スポーツまいんど その64
◎昔のすぽると⑯ メンコ(面子)
スポーツまいんど その64
◎昔のすぽると⑯ メンコ(面子)
参考文献「近代体育スポーツ年表」には1879年(明治12年)の欄外に、「泥メンコが鉛メンコとなり、大正の紙製になるまで子供の玩具として長い寿命をもつ」という「明治世相編年辞典」の文章が掲載されている。「メンコ」は解るが、この「泥」「鉛」のメンコ(面子/めんこ)とは一体何なのか、今回はそれを取り上げてみる。
「めんこ」の起源は平安時代の「意銭(いせん)」などの遊戯にあると言われているらしい。「意銭」とは地面に線を引いて、その向こう側に銭をまいて、適当な距離から銭を投げて、敵の指定した銭に打ち当てるという遊びらしい。「銭打(ぜにうち)」とも言われる。江戸時代には「穴一」と呼ばれる遊びがあった。 地面に掘った小さな穴に、貝や木の実などを投げ入れ、穴に収めた者を勝ちとする遊戯である。これは先の「意銭」と同じ系統だと思われる。
ある資料によると、江戸時代の天保年間には「穴一」の遊具として「泥面」を用いることが広まっていたという。これが粘土を焼いて作った1〜3cmの円形を基本とした「泥面」で、その形態から「面打(めんちょう)」「芥子面(けしめん)」「面模(めんかた)」に分類されるという。円盤状の「面打」、人物の顔や動物をモチーフとした「芥子面」、「面模」とは仮面のことだからお面のようなものだろう。明治時代にはこれらの遊びは「めんこ」と呼ばれるようになり、「泥面」などを用いた遊びは後世になって「泥めんこ」と総称されるようになったという。「泥めんこ」の流行は明治の初期までで、「鉛めんこ」の登場で衰退したと言われている。
明治10年代になると薄い鉛製のめんこが急速に普及したと言われる。「泥めんこ」の時と同じように、ぶつけて飛ばしあっていたが、しかしやがて鉛という材質に適した「起こし」と呼ばれる遊び方が一般的になったらしい。「起こし」とは「相手を反転させる」ことで、現在の「めんこ」と同じようだ。「鉛めんこ」を「起こし」で何回も使うと変形するようになり、図柄も歪んでくる。不細工な顔を意味する言葉「おかちめんこ」は、この歪んだ「めんこ」の図柄に由来すると言われる。
しかし「鉛めんこ」は1900年(明治33年)の大阪での「鉛中毒事件」により一気に下火となる。それに代わって「紙めんこ」が登場する。最初は子どもたちが画用紙を幾重にも折って「紙めんこ」を作っていたが、「ボール紙(板紙)」が量産化され、印刷の技術革新もあり「紙めんこ」は普及してゆくのであった。
「鉛めんこ」と「泥めんこ」➡️