スポーツまいんど その71

◎昔のすぽると㉓  チャリネの「曲馬」 下に図あり

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」には1886年(明治19年)の9.1〜10.30「秋葉ヶ原でイタリア人チャリネの曲馬,興行」という記事があり、続いて11.1「天皇・皇后,チャリネの曲馬を観覧」という記事が続いている。この「チャリネ」という人物は何者なのか、そして天皇・皇后が観覧された「曲馬」はどのようなものなのか。今回はこのチャリネの「曲馬」を取り上げる。

 ジョゼッペ・チャリネ(Giuseppe Chiarine)という人物は1823年(文政6年)ローマで生れた。彼の家は代々サーカスを行っており、彼も幼くして馬を乗りこなすなど、多芸、多才の少年であったという。16歳で、サーカス団に加わり、東欧からロシアへ巡業、そして、ロンドン、パリなどを廻り、1853年(嘉永6年)アメリカへ渡った。1856年(安政3年)に自分自身のサーカス団を組織し、キューバ、メキシコ、ブラジルなどを巡業し、成功を収めたという。 

 「曲馬(きょくば)」とは、馬を用いた軽業(かるわざ)・曲芸のことで、日本では室町時代に武芸の余戯として行われ、江戸時代には「和式曲馬」として確立したという。その「和式曲馬」は芝居の振る舞いが入るのが特徴で、上方から江戸へと移動し見世物興行としての最盛期を迎えた。そして明治から大正初期には「馬芝居」の名で広く上演されたという。

 「チャリネ」がサーカス団を率いるのであるが、日本の初サーカスは別の人によって、1864年(元治元年)、横浜で行われたという。参考文献「近代体育スポーツ年表」を調べてみると「横浜で舶来軽業興行(曲馬を中心とした外人見せ物団、その中に「玉乗り」ありき)と」いう記事が載っていた。このサーカス(舶来軽業興行)を行ったのはアメリカ人の「リズリー」という人物で、香港から団員と馬を呼び、「3頭立て」「火の輪くぐり」などの曲馬、「玉乗り」「鉄棒」などを披露したらしい。

 「チャリネ」は、明治時代の1874年(明治7年)、1886年(明治19年)、1889年(明治22年)と3度来日している。その「チャリネ曲馬団」は、当時最も人気を博したサーカス一行であるらしい。横浜や外神田秋葉ヶ原(秋葉原)で興行し、曲馬、ライオンやトラなど当時の日本では珍しい猛獣ショーは、皇居内の吹上御所で天覧されたのである。その天覧興行が今回の記事であり、それは「チャリネ大曲馬御遊覧ノ図」として描かれている(下にその図を掲載:天皇・皇后も描かれている)。

 日本人のサーカス団としては、1899年(明治32年)に「山本政七」らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるという(チャリネの名前を用いている)。この「日本チャリネ一座」では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露したという。 その興行の新聞広告(明治31年12.9)と絵ビラを下に掲載している。御覧下され。その絵の中には「曲馬」「軽業」「象の曲芸」「熊の曲芸」が描かれている。これが日本の「サーカス」の始まりなのである。






















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