スポーツまいんど その62
◎昔のすぽると⑭ ネツキ
スポーツまいんど その62
◎昔のすぽると⑭ ネツキ
参考文献「近代体育スポーツ年表」には1876年(明治9年)、「大阪で、子どもの間にネツキという遊びが流行」という記事がある。この「ネツキ」とは何か。「寝付き」「根付き」「値付き」を遊ぶことではないだろう。HPで「ネツキ あそび」調べてみると「熱気球」、「逆さ言葉ゲーム:ネツキの反対の言葉はなーんだ?」が出てきた。これでもないだろう。そして何とかしてたどり着いたのが「柳田國男集」第21巻であった。
「柳田國男」は1875年(明治8年)生まれの民俗学者である。岩手県の「遠野」を訪れ執筆した「遠野物語」は柳田民族学の出発点と言われる有名な書籍である。その彼が「ネツキ」を次のように述べている。
「・・・自分の幼いころが際限もなく思ひ出される。秋の末に稲が刈り入れられて、水田の土がまだじくゝと柔らかい時分に、日が暮れて寒くなるまで家に帰ることを忘れ、着物をよごして来てよく叱られた遊びがある。関東ではひろくネツキともネンボウとも呼んでゐるが、それが又木の鉤のさきを尖らしたものを、柔らかい田の土などの中に打ち込んで、相手の立てたのを倒す遊びであった」。
何と「ネツキ」は、柳田自身の幼いころの遊びだったのだ。文中の「又木(またぎ)」とは「ふたまたになっている木」のことで「鉤(かぎ)」、つまりVの字の形の先がある棒を田に打ち込むのだ。その棒である「ネンボウ(ネン棒・ネン木)」が勝敗に重要なものであったらしい。柳田は、字を学んだ子供は「ネツキ・ネックイ」は「根木・根杭」と想像しているが、「念」の字の音である「ネン」につながる古い遊びがあったのではないかと仮説を提示している。
そして、「私がこんな小さなことに力を入れるのも、目的はもつと自分の中にある「日本」を見つけ出してもらはうがためである。各地から寄り集つてゐる人々の話題を、出來るだけ朗かな樂しいものにしたいからである」と柳田は述べ、「まちがつてゐたら正してもらふやうに成るべく多くの地名を掲げる」とする。関東とその周辺「ネツキ」、伊豆辺り「ネンボウ」、北陸能登「ネンガラウチ」、鳥取、山口豊浦、筑前大島、長崎下五島、熊本天草「ネンガラ」、熊本阿蘇郡では「ネンゴロ」、鹿児島甑島「ネンガネ」、奄美大島「ネンウチ」。
「ネツキ」という訳の分からない遊びから、民俗学者の素晴らしさにたどり着けた。もう少し「遊び方」を調べよう思い「ネンガラ」で探すと「対馬のネンガラ遊び」というHPを発見、そこに遊んでいる子どもたちの写真があった。収穫の終わった田んぼ(水はもう無い)に立ち、柔らかい地面に向けて30-40cmくらいの棒を投げ込んでいる。写真の文章には「相手のネンガラを倒して勝負する・・・結構、面白い遊びだった」と書かれていた。そして最後に「その後、五寸釘を使って遊ぶようになった」とあった。そうか〜、感激・・・。私も幼いころに五寸釘を地面に刺さるように投げて遊んだことを思い出した(昔は家の近くの道や空き地は土)」。完全に忘れていた、何十年ぶりかのすばらしい思い出しであった。「ネツキ」「ネンガラ」、そして柳田國男さん、ありがとう・・・。