月に遊ばれる男の子の「すぽると」となったらしい。そして、子孫が繁栄することを願うという「縁起担ぎ」の遊びとなっていったという。因みに1月に行う「どんど焼き」、昔は「左義長(さぎちょう)」と言われていたらしいが、それは「三毬杖」の意味で、三本の毬杖を立てて門松などといっしょに燃やしたのが始まりらしい(広島県立歴史博物館の話)。
「打毬(だきゅう)」は現在「宮内庁」で継承されているが、「毬杖(ぎっちょう)」は「日本レクリエーション協会」が「なつかし遊び:レクリエーション・ゲーム」として紹介している。人数は3人対3人、スティックは木の枝を削ったもの、玉は犬用のおもちゃボール(へちまボールなど)、対戦は前後半各5分、合計10分、・・・いろんな解説がされている。
「毬杖(ぎっちょう)遊び」を起源として、この杖(スティック)が変化して「羽子板」になったと考えられているという話がある。それが鎌倉時代になると「羽根つき遊び」となったらしい。当時の宮様の日記「看聞御記」永亨4年(1432年)には、「正月五日に宮中で、こきの子勝負をした」と書かれていたらしい。室町時代の書物には「正月に羽子板を用いた」という記述があったという。「羽子板」は「胡鬼板(こぎいた)」とも言われ、板で突く羽根を「胡鬼子(こきのこ)」と言い、蚊を食べる蜻蛉(トンボ)に似せたという。先の「こきの子勝負」とは羽子板の勝負のことだろう。
「羽子板」は「羽根つき遊び」の道具であったが、徐々に「厄払い」としても使われるようになり、「魔除け」として女性に送るようになる。また江戸時代になると、歌舞伎役者などをかたどった「押絵羽子板」が流行する。「押絵」とは型紙に綿を入れ、布で立体的に絵を表現する技法。板から役者さんが飛び出してくるようなモノ。井原西鶴の書物『世間胸算用』の中に、正月に羽子板が江戸の市場で他の正月用の玩具と共に売られていたということが書かれているらしい。現在でも「浅草寺」で「羽子板市」が開催され、大勢の客が訪れている。
「羽根つき」が「毬杖(ぎっちょう)」から生まれたかどうかは解らないが、奈良時代に男子の神事の「蹴鞠」に対して、女子の神事として「篦(へら)」のような杖(スティック)で「毬」を打ち合う遊び、神事があったという。それが室町時代に変化し、公家の間で男女対抗の羽根つき大会が行われたようである。