スポーツまいんど その66

◎昔のすぽると⑱  熊と女の相撲

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」には1881年(明治14年)の6/26に、「浅草奥山で、熊と女の相撲を興行」という記事がある。一体、これはどのようなものなのか。今回はこの「熊と女の相撲」を取り上げる。

 「浅草奥山」は奥山と言っても山でなく、浅草寺境内西側の奥まった処。現在は「奥山門」から「奥山おまいりまち」という通りがあり、当時の街並みが再現されているらしい。そこへの入口「奥山門」近くには「新奥山」と言われるスポットがあり、「スポーツまいんど(その59)昔のすぽると⑪鬼熊の力持ち会」で紹介した「力石・熊遊の碑」がある。この「浅草寺奥山」は江戸時代から見世物や演芸の小屋や茶屋が建ち並ぶ庶民の娯楽の地であった。「熊と女の相撲」は相撲興行ではなく「見世物」だろう。とにかくホームページで関連する事項を探してみた。

 やっと見付けた「見世物興行年表」というページ。なんと江戸時代の慶長8年(1603年)から明治45年(1912年)までの「見世物興行」の歴史が詳しく書かれている。明治14年を調べてみると「五月より、東京浅草奥山にて、熊と女の相撲の見世物。願人田中紋次郎」という読売新聞(6・28)の記事が出て来た。その内容は以下のとおり。

 「去る五月中より、田中紋次郎といふ者が願人にて、浅草観音の奥山にて興行して居る熊の芸は、曲持の跡で、若い女が褌(ゆもぢ)を取ッて素裸になり、熊と角力を取るは余り猥褻極るゆゑ、去る二十五日、其筋より差止めに成ッたといふが、二銭や三銭の木戸銭なら、熊の角力より見物人の顔が見たかッた」

 やはり見世物、熊が「曲持」、つまり手、足、腹などで様々なものを持ち上げる曲芸の後に若い女性が褌(ふんどし)=湯文字(女性の腰巻)を取って素っ裸で熊と角力(すもう)という猥褻な見世物だったのだ。

 「見世物興行年表」には「熊と女の相撲」の翌月「六月、東京浅草奥山にて、篠塚お春の剣渡りの見世物。(読売新聞6・14)」という記事が載っていた。その内容の概略(現代語訳)は以下のとおり。

 「浅草の奥山で興行している「剣渡りの太夫」、「篠塚お春(十九年=19)という別品(別嬪:美人)は、神変不思議(人間わざとは思えない不思議)の奇術でも有るか、大層な評判にて、毎日会場の門が明く(開く)を待ち兼て、見物人がドヤドヤと押し込むも道理(もっともである)、この別品は剣を渡るとき、割犢鼻褌(わりふんどし)もせず、緋縮緬(緋色のちりめん:絹織物)の蹴出し(けだし:女性が腰巻きの上に重ねて着るもの)を高々と巻(まく)り上げ、脛(はぎ:すね)も露(あら)は(むき出し)に階子(はしご)を登り掛けて、看板外の売物を拝ませるからだと評判ぢや」

 「剣渡り」を調べてみると「剣」で創った「はしご」(足場となる横木の部分を何本かの剣で創る)を素足で登る曲芸(現在も祭りでやっている神社もある)であるが、それ以外にも、若い美人の女性の生の脚も見ることもできるという評判の見世物なのである。「浅草奥山」ではいろんなものが見れた処である。これも「すぽれじゃ」であるかも・・・。

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