スポーツまいんど その81
◎昔のすぽると㉝ 大運動会禁止命令
スポーツまいんど その81
◎昔のすぽると㉝ 大運動会禁止命令
参考文献「近代体育スポーツ年表」に1898年(明治31年)、「4.1 警視庁、3日に上野公園で開催予定の労働組合期成会の大運動会に対し、集会禁止を命令」という記事がある。この「大運動会」とは何なのであろうか、どうして警視庁が禁止を命じたのか。今回は、1898年(明治31年)の運動会を紹介する。
資料は「二村一夫」氏の著作「高野房太郎とその時代(74) 期成会大運動会への禁止命令」
この労働組合期成会の大運動会は、期成会の事務所にほどちかい呉服町永楽町原から上野公園まで行進する。そして、博物館脇で花見をかねて食事をし、運動会を開くというものだった。娯楽的な計画で大人30銭、子供5銭の会費でそろいの帽子やバッジ、音楽隊を先頭にして「のぼり」を立てて行進するというものだったという。
この「大運動会」の計画は「労働世界」という雑誌第8号(1898.3)と第4号(1983.4)で報じられる。「労働組合期成会鉄工組合は・・・来(きたる)四月三日を期し、労働組合の運命を春の草木に擬(なぞらえ)えて、大運動会を上野に催(もよう)さんとす」。「・・・四月三日は実に我国労働運動の一大祭典にして永く史上に記録せらるべき記念日とならんとす」という文にその意気込みを感じるものである。「労働世界」ではこの運動会を「大労働記念日」と呼んでいたのである。
この「計画」が「労働世界」に公表されると、日本橋警察署は「高野房太郎(労働組合期成会の幹事長)」を呼び出し「大運動会」の中止を説諭した。驚いた高野房太郎は「われわれは何も不穏なことを計画している訳でない」と政治家に支援を依頼、また警視庁の警視に面会し,何が問題で、どこを変更すれば認可されるか」と申し入れたという。しかし結局、運動会は禁止、行進することはもちろん,上野に集合することさえも禁止されたという。
どうしてこのような禁止命令を警察が出したのであろうか。現代とは異なり当時の警察は、民衆の自発的運動に対して抑圧する伝統があり、治安維持の方針であった。4月3日は「神武天皇祭」という初代天皇が亡くなった日を記念する祝日、その休みを利用して会員の親睦、組合の勢力の誇示を企て,メーデーを意識し、それを模した「大労働記念日」の集会という労働組合の意気込みも気に入らなかったかもしれない。
しかし、なんと4月10日に「大運動会」は上野で実施されたという。この日は首都が京都から東京へと移転した記念の「奠都(てんと)30年祭」。期成会はこの機会を利用して遷都祝賀の名の元に、行進し、運動会も開いたという。参加者800人くらい。その後の高野房太郎の手紙にはこんなことが記されていた。警察が「天皇の健康を祝賀するこの集会を妨害すれば,彼らは不忠の臣となる」からこの集会を許可した、「われわれは警察当局と衝突することなく目的を達成しました」。労働組合、大したものである。
下の左写真は大運動会禁止を風刺した絵。その絵の左上が「警官」、右下が楽隊先頭の行進、「労働組合期成会」という幟(のぼり)も描かれている。下右写真は「30年祭祝賀会」の絵。