スポーツまいんど その72
◎昔のすぽると㉔ 「飛鳥山」の運動会
スポーツまいんど その72
◎昔のすぽると㉔ 「飛鳥山」の運動会
参考文献「近代体育スポーツ年表」に1891年(明治24年)に「3.21 在京の津軽人、飛鳥山で運動会挙行」という記事がある。これは「東京日日新聞」の記事である。この新聞社は現在の「毎日新聞」、その東日本の旧題号である(創刊は1872年:明治5年)。「運動会」に関しては「スポーツまいんど」その41-42「遠足と運動会②③」で紹介したが、如何して津軽人(青森の人)が「飛鳥山」で「運動会」なのか、不思議に思った(飛鳥山は2019.9.17ウオーキングで紹介)。今回はこの「飛鳥山」と「運動会」との関係を取り上げる。
「飛鳥山」は江戸時代の将軍、徳川吉宗(暴れん坊将軍)が「享保の改革」の一環として整備した公園である。明治に入り(明治6年)、上野、芝、浅草、深川と共に日本最初の公園に指定される(「スポーツまいんど」その57 昔のすぽると⑨ 五大公園 を参照されたし)。1879年(明治12年)に「渋沢栄一」が公園の南東側に別荘を構える(この別荘がものすごいことに関連してゆく:私もこの事は全く知らなかった)。
「飛鳥山」は低い山で「東京都で一番低い山」を港区の「愛宕山」と争い、30cm差で勝利したが(25.4m)、国土地理院は山として認めていないらしい。場所はJRの「王子」駅の横、そこから「あすかパークレール」というケーブルカーで山に登ることができる(所要時間2分で無料)。この「王子」駅は1833年(明治16年)開通の上野-熊谷路線の上野の次の駅、この辺りに渋沢栄一が提唱した製紙会社(後の王子製紙)が開業したという。それが1900年(明治33年)作の鉄道唱歌・北陸編に唄われている。
(3番)見よや王子の製紙場 はや窓ちかく来りたり すきだす紙の年にます国家の富もいくばくぞ(4番) 春はさくらの飛鳥山 秋は紅葉の滝の川 運動会の旗たてて かける生徒のいさましさ
そう、その唄の4番に「飛鳥山」と「運動会」が登場するのだ。「運動会」の始まりは1874年(明治7年)の「海軍兵学寮」の「競闘遊技(きそいあそび)」とされている。それは兵学寮の校内の馬場で行われたが、普通の学校には今のような広いグラウンドがなかった。だから早稲田や慶応、明治などの私学が「飛鳥山」を運動会の会場としたらしい。小学校も同様で、記録によると1885年(明治18年)の北豊島郡の一部(現在の北区)の地元小学校13校が「飛鳥山」に集まって運動会をやったらしい。でも「津軽人」の運動会って何だ、と思われるかもしれないが、「運動会」は学校だけでなく「会社」でも行われた。明治時代には自由民権運動の壮士たちが、禁止されたデモや行進、集会の代わりに「運動会」をやったらしい(スポーツまいんど41)。在京の津軽の人たちが運動会を挙行した理由は不明。1891年(明治24年)、この運動会の半年後に上野から盛岡だった線路が青森まで繋がった。東北線の上野〜青森間全通、その前夜祭を上野の次の駅「王子」で行った? そんなことは無いだろう。ご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。
「飛鳥山」での運動会、その一番すごかったこと(私にとって)は、女子のバスケットボールである。この間の東京オリンピックでの銀メダル獲得もすごいことだったが、1901年(明治34年)に「飛鳥山」で日本初の女子バスケットボールの試合が行われたのだ。それには「渋沢栄一」が関連していた。この日本の「球籠遊戯」の話は次回に詳しくやりましょう。