スポーツまいんど その70

◎昔のすぽると㉒  海水浴「男女混泳」禁止🚴

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1888年(明治21年)に「7.18 神奈川県、海水浴場に男女区域を設け、男女混泳を禁止」「7.18 男女混泳を犯せば違警罪にするという議がもちあがる」という記事がある。「違警罪(いけいざい)とは「正式裁判によらず、警察署長などの即決処分で処罰することを認めた法例(1885年 太政官布告)」。一体、これはどのようなものなのか。今回はこの海水浴場の「男女混泳禁止」を取り上げる。

 この男女混泳を禁止された神奈川の海水浴場で有名なのは「大磯」の「照ケ崎海岸」。そこは我が国最初の海水浴場とされているが、定かではない。「藤沢」「鎌倉」「茅ヶ崎」にも同時期に海水浴場が開かれていたようである。1885(明治18)に初代軍医総監松本順が、健康増進に役立つとして大磯の照ケ崎に海水浴場を開設したのは事実である。そのころの海水浴は治療法・健康法の1つで、海に立てた鉄の棒につかまって波や塩水の刺激を受け、その後浜で体を温めるものであったという。このページの一番最後に「大磯海水浴場」の絵を載せたが、その海の中に「黒い棒」が描かれているが、それにつかまって海水に浸かっていたと思われる。

  注)2017年の8月、「すぽれじゃの旅13」で「日本の海水浴は大磯ではじまる」と書いてしまった。「鎌倉」がその前年にはじまるという説もあるようだ。

 日本にはこのような、健康や療養のための海水浴の風習はかなり昔からあったようだ。愛知県常滑市の「大野海水浴場」が世界最古の海水浴場と言われているが、それは平安時代から鎌倉時代にかけての歌人・鴨長明(かものちょうめい)がこんな和歌を詠んでいるからだ

 「生魚の 御あへもきよし 酒もよし 大野のゆあみ 日数かさねむ」

 この「大野のゆあみ」は「大野の湯浴み」であり、「酒もよし」も解る。しかし「御あへ」って何だろう、考えてみた。「あへ」は「あえ」、辞書で調べると「饗(あえ)」、「もてなし、馳走」の意味である。つまり「生魚のご馳走」であった。

 「湯浴み」だけでなく「潮湯治(塩湯治)」や「潮浴み」、「塩湯浴み(しほゆあみ)」などと呼ばれる、健康や療養のために海水に入る風習が日本では昔からあったのだ。それが平安時代から江戸時代、そして幕末の開国で欧米人が持ち込んだ西洋風の海水浴、それが明治時代に受け継がれている。でも何故、男女混浴が禁止されたのであろうか。例えば「温泉」では現在も男女混浴は残っている。江戸時代の「銭湯」でも、男女混浴禁止令が出されても、混浴は主流であり続けたらしい。明治になって西洋人から野蛮と見なされ混浴禁止がされ始めたらしいが、今回の禁止は海。風呂と違ってみんな「海水着」を身につけていた。現在の「ビキニ」のようなモノでなく、長袖で膝くらいまで長さのワンピースタイプだったらしい。

 何故禁止なのかといろいろ調べてみると「1933年7月、長崎県警察部保安課は、海水浴場に柵・浮標を設け、男女混泳を取り締まった」という記事を見つけた。1933年はこの明治の禁止令の45年後、なんと昭和8年、一体どういう状況だったのか、余計に解らなくなってしまった。

 この「男女混泳禁止」の理由、解る方がいらっしゃったら教えて下さい。



                       ⬆️黒い棒につかまっている

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