スポーツまいんど その75

◎昔のすぽると㉗  慶應義塾体育会結成 

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1892年(明治25年)に「5- 慶応義塾体育会結成」という記事がある。この「体育会」とは日本の大学などの運動・スポーツのクラブ、部を統合した組織である。現在も大学で用いられている名称であるが、この1892年(明治25年)に慶應義塾で結成された「体育会」が始まりのようである。今回はこの1892年(明治25年)「慶応義塾体育会結成」を中心に130年ほど前の「体育会」を見てみよう。

 慶應義塾で結成されたこの「体育会」は「剣術」「柔術」「野球」「端艇」「弓術」「操連」「徒歩」の7部をもって創設されたという。「端艇(たんてい)部」とは「ボート競技部」、「操連(そうれん)」とは「兵式体操」を中心とした軍事訓練の部、「徒歩」とは「陸上部」である。因みに、走れ「いだてん」で有名なマラソンの「金栗四三」選手は「東京高等師範学校(現・筑波大学)」:の「徒歩部」に入部していたという。彼は1910年(明治43年)に入学なので「徒歩部」という名称は20年くらいも続いていたのだ(いつ頃から「陸上部」となったのか、現在調査中。ご存知の方、教えて下さい)。

 慶應義塾の「体育会」HPによると、9年後「庭球部」、10年後「水泳部」、11年後「自転車部(1年で廃止)、「蹴球部」「器械体操部」が「体育会」に加入している。「徒歩部」は3年で廃絶、「操連部」は7年で廃止となっている。この「体育会」が早稲田大学で組織されたのは1902年(明治35年)である。早稲田大学は1882(明治15年)年に「東京専門学校」として開校、そして1902年に早稲田大学となり、「柔術」、「撃剣」、「弓術」、「野球」、「庭球」、「端艇」の6部が正式に公認されたという(「撃剣」は「剣術」)。

 それから様々な大学で「体育会」が組織され、現在にまで続いている。しかし、この慶応義塾の「体育会」結成よりも6年も早く、運動・スポーツのクラブ、部を統合した組織が生まれていたのだ。それは1886年(明治19年)の「帝国大学(現・東京大学)」、名称はなんと「運動会」である。翌1886年(明治20年)には「東京高等商業学校(現・一橋大学)」においても「運動会」が組織された。「帝国大学」の「運動会」は「漕艇部」「陸上運動部」「球戯部」「水泳部」「柔道部」「撃剣部」「弓術部」の7部であったという。

 「運動会」というと小・中学校のころの「運動会」と混乱するが、その運動会の始めは1874年(明治7年)の「海軍兵学寮」で行なわれた「競闘遊戯(きそいあそび)」であり、その後1878年(明治11年)に「札幌農学校」で「力芸会」、1883年(明治16年)に「東京帝国大学」で「陸上運動会」が行われた。「スポーツ」という言葉が一般的に使われるのは「大正」の終わりからで、この頃は「遊戯」「運動」「体育」などの言葉が混在していたと思われる。(この辺りの歴史は「スポーツまいんど その40〜43 ◎遠足と運動会①〜④」で紹介した)。

 面白いことに、現在の「東京大学」ではこの「運動会」という名称が使われているのだ(「一橋大学」では「体育会」に変更された)。「運動会」の会員は「運動会員」と呼ばれ、年会費は2500円。この「運動会」にはが公式マスコットキャラクター「イチ公」がいる。「東京大学運動会」のHPで「東大のスポーツや運動部を盛り上げて行くんだワン!」と述べている。一度、訪問してみれば・・・。

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