スポーツまいんど その82
◎昔のすぽると㉞ 自転車富士山登山
スポーツまいんど その82
◎昔のすぽると㉞ 自転車富士山登山
参考文献「近代体育スポーツ年表」に1900年(明治33年)に、「8.27 アメリカ人ボーンおよび鶴田勝三、自転車で富士山登山決行」という記事がある。掲載した新聞は「二六新報」、1893年(明治26年)に創刊の日刊新聞、1940年(昭和15年)まで継続した大衆紙。この「自転車で富士山登山」とは何なのであろうか。資料として「日本自転車史研究会」のHP「自転車の歴史探訪」を参考にした。
このアメリカ人ボーンは曲乗りの達人、鶴田は日本の「輪界の剛の者」。この二人が「二六新報」の社長に宛てた手紙がそのまま掲載されたらしい。その記事の概略は以下の通り。
「日米輪客富士だより」「18日より富士登山」「暴風雨のため4日3夜の間」「太郎坊、二合目、四合目、六合目」「閉じ込められ」「22日七合目に帰着」「是より自転車にて御殿場まで下り候」・・・
80年後、昭和になってからボーンの手記と写真が発見された。それの手記を基に彼らのサイクリング?を見てみよう。
雨の中、横浜〜御殿場へ汽車、5時頃到着。馬と人夫を準備、即「太郎坊」へ出発、そこの茶店で1泊。翌日、土砂降りの雨の中、数時間の山登り。「四合目」で一夜のテント。次の朝も無情の雨、風雨のなかを強行、「六号目」で一夜。翌日の朝は晴、頂上へと向かって出発、昼前に到着。頂上で1〜2時間、そして「七合目」へと下山。そこから運んできた自転車に乗って降りることを考えていた。
その出発点「七合目」は傾斜が45度近くあり、そのまま降りれば自転車が凄い速さに。そうならないように歯止めを付ける。私(ボーン)は自分の「クリーブランド号」に乗り、後ろに付けた小さなソリにデヴィン氏(同行した人らしい)。2〜3分は用心深く走ったが、あとは運を天に任せ時速70km以上のスピードで10km以上の下り坂を一気に(下にその時の写真を掲載)。
鶴田氏は、ズダ袋にくるんだ荷物付けた2本の長い棒を自転車に取り付けて歯止め。しかしロープがすり切れて、凄いスピードで落ちてゆくように下へ、斜面緩やかな地点まで。私とデヴィン氏は彼に追いつき、すり切れて落ちた荷物をどうしようかと思案していると、雲間から小さな物がころりと落ちてきた。私たちの荷物だ。デヴィン氏は馬を御殿場まで連れて戻り、私と鶴田氏は自転車で16kmを26分で降りた。
すごい「すぽれじゃ」の話である。鶴田氏の自転車はブレーキ無し、サドルから尻を放して、自分の尻でタイヤへブレーキをかけて降りた、なんていう話しもHP「自転車の歴史探訪」には載っていた。是非、どうぞ→http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/rekishi/rekishi40.html