スポーツまいんど その59

◎昔のすぽると⑪  鬼熊の力持ち会

 

  参考文献「近代体育スポーツ年表」には1874年(明治7年)の7月15〜17日、「神田豊島町の鬼熊、浅草寺の境内で一世一代の大力持ち会を開催」という記事がある。これは東京日日新聞の7.12の記事らしい。この「鬼熊」そして「力持ち会」とは何のことだろうか。今回はこの「鬼熊」、そして浅草寺で開催された「力持ち会」を取り上げ、それは一体、何であったのかというお話。

 江戸時代の後期に「酒屋」や「米屋」の人足たちが「酒樽」や「米俵」を曲芸のように持ち上げて力を争うことが流行ったという。「鬼熊」は本名「熊治郎」、「豊島屋」という酒屋の荷揚げ人足だったらしい。ものすごい力持ちで、「醤油樽一個ずつを両手に提げ、二個の四斗樽の太縄に足首をかけて下駄となし、柳原堤をあゆみし」というすごい力持ちであった(下左写真参照)。だから名前の上に「鬼」という文字を載せて「鬼熊」と呼んでいたという。

 この「鬼熊」が働いていた「豊島屋」は1596年に開業、なんと現在も白酒が有名な「豊島屋本店」として神田猿楽町で営業している。鬼熊が酒樽を運んだ処は「神田豊島屋」として現在もある。酒樽を荷揚げした処は「鎌倉河原」。それは江戸城建設の時に相模国「鎌倉」から木材や石材を運んで荷揚げした河原でそういう名となった。現在は「日本橋川」にかかる「鎌倉橋」辺りと思われる。その「鎌倉河岸」から350mに当時の「豊島屋」はあった。あるHPの「鬼熊」解説では、一斗樽を2つ、四斗樽を足に2つを「一斗樽は約22kg  四斗樽は約90kgとなります。つまり、22kg×2 + 90kg×2=224kg、一人で鎌倉河岸から豊島屋まで運んでいた、ということになります(ホントかよ)」とある。

 この「鬼熊」が行った「力石(ちからいし)」を持ち上げた「力持ち会」は、「力石・熊遊の碑」として「浅草寺」に残っている。1874年(明治7年)の「鬼熊」がこの石(百貫:約375kg)を持ち上げた記念として「新門辰五郎」らが建てたという。石の中央には「熊遊(くまあそび)」、石の左には「新門」の名前、そして右には「(豊島屋)本店 熊治郎 持之」と彫られている(下中写真参照)。この石の回りの下には様々な「力石」が置かれている(下右写真参照:下に転がっている石)。










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