スポーツまいんど その77

◎昔のすぽると㉙  ベースボールが野球へ

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1894年(明治27年)に「ベースボールに『野球』の訳語用いる」という記事がある。この記事は「<一高野球部史>の序文」に基づいたものらしい。この「野球」への翻訳は誰が、どんな理由で行ったのであろうか。今回は、1894年(明治27年)の「野球」という言葉の始まりを見てみよう。

 この球技がアメリカから日本へ入った頃、「baseball(ベースボール)と呼ばれ、「玉遊び」「打球鬼ごっこ」「底球」と訳されたが、どれも定着しなかったという。「低(底)」は「base」の日本語訳を用いたのではないかという説もある。野球は1871年(明治4年)、「東京開成学校予科(その後→東京第一高校→現在は東大)」に来日したアメリカ人「ホーレス・ウィルソン」が教えたのが始まり。「ベースボール」、それから20年以上も定着する訳語はなく、この東京第一高校を卒業する野球部員であった「中馬庚(ちゅうま かのえ)」が「ベースボール部史」の執筆を依頼された。1894年(明治27年)に「中馬庚」は「Ball in the field」→「野球」という訳語を生み出したとされる。彼はその後に出版した解説書には、「明治26年4月以来(中略)野外ノ球技ナルヲ以テ庭球(ローンテニス)ニ対シテ野球ト命名セル」と書いてある。この頃には「庭球」の訳語があったことになり「底球」では混乱したであろう。明治28年(1895年)に『一高野球部史』と題した部史が発行される。明治30年には専門書の『野球』が出版され、明治30年代には一般にも「野球」が広く用いられるようになったのである。

 「野球」は有名な俳人で野球大好き「正岡子規」が訳したという説もある。彼は熱心な選手であり、ポジションは「捕手」、しかし1889年(明治22年)に喀血のために引退することとなる。その彼が翻訳したという説は間違いのようである。「子規」は幼名を「升(のぼる)」といい、それに因んで「野球(のぼーる)」という雅号(がごう:文人などが本名以外につける風雅な別名)を使っていたらしい。「野球」という表記は同じだが「のぼーる」と読み、4年後の「中馬庚」の訳語「野球(やきゅう)」ではなかったのだ。

 「野球」という訳語を作った「中馬庚」は、日本で初めての専門書「野球」を出版したこともあり、1970年(昭和45年)に「野球殿堂」入りをしている。「正岡子規」も「直球」「打者」「走者」「飛球」という現在も使われている野球用語を翻訳し、そして「まり投げて見たき広場や春の草」など野球に関する句を製作した。よって、2002年(平成14年)に「野球殿堂」入りを果たしている。

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