スポーツまいんど その79
◎昔のすぽると㉛ スキ駈け
スポーツまいんど その79
◎昔のすぽると㉛ スキ駈け
参考文献「近代体育スポーツ年表」には、1896年(明治29年)「雑誌<小国民>」が「スキ駈け」と題して。あるスポーツを紹介したという記事がある。この「小国民」という雑誌は一体何なのであろうか、そして「スキ駈け」とは何であろうか。今回は、「雑誌<小国民>」と「スキ駈け」を紹介する。
「雑誌<小国民>」は児童雑誌であり、「少年園」「少年文武」と共に、日本の近代児童文学史の草創期を代表する三大児童雑誌の一つである。上左写真は1889年(明治22年)の「小国民」1年6号。上中写真は1888年(明治21年)の「少年園」第1巻1号。上右写真は1890年(明治23年)「少年文武」第1年第3冊。「小國民」は、その後(1895年)「少國民」と改題される。下の写真は1896年(明治29年)の「少國民」8年12号である。近代体育スポーツ年表には「雑誌<小国民>」と書かれていたが、1895年に改題された雑誌「少國民」であるかもしれない。
因みに「少國民」は、日中戦争から第二次世界大戦までの日本において用いられた言葉でもある。これは、銃後に位置する子供を指し、年少の皇国民という意味があるという。これは、戦時中、ドイツのナチス「ヒトラー青少年団」で用いられた「Jungvolk」の訳語であるらしい。現在では死語となっている。
では「スキ駈け」とは何のことなのだろうか。ネット検索をしたところ、中浦さんという研究者が論じた論文を手に入れた。この論文には雑誌の「スキ駈け」を紹介した文章が掲載されていた。以下の文章である。
「スキ」馳なるもの,近頃欧州北部地方に流行し初めたり。那威をよく知れる人は「スキ」の何物たるやを知らざるものなかるべきも,他陣未だかゝるものあらざば,皆これを開く入信ずるもの稀なり。「スキ」とは和蘭の古画に木履を穿つを見るかく,常時使用せる密議離るべからざる二辮を有する一個のはきものなり。其「スキ」馳け なるものは長距離を飛び得たるものは勝を占むるものとす。而して其着池貼には,勿論雪を積み置かさやれば能はず。
雑誌には「スキ駈け」でなくて「スキ」馳(はけ)と書かれていたようだ。これは欧州北部で流行はじめ、「那威」(ノルウェー)を知る人は「スキ」が何か分かるだろう・・・。「スキ」は木製のはきもの、その「スキ」で長距離を飛んだ人が勝ち、だから着地の処に沢山の雪を積まなければできない、という文章だったのだ。中野さんは、ここではジャンプスキーを「スキ」馳けと称していると述べている。「スキ」とは「スキー」のことで、それを「馳せる(はしらせる)」スポーツであったのだ。この論文は「日本スキー発祥前史についての文献研究」(2001年の北海道大学大学院紀要)であり,中野さんが作成した「日本スキー発祥前史」の表には 雑誌「少國民」(第8年8号)に「スキ」駆け(ジャンプ)が掲載された、と書かれている。「駈」「馳」「駆」、正式な漢字は不明であるが、スキーを「はしらせる」スポーツであったのだ。そしてそれを紹介した雑誌は「小國民」でなく「少國民」であったのだ。 中浦さんの論文では、日本に初めてスキーが持ち込まれたのは1895(明治28年)、日清戦争の凱旋時に軍人さんが持参したらしい。江戸時代に樺太のアイヌの「カンジキ」があったらしいが広く普及したのではないらしい。「スキ」馳けが雑誌で子どもたちに紹介されるほど珍しいものであったのだ。